友人

  • 奇跡が余白に舞い込む理由

    反転授業に関わるようになり、主体的な学びとは何かというテーマについて考え始めて3年が経過しました。

    生徒の主体的な学びを引き出すためには、教師と生徒の関係性を変えていかなければなりません。

    関係性とは、両者の在り方だから、生徒にだけ一方的に変化を求めるのではなく、教師も同時に変化することで、関係性の変化が起こるのです。

    主体的な行動が起こるためには、余白が必要です。

    余白があると、様々な想定外のことが起こります。

    工業化社会における教育システムでは、学校も工場のように決められた予定に沿って秩序正しく動くことが求められ、「想定外のこと=エラー」と見なし、余白を徹底的に排除してきました。

    教師の仕事の多くは、余白を与えないことに使われてきました。

    だから、余白を与えるという行為は、これまでの在り方を大きく変えることになり、教師にとってはある種の恐怖を伴う行為なのだと思います。

    僕自身も、かつては、教室で授業をするときに余白を排除してきました。自分が思ったとおりに授業が進むことを目指し、そして、その通りに10年以上、授業をやってきました。

    5年前から反転授業を始め、授業の中に余白を作り始めるとすぐに気づいたことがありました。

    それは、「余白には、奇跡が舞い込む」ということです。

    つまり、想定外というのは、悪いことばかりではなく、よいこともあるわけです。

    想定外のよいこと=奇跡は、余白を作ったからこそ起こりえることです。

    しかし、余白を作ったからといって、いつも奇跡が舞い込むわけではない。カオス状態になり、そのまま崩壊してしまうこともあります。

    余白に奇跡が舞い込むための条件は、いったい何なのでしょうか?

    いろいろな実験の末、私が気づいたことを書いてみたいと思います。

    条件1 奇跡は、縁をたどってやってくる

    なぜ余白を作ると、想定外のことが起こりえるのかというと、そもそも自分が想定できる範囲範囲というものは、常に限定されているからですね。

    すべての範囲を想定できる知性は存在せず、それぞれが、限定された想定範囲のもとで考えて行動しているのです。

    しかし、幸運なことに、私たちは、それぞれ異なる考えや経験を持っているので、複数の人たちの考えを重ね合わせて和集合を作ると、1人では想定できない広い範囲をカバーできるようになります。

    余白を作ることで、複数の人たちの考えを重ね合わせることが可能になったとき、その中の誰もが思いもよらないやり方で、目標が達成される可能性があるのです。

    だから、自分の状況をオープンにしていくことで、よい方法を知っている人が入ってきて助けてくれたり、新しいアイディアを持ち込んでくれるスペースを作ることが大切になってくるのです。

    でも、どうやったら、そのスペースに人が入ってきてくれるのでしょうか?

    それには、普段から作り上げている信頼関係のネットワークが大切になってきます。

    僕は、信頼関係でつながった人たちが、繋がりをたどってやってきて、助けてくれることを何度も体験しました。

    フィズヨビでは、受講生のみなさんに、何度も助けてもらいました。

    想いの部分が共通してたり、協力し合って目標達成をしたり・・・さまざまなきっかけで縁を紡いできた人たちが、利害関係を超えて動いてくれたときに、余白に奇跡が舞い込むのです。

    それならば、余裕があるときには、積極的に、他人の余白に自らを投じて奇跡を起こしていこうという考えが生まれました。

    そのようにして、普段から縁を大切に紡いでいけば、自分の想定を超えた様々なことが周りで起こっていくような奇跡に満ちあふれた人生になるのではないかと思ったのです。

    条件2 在り方を発信する

    「余裕があるときに縁を紡いでいくと、余白に奇跡が舞い込むようになる」という仮説に基づき、5月からペイフォワード予算10万円を、毎月使うことを始めました。

    見返りを求めずに、自分が本当に応援したい人、縁を大切にしたい人に対して、感謝と応援の気持ちを表現するために、5万円、10万円というお金を寄付していくのです。

    5ヶ月間やってみて、気づいたことがあります。

    それは、特定の人にお金を払うことで応援しているということに留まらない結果をもたらしているということです。

    一つは、お互いの持つ信頼関係のネットワークを繋いでいくことができるということです。

    少なくない金額を応援のために払うことができる相手は、僕が信頼している相手だけです。

    ペイフォワードをするという行為は、「僕は、この人を信頼しているんですよ!」ということを、周りに示す行為です。それは、「田原が信用しているのなら、信用できる人なんだろうな」ということで、信頼関係のネットワークをつなぎ合わせていく効果をもたらします。

    もう一つは、自分の在り方を発信しているのだということです。

    「みなさん~ 田原は本気でペイフォワードをしていくような人間ですよー」という在り方を発信し続けると、いろんな人が安心して声をかけてくれるようになってきたのです。

    すごい頻度で、いろんな人たちと繋がり始めたので、いったい何が起こっているのかなと思ったのですが、おそらくこういうことではないかと思います。

    誰かと一緒に仕事をしたり、プロジェクトをしたりするときには、みなさんも、相手が「奪う人」なのか「与える人」なのかを見極めようとするのではないでしょうか?

    両者が「奪う人」同士なら、お互いに引っ張り合って、どこかで均衡します。

    相手が、「奪う人」で、こちらが「与える人」の場合は、こちらのリソースをどんどん奪われて疲弊してしまいます。

    両者が「与える人」の場合は、場に循環が起こり、創造のサイクルが回っていきます。

    ペイフォワード予算についての発信を続けていくことは、「私は与える人です」ということを表明していることになり、たくさんの「与える人」が、僕のところにアクセスしてきてくれるようになってきたのです。

    その結果、創造のサイクルが回りやすい状況が、次々に生まれています。

    5ヶ月間続けてきて、ようやく自分のやっていることの意味が分かり、言語化することができました。

    クラウドファンディングは、縁を紡ぐと同時に、自分の在り方を発信する機会

    僕は、クラウドファンディングを応援することが多いのですが、そのときに、ただお金を払うだけでなく、縁を紡げる相手なのかどうかを見極めます。

    そして、単にお金を払って応援するだけでなく、その人の活動にコミットして、一緒に達成を喜び合えるように応援していきます。

    さらに、クラウドファンディングが終わった後も、その関係を大切にしていきます。

    そのような在り方が、また、周りに伝わり、様々な縁をもたらしてくれます。

    今月、ペイフォワード予算の50%である5万円をつぎ込み、一緒にZoomイベントを行い、全力で応援しているのが、映画監督の古新舜さんです。

    僕が巣鴨学園で数学の非常勤講師をやっていたときに、古新さんは生徒として同じ学校に通っていたというところから始まり、ともに、早稲田大学理工学部応用物理学科へ進み、ともに、その後、予備校講師になり、今は、映像と教育とを結びつけた活動をしているという2人なので、強い縁を感じざるを得ません。

    そして、古新さんもまた、縁を大切にしながら、与え合って創造を起こしていく「与える人」です。

    クラウドファンディングは、本日(9月29日)が最終日で、達成まであと少しです。

    古新さんの活動を応援している僕は、のクラウドファンディングを応援してくださる人に心から感謝し、応援してくださる人と縁を大切にしていきたいと思っていますので、支援した後に、ぜひ、田原までご連絡ください。

    クラウドファンディングは、まさに、不確定な未来へ自分を投げ出していく挑戦です。

    古新さんが作った余白に、一緒に奇跡を舞い込ませてみませんか?

    古新舜が贈る!長編映画「あまのがわ」〜分身ロボットOriHimeと自分探しの旅〜

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  • 農業生物学者から教わったこと(5)

    農業生物学者から教わったこと(5)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。これが最終回になります。

    明峯さんが亡くなられた後、遺稿をまとめて出版された『有機農業・自然農法の技術』を読み、明峯さんがどんなことを考えていたのかを振り返ってみた。

    融通無碍な生き方とは何か

    明峯さんは、この本の中で何度も「植物は、融通無碍である」ということを書いている。

    融通無碍(ゆうずうむげ)とは、考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること。

    僕は、明峯さんが、自分の生き方を植物に重ねていたように思える。

    生き物というのは、環境によってすべてコントロールできるものではない。

    環境要因は無視できないがすべてではない。

    環境要因では決まらない部分に、その生き物の「生命らしさ」がある。

    考え方や行動は、本来自由なのだ。

    その自由な「生命らしさ」が、多様性を生み出していく。

     

    工業化された農業は、農作物の「生命らしさ」をゼロにし、環境要因だけですべてをコントロールしようとする。

    農作物を、光と二酸化炭素と窒素化合物を与え、炭水化物とタンパク質を作らせる物質系として捉えて単純化する。

    「生命らしさ」を奪われた農作物は、多様性を失い、均質化していく。

    明峯さんは、農作物に植物としての生き物らしさを発揮させる道を模索する。農作物を自然から隔離せず、自然と一体となった生態系の一部として捉える。そして、それを育てて食べる自分も生態系の一部だと捉えていたと思う。

     

    この考えは、工場モデルの学校にも適用されるのではないか。

    同じ情報をインプットし、同じ情報をアウトプットするように訓練された結果、生徒の「生き物らしさ」が消え、多様性が失われていく。

    そして、同じ状況になると同じ反応をする人々を生み出していく。

    「反転授業の研究」でやっていることは、生徒が生き物らしさを発揮できるようになるための方法を模索すること。生き物らしさを発揮する自由な人たちは生態系のようなコミュニティを作る。自由な心を持った人たちが増えれば、多様な生き方が可能になる。

     

    自分の人生を、すべて自分で決めることはできない。

    生まれた場所も、親の経済状況も、性別も、自分で選択できるものではない。

    でも、すべてが外部から決められるわけではない。

    自分の価値観を自分で決め、それなりに限定された中ではあるけれど自分で選択したり、選択肢にはない行動を自分で創り出したりすることができる。

    どのように生きて、どのように死ぬのかを自分で決められる。

    均一化しようとする力に対して、そこから逃れていくことができる。

    それが、融通無碍に生きるということなんじゃないだろうか。

     

    東日本大震災が起こった後、農作物は「放射線量」という数値と結び付けられた。

    僕自身も、それらの数値を気にしたし、経験したことのない状況に対して、とても不安になった。

    池袋で明峯さんと会ったとき、明峯さんは、鬱のような症状が出て、ずっと眠れないと言っていた。

    そのときは、よく分からなかったが、本を読んで、明峯さんの思想を辿ってきた今は、当時の明峯さんの気持ちが少し分かるような気がする。

    放射線によって健康被害が出ることは自明だし、それを恐れるのは当たり前だけど、科学的数値というものに管理され、すべての人が同じように行動しなければならないというような状況が、明峯さんには我慢できなかったのではないか。

    明峯さんは、その状況でも、融通無碍を貫きたかったのだろう。

    京都大学の小出さんとの対談で、明峯さんが語った言葉に、それが表れている。

    「人間は安全性だけで生きているわけではありません。場合によっては、危険であると分かっていても、それを覚悟して生きていく、それが人間です。むちゃくちゃ危険なことをして早死にしても、それがその人の人生だったということにもなるし、ただただ長生きするだけの人生を潔しとしないという考え方もあります。」

     

    社会のヒエラルキーに従属するのではなく、生態系の一部としての確信を持って生きる

    明峯さんは、「都市」と「故郷」とを対比させて語ることが多い。

    「都市」は、産業革命以後、急激に発達した。都市は、化石燃料やウランから取り出したエネルギーによって維持されている。

    明峯さんは、都市で生きる人の心の荒廃の原因が、生態系と切り離されていることだと考えていたのではないか。

    生態系と切り離されて、自然の恵みを感じられなくなると、お金がなくては生きられない暮らしになり、お金に支配される。

    所持金によって序列化された人工的なピラミッド構造という環境で生きているうちに、「生産」から切り離されて、ピラミッドへの従属によって得られるお金と、その消費によって生活が回るようになる。

     

    一方で、種を撒けば、植物が育ち、土が育つ。

    それらは、お互いになじみ合いながら、ゆっくりと循環系を作っていく。

    環境の変化に対しても融通無碍な性質を発揮し、多様な生態系を創り出していく。

    その中で生きることで、自分自身の「生命らしさ」に気づき、自分も生命としての確信を持つことができる。

    環境によってすべてを決められるのではなく、自分で自分の生き方を決めていけるようになる。

    明峯さんは、そんな風に考えていたんじゃないだろうか。

     

    僕が引っ越しをするたびに、明峯さんは、

    「新しい家には庭がありますか?」

    と聞いてきた。そして、庭があれば、少しでもいいから種を撒いてみてくださいと言っていた。

    種を撒くこと、植物の成長を見守ることは、自分自身も同じ生命であるということに気づくこと。

    植物の融通無碍な生き方に触れ、自分も融通無碍な存在であることに気づくこと。

    あのとき、そんなことを伝えたかったんじゃなかろうか。

     

    21世紀の故郷

    明峯さんの書いたものを辿っていくうちに、「21世紀の故郷」という言葉と出会った。

    明峯哲夫&永田まさゆき「自給的くらしの意義~震災後の社会再構築に当たって」という記事から、明峯さんについての箇所を引用する。(引用元

    明峯先生の講演タイトルは「天国はいらない、故郷を与えよ」、ロシアの農民詩人エセーニンの言葉です。近代化の過程で農村を追われ、仕事を都市に求めた人びとは土着性をなくし、地方は疲弊しました。人びとが「天国」と憧れた都市生活は、便利で快適で、賑わいに溢れていますが、自らが必要とする食糧を農村に依存し、大量生産、大量消費の仕組みと膨大なエネルギーに支えられてきました。原発のニーズもこの延長に生まれています。 このパラダイムは実に前世紀100年をかけて成り立っており、すでに維持不能な状態にありました。
    「3・11」は、このシステムの現実的な終焉であり、「天国」を求め続けてきた時代の終わりだと明峯先生は語ります。これからの社会の再構築にはエネルギーの問題だけでなく、医療や福祉や教育や産業などさまざまな分野の知恵を統合し、小さな地域単位で自給、自立していく発想が必要だ。そして、天国を失った人びとの行先は故郷、すなわち自然と共生する自給的な暮らしに他ならないと。

    先生がここで言われる21世紀の故郷は、伝統的な地縁社会のことではなく、個人が自由な意思で決定する新しいイメージでの「我が故郷」です。「一所懸命に生きる」場所が故郷になるという先生の言葉を聞いて、私はエコビレッジを思い浮かべました。故郷に生きる人びとにとって生きるとは、土地に依拠し自然の恵みを受けながら暮らすことです。だから農山漁村の人びとは土地に対する強烈な思いがあり、今回の震災の打撃は大きかったのです。それでもすべてを受け入れ、いつか復興させようと留まって農業を続ける人びとを先生は希望と呼んでいます。自然と共に生きる人びとは確信があるとも。溢れるほどの物質と情報に囲まれても、現代人が常に不安なのは、そういう確信がないからでしょう。

    すべてを受け入れるという意味で、先生は、すでに大量の放射性物質が放出されてしまったこの期に及んで数値を前提にリスクゼロを追求するのは幻想で、放射能に汚染された自然とも共生していくリスクシェアの考え方が必要だと言われました。たとえば食べ物であれば、数値で示せる安全よりも、誰がどのように作ったかがわることで生まれる安心のほうが重要だと強調されています。

     都市に象徴される20世紀型の大量生産、大量消費システムに取り込まれて生きているうちに、個人は生産と切り離されて弱くなり、システムへの依存性を高めていく。

    でも、システム自体が限界が来ている今、明峯さんは、都市と対比して「故郷」という言葉を使っている。

    その故郷とは、伝統的な地縁社会ではなく、人々が自然との共生を感じられて、生産の喜びを味わうことができ、自分自身の融通無碍な性質を思い出し、自分の意志で周りと生態系のように繋がり、一生懸命生きていく場所ということだろう。

     

    未来を創るために種を撒く

    僕の住んでいるマンションには庭がない。

    だから、コンポストを買ってきて、そこに空き地から引っこ抜いてきたオジギソウを植えた。

    強引に植え替えられたオジギソウは、葉をすべて落として瀕死の状況になった。

    しかし、ほとんど枯れそうになったそのとき、小さな芽を出して、小さな葉を作った。

    そのとき、「こいつは、新しい環境になじむために、一度、葉をすべて落としたんだな」と気づいた。

    そして、そこから、葉を次々に茂らせていった。

     

    植物を見ていると、毎日、次々と姿を変えていく。

    僕たちも、実は、毎日、次々と姿を変えている。

    やらねばならないと思っていることのほとんどは、やらなくてもよいこと。

    限界のほとんどは、思考が決めている。

    僕たちの思考は自由だし、行動も自由だ。

     

    この世にまかれた種から発芽したという点では、オジギソウも僕も同じだ。

    従属と消費に絡めとられるのを拒否し、生き物として、自分で種を撒いていくことができる。

    不安を埋めるためにシステムに保証を求めない。

    ひたすらに種を撒く。

    多様性と自由こそが、一番の保証だということを知っているから。

     

    明峯さんが撒いたたくさんの種の中の1つは、僕の中で発芽し、この文章を書いている。

    僕が撒いているたくさんの種も、あちこちで発芽して育っている。

    その確信があるから、僕は、さらにたくさんの種を撒く。

    自由に生きる人たちの「生態系」は広がり、自分たちがそれを創っているという確信が、僕たちに自信を取り戻させる。

    僕は、自由に生きる人たちの「生態系」を豊かにしていくことに力を尽くす。

    この「生態系」も、なじみ合いながら、信頼のネットワークがどんどん強くなり、どんどん豊かになっていく。

    誰もが自分で種を撒き、常に未来に対する新しい可能性を探っている。

    みんなでたくさんの種を撒けば、その中の種のどれかが現状を突き破る。

    それを撒いたのが自分じゃなくてもいい。

    誰がまいた種でもいい。

    自分を手放して、「種がたくさん撒かれる状況=マインドセット」を創り出すことに力を注ぐ。

    誰かが現状を突き破れば、それを手掛かりに未来を創っていく。

    「生態系」が豊かになれば、みんながそこで生きていけるようになる。

    そういう生き方が、生き物としての生き方だ。

    自分たちも「生き物」だということを思い出すだけで、それを実現できるだろう。

     

    自分の「生」に意味を持たせるためにはどうしたらよいだろうか。

    大量生産された商品を購入しても、それは、「自分」というかけがえのない個を意味づけてくれない。

    自分が何かを産み出し、その影響が、世代を超えて受け継がれていくという確信こそが、自分の「生」に意味を持たせるのではないだろうか。

    明峯さんは、たくさんの種を撒いた。

    土の中にも、心の中にも。

    それらは、確かに発芽し、なじみ合いをしながら、根や葉を茂らせている。

    明峯さんは、きっと、そのことに確信を抱いて永眠されたはずだ。

     

    僕は、主に、教育というフィールドで心の中に種を撒き続ける。

    当たり前のことだが、僕にも死ぬときが来る。

    たくさんの種を撒き、「生態系」を育んでいき、自分が、その一部として、そこに貢献できたという確信があれば、自分は安らかに生き物としての「生」を終えられる気がする。

    自由な人たちの命は、繋がっていく。

    明峯さん、心より、ご冥福をお祈りします。

     

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(4)

    農業生物学者から教わったこと(4)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    明峯さんは、大学院生時代に学生運動に身を投じた後、大学院を中退し「在野の科学者」という生き方を選んだ。大学院の博士課程3年で中退して予備校講師になり、生き方に迷っていた僕にとっては、「在野の科学者」という生き方は、希望の光だった。在野だからこそできることは何かということをいつも考えていた。

    明峯さんが亡くなられた後、遺稿をまとめて出版された『有機農業・自然農法の技術』の第5章 農業生物学を志して には、明峯さんがどんな思いを持って生きていたのかが率直に書き綴ってある。

    農業生物学の2つの意味

    明峯さんは、自分のことを「農業生物学者」と呼び、自分の肩書を「農業生物学研究室主宰」としてきた。

    農業生物学は、明峯さんのアイデンティティだといってよい。

    しかし、その実態はどこにあるのだろうか?

    明峯さんは、農業生物学についてこのように書いている。

    農業生物学っていったい何だろうということなんですが、実態としてはこんな学問はどこにもない。いまだかつてなかったし、これからもおそらくまずないだろうと思います。だけど、農業生物学っていう名称が使われていないわけではない。大げさに言うと、生物学の歴史、あるいは農学の歴史のひとつのアプローチと言ってもいいかもしれません。

    実態がない「農業生物学」に、明峯さんは生涯こだわった。いったいそれはなぜなのだろうか?

    この本を読んで、はじめてその理由が分かったような気がした。

    明峯さんにとって、「農業生物学」という名前との関わりは2つあった。

     

    1つ目は、明峯さんが所属していたのが北海道大学農学部農業生物学科植物生理学研究室だったこと。そこには、「農業生物学科」という名前がついていた。

    明峯さんは、大学院生だった明峯さんは、全共闘に加わり、農業生物学という学問はあるのかないのかという議論を教授たちとやったのだそうだ。明峯さんは、

    現実にはそのようなものはないのだということを確認することが、僕たちの一つの目的だった。

    と書いている。

    このとき、明峯さんがどのようなことを考えていたのかは、当時の北大の大学闘争の状況を知らない僕には想像することは難しい。だが、明峯さんは、大きな夢とロマンを持ち、研究者としての道を歩んでいたことは間違いない。それは、この言葉からもひしひしと伝わってくる。

    大学院生のころ、僕は生理学あるいは生化学という分野に身を置いて、細胞レベルで、ある細胞にある環境条件を与えるとその細胞がうまく環境に適応していくように振る舞う具体的な様子と仕組みを、細胞レベルあるいは物質レベルで調べたいと思っていました。ぼくが研究者としてとどまるのであれば、これをライフワークにしたいと思っていました。でも、それは潰えたわけです。

    これは、全くの想像だから間違っているかもしれないが、明峯さんは、「大学で農業生物学を研究すること」が、日本のヒエラルキー構造の中に組み込まれて存在することに真剣に向き合ったのではないかと思う。

    1970年代に国が農学部に求めていたものは食糧増産であり、国から研究費を支給されている大学の研究者は国の意図から離れてどれだけ自由にやれただろうか。

    20世紀の大量生産型の農業を推し進めるための学問が求められる中で、学問的に独立した「農業生物学」というものは存在し得るのだろうか。

    明峯さんは、自らの大学闘争を次のように総括する。

    1960-70年代にかけては、まだ緩やかな時代でした。科学は自由にできるんじゃないかというようなことが、まったくなかったわけじゃない。しかし、そんなことは幻想だと考えて、アカデミズムにいることは潔しとしないというふうに、僕たちは総括することになります。

    明峯さん、実際には存在しなかった自由な科学としての「農業生物学」というものを思い描き、それを自分のアイデンティティにしたのだと思う。

     

    もう1つは、旧ソビエトの生物学者、ルイセンコが1954年に出版した本の名前である『農業生物学』。

    ルイセンコは、ヘーゲル哲学の弁証法を生物進化の原理に据え、共産主義のイデオロギーに基づく独自の生物学を創り上げた。

    生物が環境にどのように適応していくのかということに強い関心を持っていた明峯さんが、ルイセンコに惹かれるのは、自然なことだったと思う。

    しかし、一方で、ルイセンコは、スターリンやフルシチョフのもとでソビエトの国家権力の中枢に座り、ルイセンコに反対してメンデル遺伝学ニコライ・ヴァヴィロフを「ブルジョア的エセ科学者」と非難して逮捕、獄死させたということでも有名であり、獲得形質遺伝を唱えたことで、メインストリームの生物学から疑似科学の烙印を押された人物である。

    学会などで、「ルイセンコ生物学」の話を持ち出しようものなら、エセ科学者のレッテルを張られてしまうことを覚悟しなくてはならないだろう。

    だから、

    ぼくはルイセンコの学説に、学生時代にものすごく惹かれました。ルイセンコは戦後まもなく、僕らの父親の世代にいろいろと議論され、ぼくはそれから15年経った後の世代なんですが、すごく惹かれたのです。

     というように、ルイセンコのことを肯定的に語るのは、実は、とても勇気の必要なことなのだ。僕は、この本を読んで、こんなにはっきりとルイセンコについて書いてあることに驚いた。明峯さんは、自分の信念について語る上で、大きな影響を受けたルイセンコについて語らずにはおられなかったのだろう。

     

    僕は、予備校の講師室で明峯さんから表紙がボロボロになった本を渡された。それが、明峯さんにとって大切な本だということはすぐに分かった。

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    それが、僕とルイセンコとの出会いだった。ルイセンコの言葉は、僕の心にも響いた。明峯さんの言葉を引用する。

    ところが、ルイセンコは遺伝子の存在を否定している。つまり、細胞全体が遺伝子であり、核の中にある小さな遺伝子みたいなものに細胞が牛耳られるはずがないと。細胞全体あるいは生命体全体が遺伝子的働きをする主体であって、したがって細胞や主体全体に環境がある一定の影響を及ぼす。遺伝子が変化するのではなくて、細胞全体あるいは生命体全体が環境にすり寄っていくということなんだと彼は言う。

    そして、ルイセンコの言葉に対して、明峯さんは、「ぼくなんかは今でもそう思っています」と述べる。明峯さんは、ソヴィエト生物学、あるいはルイセンコ農業生物学全体を支持するわけではないが、ルイセンコが夢想した生命観はこれからの時代に有効性があると述べる。

    明峯さんの「農業生物学」には、ルイセンコが夢想した生命観、つまり、生物と環境が一体となってなじみ合うという生命観も含まれているのだと思う。

     

     
    エピジェネティクスが出てきて状況は少し変わったが、少し前までは、公の場で獲得形質遺伝を肯定したり、ルイセンコを肯定したりすることは、学者としての「死」を意味していたといっても過言ではない。
     
    でも、明峯さんの心の中では、ルイセンコの言葉が強く響いていて、それが、明峯さんの中で葛藤を生み出していた。
     
    「いつか、ルイセンコについてはまとめなくちゃいけない。」
     
    と、何度も言っていた。

    明峯さんは、このように書いている。

    農業生物学というのはそういう世界(植物が環境にだんだんなじんでいき、それが種子によってつながれていく世界)を表現する言葉でもあったのです。ルイセンコが『農業生物学』という教科書で書いた世界は、現在ではほぼ否定されていて、正統的な生物学者からはほとんど無視されている状態にあります。いまだにルイセンコに後ろ髪をひかれているのはぼくひとりくらいかもしれないし、いずれにしても少数派です。

    この本を読んで、明峯さんは、ルイセンコについて、ちゃんとけりをつけたんだなと思った。

    だから、僕自身も10年以上かけて、明峯さんとの対話を通して考えてきた獲得形質遺伝についての自分の仮説を書く。
     
    信じていることを率直に表現していくことは美しいということに気づいたから。

     

    情報はどこに蓄えられるのか

    生物は、情報をどのようにして蓄えるのだろうか?

    記録装置をデータとプログラムに分け、データをマシンが読み取ってプログラムが動くというのがノイマン型コンピューターであり、細胞はノイマン型コンピューターとのアナロジーで理解されることが多い。

    DNAがデータを格納しているテープであり、mRNAやリボソームがそれを読み取ってタンパク質を合成し、タンパク質が細胞内のプログラムとして機能を発現させていくというようにである。分子生物学が作りあげた細胞のイメージは、まさに「機械」を想起させるものだ。

    これは、むしろ当然かもしれない。19世紀以降、機械論的世界観のパラダイムによって科学は進んできており、生物を機械論的世界観に基づいて、いわば、分子機械として理解しようとする試みが分子生物学だからだ。その結果として浮かび上がってくる生物像は、当然、「機械」のようなものであろう。人間は見たいように見るからだ。科学も時代の精神に大きく制約されているのだ。

    しかし、生物は一方で自律分散システムであることを忘れてはいけないと思う。

    多細胞生物の細胞は高度に機能分化しているが、もとは、一つの受精卵から分裂したものであり、すべての細胞が同じDNAを持つ。

    同じDNAを持つ細胞群が、相互コミュニケーションにより役割分担を決め、機能分化していくのだ。

    機能分化した後の構造を見て、「機械」とのアナロジーで理解することは可能かもしれないが、生物は、環境に応じて異なる構造を創り上げる。明峯さんの言葉を借りれば融通無碍な存在なのだ。「機械」として理解しようとすると、生物の融通無碍な部分が抜け落ちてくる。

     

    情報を記録する器官といえば、なんといっても脳であろう。

    脳は興奮性素子であるニューロン細胞が集まっているネットワークである。ニューロン細胞が相互作用を行う中でマクロな時空間パターンが生じるようになり、それによって機能分化が起こり、緩やかな機能の局在が起こる。

    脳の一部が損傷すると、それによって、手足の麻痺が起こるなど、特定の機能が損失する。それを、機械論的な見方で解釈すると、その損失した箇所に「手足を動かす」という情報が蓄えられているということになる。その考えを極端にしたものが「おばあちゃん細胞」である。おばあちゃんの記憶をコードしている細胞(または、細胞群)があって、その脳細胞が死ぬことがおばあちゃんを忘れるということに対応するという考えである。しかし、脳の一部が損傷しているのにもかかわらず、他の部分が補完的に働き機能を回復するということも起こる。生物は融通無碍な性質を発揮するのだ。

    コンピューターの発達により、脳の一部を壊して機能の損失を調べる以外の方法が可能になった。ニューラルネットワークをコンピューター上に作り、構成論的に脳を理解する方法である。ニューラルネットでは、外部からの入力と出力をネットワークで結び、評価関数によって評価しながら、ネットワークの結合強度を少しずつ変化させていきネットワークを最適化していく。ニューラルネットワークにおいて情報はどこに蓄えられるのだろうか?特定のニューロン素子では決してない。ネットワークの結合強度分布全体に情報が練りこまれているのだ。

     

    これは、言語習得についての議論を思い起こさせる。文法は生得的に獲得されているのか、それとも、後天的に獲得されるのかという議論だ。この問題対してエルマンは、エルマンネットというニューラルネットワークを組み、「次に来る語を予想する」という問題に対する学習を行った。ある程度以上のデータを用いて学習を行った後、ネットワークは、次に来る語を予想するようになったが、驚いたことに、主語の後に予想される語群は動詞や助動詞であるというように、あたかも文法を獲得したかのような振る舞いを見せた。では、文法の知識はどこにコード化されているのか?ニューラルネットの一部のニューロン素子を取り除けば、ネットワークは文法の知識を失うだろう。では、そのニューロン素子に「文法知識」がコードされていたのだろうか?そんなことはないだろう。文法知識は、ネットワークの結合強度を少しずつ調整していく中で、ネットワーク全体の機能として獲得されたのだ。

     

    ネットワーク学習をするのは脳細胞のような神経細胞だけではない。体細胞もネットワーク学習をする。粘菌細胞は、興奮性を示し、流動的に形を変えることでネットワーク構造を変化させる。情報系と力学系とが相互に影響し合っているのだ。脳細胞が電気パルスを通して情報のやり取りをするのに対して、粘菌細胞は化学物質の濃度の波を通して情報のやり取りをする。しかし、どちらも興奮性を示す素子であり、情報のやり取りに応じてネットワークの構造を変化させていくという点では同じである。

    2008年、当時、北海道大学で研究していた中垣俊之さんは、粘菌の情報処理能力の研究を行っていた。中垣さんは、粘菌のネットワークが迷路を解いたり、記憶を保持したりすることができることを示した。参考記事はこちら これは、粘菌の形態形成の数理を研究していた僕にとっては全く驚くことではない。なぜなら、粘菌のシミュレーションに使われる興奮性の数理モデルは、ニューロンの研究から見つかったものと同じものを使っていたからだ。数理モデルのレベルでは、脳と粘菌の間には、大きな違いがなかったわけで、脳と粘菌とのアナロジーを最初から意識しながら研究していた。

    中垣さんの研究では、粘菌細胞は、周期的な環境の温度変化を記憶する。この記憶は、多核単細胞である真正粘菌のどれか1つの核にコードされているのだろうか?そんなはずはないだろう。粘菌細胞の形、つまり、ネットワーク構造の中に練りこまれているはずだ。

     

    このように考えていくと、「生物は、ネットワークのつなぎ方を少しずつ変えながら、ネットワークの中に様々な情報を蓄え、必要に応じてそれを使っていく」ということを生物の原理に据えたくなってくる。

    神経ネットワークも、体細胞ネットワークも、その原理に従っているように見える。

    では、遺伝子ネットワークはどうなんだろうか?

    遺伝子の機能を調べる方法は、「ノックアウト」という方法である。特定の遺伝子を壊したときに、どんな機能が失われるのかを調べ、遺伝子と機能とが一対一に対応しているという前提のもとに、その遺伝子に「●●遺伝子」という名前をつけていく。

    ある遺伝子を破壊したマウスが肥満傾向を示したら、その遺伝子を「肥満遺伝子」と名付けるというような具合である。

    これは、脳の一部を損傷したときに失われた機能と、その損傷部位とを1対1に対応させたのと同じロジックであるが、脳においてはすでにそのロジックは崩れている。

    細胞内の遺伝子を含むネットワークも学習しているのではないか?

    学習によって獲得された知識はどこに蓄えられるのか?

    それは、遺伝子のように局在するものではない。たとえその部分をノックアウトしたときに特定の機能が失われたとしても、それは、その機能がその遺伝子にコードされていることを意味しない。福岡伸一が『動的平衡』の中で述べたように、別のルートが現れて、失われた機能を補うといったような融通無碍な性質を、生物はここでも見せるのだ。

    学習した情報は、ネットワーク全体の結合強度分布に練りこまれているのではないか?

    だとしたら、ネットワークの結合強度分布を調整している非コードDNAの発現調整こそが重要であり、それを担っているエピジェネティクス情報、つまり、DNAメチル化の分布などがネットワーク学習を反映しており、学習成果をエピジェネティクス情報として次世代へ受け継いでいくことが、獲得形質遺伝なのではないか。

    もう少し詳しく説明しよう。

    DNAには、タンパク質をコードしている領域と、コードしていない領域がある。タンパク質をコードしていない領域は大野乾によってジャンクDNAと名付けられたが、近年になり、その領域が果たしている役割が明らかになってきた。そこには、タンパク質に翻訳されないRNAがコードされていて、そのRNAが転写調節など、様々な役割を担っているということが分かってきたのだ。

    高等生物になるほど、非コード領域が豊かになっていく。この部分を複雑化させていくことで、システムを複雑化させていったように見える。

    DNAにコードされた情報のすべてが発現するわけではない。DNAの表面には「メチル基」などの蓋があり、その蓋がどこについているかによって発現する箇所が変わってくる。DNAメチル化などDNAを修飾しているものをエピジェネティクスと言う。同じDNAであるのにもかかわらず細胞が違った性質を示すのは、エピジェネティクス情報が異なるからである。

    エピジェネティクス情報は、環境との相互作用によって変化し、それによって細胞の環境応答の仕方が変わってくる。エピジェネティクスは環境との相互作用で変化するのだ。ES細胞と分化した細胞との違いもエピジェネティクス情報の違いであるから、iPS細胞のようにうまい条件を見つけてエピジェネティクス情報を書き換えてやれば、ES細胞を作ることも可能である。

    そして、このエピジェネティクス情報は、植物においても、動物においても、次世代に受け継がれることが実験によって確かめられている。つまり、その生物個体が環境とのやり取りをする中で刻んだエピジェネティクス情報が、次世代に伝わるのだから、これは、獲得形質の遺伝に他ならない。

    エピジェネティクスは、多くの非コード領域の発現に関わっているのだから、細胞内ネットワークの結合強度分布の調整に関わっているはずだ。

    細胞内ネットワークが環境とのやり取りの中で「ネットワーク学習」した結果が、エピジェネティクス情報としてDNA表面に刻まれ、それが次世代に受け継がれていくというのが、僕が考えていることだ。

     

    これが、明峯さんとの対話の中から、「在野の研究者」として、10年以上かけてたどり着いた獲得形質遺伝についての僕の仮説だ。

    結果として、ルイセンコの言っていたことに近づいてきた。

    細胞内の反応経路は日進月歩で明らかになり、その情報はデーターベース化されている。そのビッグデータを使って様々な情報を取り出すバイオインフォマティックスという分野も生まれている。さらに、それらをシステムとして組み上げるシステム生物学という分野も生まれている。

    その中で、細胞内のネットワークがどのような振る舞いをしているのかが検証されてくるのではないかと思う。

    遺伝子は、もしかしたらシステムの中でレバレッジが効く位置を占めているのかもしれないが、それは、システムがあってこそ意味を持つ。

    1対1対応は言語によって理解しやすい。それに対して、ネットワーク学習は言語による理解を拒む。だが、理解しやすいことが真実だとは限らない。

     

    (5)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(3)

    農業生物学者から教わったこと(3)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    僕の今の問題意識の多くは311の後の活動を通して生まれたものだ。明峯さんとよく話していたのは2010年ころまでで、その頃は、明峯さんの話の多くを理解できていなかった。今、明峯さんの本を読むと、以前は理解できなかったことが、少しずつ理解できる。

    植物の環境への適応

    明峯さんのことを思い出すとき、「環境応答能力」という言葉が一緒に思い出される。それは、明峯さんの農業生物学を支えるキーワードであると同時に、僕の生物の自己組織化論を支えるキーワードでもある。
     
    書籍の第3章では、この「環境応答能力」がメインテーマになっていて、明峯節が思いっきり展開されている。

    明峯さんの思考方法は、20世紀の科学者のものではなく、18世紀以前の哲学者たちのものに近い。明峯さんの文章からは、デカルトやゲーテと同じ香りがする。

    アカデミックな世界を去った明峯さんは、実験や分析をすることが不可能になった。しかし、その代りに、植物を実際に眺めたり、民間農法の様々な事例を学んだりし、それを統一的に説明できるような説明原理を常に考えるという総合的な視点を得たのかもしれない。長い時間をかけた思考の末に結晶化してきたものが、「植物は動かない。だから、環境に適応して生きる力がある。」ということと、「植物は脱出する」という植物の2面性を原理に据えるということだったのだと思う。
     
    近代科学が植物を見る目と、明峯さんが植物を見る目は、全く違う。
     
    近代科学において、植物は、徹底的に「対象」である。植物は様々な分析にかけられ、データを取られ、数値化される。

    それに対して明峯さんは、植物を自分と同じ生き物として、ともに地球上に生きる存在として捉える。だから、植物は、頻繁に擬人化される。ときには、自分自身が植物になってみることもある。

    ニンニクは基本的には、側球が分かれての繁殖です。そのために根は太っているのに、なぜそれに加えてミニチュアの珠芽があるのか。無駄のように見えるけど、なぜなのか。ニンニクの身になって考えてみた。

    ニンニクの身になって考えてみたりするのだ。

    科学の分析的な手法に対して、明峯さんは、ものごとの全体を捉え、それを意味づけようとする。

    科学が専門分化して蛸壺化していく中で、誰が全体を見ているのだろうか?そこに在野の研究者の存在意義があるように思う。

    明峯さんがやってきたことは、後に続く僕にとって希望の道である。

    作物を作れば作るほど土は良くなる

    この章では、「連作」についての常識に挑戦している。
     
    一般的な考え方では、農作物は特定の栄養物を土壌から奪う。だから、輪作を工夫してきた。

    一方、自然農法の岡田茂吉氏は、連作こそが大事だと主張する。

    明峯さんは、植物の環境応答能力を説明原理にして、自然農法の連作主義の解明に取り組む。

    植物は与えられた環境に応答し、自分自身を変えていく融通無碍な力がある。土と植物の関係として言えば、植物は与えられた土地になじんでいく。それは環境応答能力であるのだが、同時にそれは環境形成能力であるということもできる。植物には環境を形成する能力がある。植物は土を変える力もある。岡田茂吉氏の提唱される連作主義は、そのことを言っているのかもしれません。

    明峯さんは、自然農法の岡田氏の「作物を作れば作るほど土は良くなる」という言葉を、お互いになじみあうということだと言っている。
     
    これは、植物が植物を育てていく自己触媒的な原理と矛盾しない。
     
    では、世代を超えてどうやってなじむのか?

    ネオダーウィニズム的に考えると、作物の遺伝的多様性の中から環境にあったものが選択される自然選択によって「なじんでいく」という説明になるだろう。
     
    しかし、明峯さんの目は、1つ1つの植物の生きていく力に向かう。植物自身に環境に適応し、環境を作り変えていく能動的な力があると考える。明峯さんが長年の付き合いの中から感じ取った植物は、融通無碍な力を持って自由自在に形を変えていく存在であり、ネオ・ダーウィニズムの受動的に選択される植物のイメージとは重ならない。
     
    明峯さんは、必然的に獲得形質の遺伝の問題に踏み込んでいくことになる。

    一方、自己組織化現象が宇宙の摂理だと考える僕にとって、複雑化していく宇宙の一部である生命が自己組織化的な存在であるというのは、もはや信念のレベルである。だから、そんな僕にとって環境から遺伝子への情報の流れは存在しないというセントラルドグマは、のど元に刺さる棘だった。
     
    しかし、獲得形質の遺伝は、生物の歴史の中で何度も議論され、そのたびに否定されてきたもの。その一番の弱点は、説明できるメカニズムが存在しないということだった。

    「環境応答の能力」を植物の原理に据える明峯さんと、「自己組織化の原理」を宇宙の摂理に据える僕にとって、獲得形質の遺伝は、どうしても乗り越えなくてはならない共通の壁になった。
     
    カンメラー、ミチューリン、ルイセンコ、大野乾、今西錦司などについて議論を交わした。

    そうこうしているうちに、時代は変遷し、エピジェネティクス情報が世代を超えて遺伝することが発見された。イネやマウスで獲得形質の遺伝が起こることが実験によって確かめられ、Nature等に掲載された。これは、明峯さんと僕にとって大変大きな出来事だった。

    探してみると、世界中には、獲得形質の遺伝の存在を信じつつも息を潜めていた生物学者がたくさんいた。エピジェネティクスによって獲得形質が遺伝可能だということになり、彼らは一気に活動を活性化させてきた。

    生物学の常識が書き換わると思って興奮した。その中で、自分も何かをしたいと思い、「エピジェネティクス進化論」というWebサイトを作った。海外の研究者に英語でメールをしまくった。

    生物個体のイメージが、環境から選択されるだけの無力な存在ではなく、様々な可能性を模索しながら自由自在に姿を変え環境応答力と環境形成力によって自然に適応していくものへと変わっていくことには意味があるように思えた。ダーウィニズムが社会に与えた影響は大きく、キャピタリズムを肯定する理論的根拠にも使われた。だから、生物や生態系が実は「なじみあい」のようなものであるということが広がっていくことで、もっと共生的な社会の在り方について考えていこうという動きが生み出せるのではないかという思いもあった。

    エピジェネティクス関係の記事や論文を見つけては、明峯さんにメールで送った。

    当時のメールのやり取りの一部を紹介する。

    明峯先生

    田原です。
    いつもお世話になっております。

    先日、エピジェネティクスを引き続き調べていて、ニューズウィークの記事も見つけました。
    医療関係での注目度も大きいようです。
    http://mui-therapy.org/newfinding/epigenetics.html

    いただいた有機農業の本の感想は、少しお時間をください。

    田原さま

     メールありがとうございました。
     資料、読みました。ニューズウィークらしく、何でもメチレーションで解決できるとばかりの、ややセンセーショナルな記事ですね。
     いずれにしても、獲得形質の遺伝のメカニズムの可能性の一つとして、エピジェネティックスの勉強をつづけていきましょう。いつも刺激を与えていただいて、感謝しています。
     僕は、あしたからは札幌の農学校の講義です。北海道は少しはすずしいかしら。
     また会いましょう。お元気で。
       明峯100826

    明峯さんのおかげで、学ぶ意欲に火がついた。

    13年ぶりに研究を再開しようと思い、近所の国立大学へ行き、研究生として大学の施設を使わせてもらうように頼みに行った。エピジェネティクスと獲得形質の遺伝を結びつけるメカニズムについての仮説を思い付き、それを検証してみたいと思ったのだ。
     
    しかし、そういったことすべてが、2011年3月11日の東日本大震災によって白紙になった。

     

    (4)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(2)

    農業生物学者から教わったこと(2)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    明峯さんの本を読み返すと、いろんなことが思い出される。

    低投入・持続型農業

    第2章 低投入・持続型農業の作物栽培論 は、生物を学んだ人ならだれもが思う素朴な疑問に正面から取り組んでいる。

    明峯さんは、この章を次の言葉から始める。

    持続型農業の条件として、省資源と省エネルギーが挙げられます。農業は本来、資源やエネルギーはあまり使用・消費せず、むしろ資源やエネルギーを生み出す営みでした。太陽エネルギーのデンプンへの転換を中軸においた農業は、エネルギーを生み出す産業だったのに、近代農業においてはエネルギーをたくさん使うようになってしまっている。投入を減らすことができる農業への回帰こそが、長続きする農業、持続型の農業だと言えるでしょう。

    どの生物の教科書にも

    生産者:植物

    消費者:動物

    分解者:菌類・細菌類

    と書かれていて、すべてのエネルギーの素は、太陽エネルギーを植物が光合成するところから始まることが説明されている。

    しかし、近代農業では、明峯さんが指摘するように、ハーバー・ボッシュ法により空気中の窒素から窒素化合物を合成して作った化学肥料(硫安など)を土壌に投入して農作物を育てている。大量の窒素肥料を投入すれば、その結果として収穫が増えるという論理だ。窒素化合物の合成には、大量の石油エネルギーが使われているから、ちっとも「生産者」ではなく、農作物もエネルギーの消費者になっているのだ。

    いつかは必ず枯渇する石油に依存せずに、植物に、本来の姿である「生産者」としての役割をしてもらう持続型農業をやっていくべきだという明峯さんの主張は、正論中の正論だ。

    ちょっと考えれば、誰が考えてもおかしいようなことがまかり通っている。そして、それは農業だけじゃない。

    化学肥料と除草剤を使って農作物を周りの生態系から切り離して育てる近代農業は、周りの環境との相互作用を断絶させることによって「再現可能」な孤立系を作り出し、科学的な知を利用できる状況を作る。

    一方で、有機農業や自然農法は、農場を生態系の一部として捉え、周りの環境と切り離さず、むしろ積極的に繋げていくように見える。そこには、近代科学的な知ではなく、複雑系的なセンスが求められる。計算通りに農作物を管理するのではなく、そこで起こっていることを観察し、耳を傾け、必要に応じて介入していく。

    農作物だけのことを考えるのではなく、土壌生態系、森林生態系などが豊かに成長していけば、結果として農作物である植物もいっしょに成長していくのだと考える。

    閉じ込めて管理するのは支配者の思考。支配者は、管理する者の生命力を弱めて出ていけないようにする。

    農民を管理し、化学肥料や除草剤に依存する農業を指導することで農民の知恵は失われて力は弱まり、支配されやすくなっていく。

    そして、その農民が農作物を化学肥料と除草剤でじゃぶじゃぶにすることで、農作物の生命力は弱まっていく。

    明峯さんがやろうとしていたことは、この悪循環を断ち切って逆回ししていき、農作物と農民の生命力を取り戻していこうということだ。

    農民は、化学肥料や除草剤に依存する代わりに、植物について学び、植物の生命力を最大限に引き出す知恵を蓄積していく。植物は干渉の少ない環境で、本来の環境応答能力を取り戻し、周りの生態系と調和しながら育っていき、「生産者」としての役割を果たす。

    明峯さんが志した「農業生物学」は、そのような意識革命を促すようなものであったと思う。

    この構造は、20世紀型の教育にも当てはまる。学習指導要領や検定教科書を設定し、受験制度によって競争を煽ることで教師は教育システムから管理されていく。教育システムによる支配を内面化した教師は、教室で生徒の自由を奪い、一方的に知識をインストールしていく。その結果、生徒の生命力は弱まっていく。

    しかし、生徒は知識を流し込む器ではなく、自ら生命力を発揮して伸びていくことができる存在だ。その視点に立ち、教師が意識革命を起こして、生徒の生命力を高めるためにカウンセリングやコーチングを学んだり、生徒同士の生態系を豊かにしていくためにファシリテーションを学び、アクティブラーニングや反転授業などを導入していくと、生徒の生命力は高まり、上から下に降りてきた支配の矢印を下から上に逆転させていくことができる。

    20世紀型の思想は、分野を超えて浸透している。そして、それを超えていこうという動きは、分野を超えてシンクロしている。

    草も、森も、農作物も、子どもたちも、僕たちも、生命力を持った生命だ。

    どのようにすれば生命力を発揮できるのか、それを支援できるのか、その知恵を蓄積して広めていくことが力になる。

    鳥インフルエンザ事件

    2005年6月に茨城県水海道市内の養鶏場でH5N2亜型の鳥インフルエンザの発生が確認された。感染地域が茨城県と埼玉県の一部の養鶏場に拡大していることが確認され、約150万羽が主に焼却処分された。このとき、明峯さんは本当に怒っていた。そして、次の文章を書いた。

    鶏の大量処分を悲しむ …人と家畜との付き合い方の問い直しを
    通信888号記事

    明峯哲夫 : 元・自然養鶏家.

     茨城県の養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、昨年に続きまたもや何万羽という鶏が処分された。かつて養鶏に従事した経験のある私にとって、鶏の大量処分はやりきれない。

     私の携わった養鶏では、鶏を自然に近い状態で飼育する。広い土間にたっぷりと稲わらを切り込み、鶏たちに充分な運動と、自然の換気・採光を保障する。緑餌を充分に与える。群れには雄を配し、自然な生理を尊重する。糞は、播餌として与える穀物の粒を探す鶏の脚でよく攪拌され、わらや土と混じり合いやがてサラサラの堆肥となる。彼らは播餌と共に自らの排泄物を口にし、微生物の微弱な感染を受け、そこで得た免疫力で身を守る。

     私は今回の事件で最も危惧するのは、インフルエンザの原因ウイルスの抗体を持つ個体がいたという理由で、近隣の養鶏場の全群の鶏が処分された点である。抗体を持つことは免疫力で発症を抑えている状態、つまり鶏が健やかである証拠ではないのか。そのことに人は(この社会は)なぜ恐れるのだろう。私にはその恐怖は、現在の工業化した大規模養鶏を所与の条件と考えることから生まれていると思われる。

     密閉された空間に、身動きできない程大量の鶏を閉じ込める。これが現在の工業的な鶏飼育法である。しかし一瞬のスキに、その密室に病原体が紛れ込めばどうなるか。自然の状態から隔離され虚弱化している鶏の体に、病原体は瞬く間に侵入し、個体間で際限のない病原体のキャッチボールが始まる。こうして病原体は一気に濃縮される。幸い、今回のウイルスは弱毒型で、鶏の大量死は起きなかった。それでもそれに恐怖するのは、こうした密室内での感染の連鎖により突然変異の頻度が上昇し、強毒型(鶏たちを死に至らしめ、人にも強い感染力を持つ)の出現がありうると考えるからであろう。

     鶏を外界から完全に隔離することは技術的に困難だ。何よりもそうすることで鶏たちの生命力を奪う。むしろ病原体は常に身の回りにいると考え、それに耐えられる鶏の育て方を工夫すべきではないか。鶏の個体(群)を病原から切り離すことばかり考えるのではなく、それらと病原体との間に微妙な生理的・生態的平衡を維持する。そのような状態を演出することにこそ、人は知恵を巡らせるべきだろう。

     鳥インフルエンザが発生する度に、零細な農家養鶏が目の仇にされるのが私には辛い。これらの多くは衛生状態が悪く、ウイルスの発生源になるというのだ。けれども以上述べたように、鳥インフルエンザの大量発生は、養鶏業の大規模化にこそその根本要因がある。小規模な養鶏はむしろ被害者というべきではないのか。

     人への悪性のインフルエンザ発生を恐れるあまり、その発生源としてのニワトリ、アヒル、ブタなどの動物までも目の仇にすることがあってはならない。これらの家畜と人との間に共通のウイルスが存在することは、人間とこれらの動物とが歴史的に長い関わりをもってきたことの証拠でもある。自らの安寧を願うあまり、これらの動物を恐れ、敵視し、彼らの大量処分も辞さない現在の社会のあり方を悲しむのは、私だけではあるまい。人間と家畜たちとの付き合い方が、あらためて問われている。

    安全な食べ物ネットワークAlterさんのこちらの記事を許可をいただいて転載しました。

    明峯さんの考え方は一貫している。すべてを管理して支配しようとする心が、管理しきれない状況に対して恐怖を生み出すのだと。

    管理を手放して、相手を生命力のある存在だと認め、生命と生命としての関係性を結び、共生していくとき、恐怖は生まれない。

    恐怖は、自分が生み出している。

     

    (3)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(1)

    農業生物学者から教わったこと(1)

    2014年9月に亡くなった農業生物学者の明峯哲夫さんの本が届いた。

    実は、これまでに明峯さんが書いた原稿を、たくさん読んできた。同じ予備校で10年間、一緒に働いていて、講師室でプリントアウトした原稿を渡されて感想を求められることが多かったからだ。明峯さんの原稿を読んで、それをもとに話し合うのは、僕にとって楽しみなことだった。

    でも、今回、この本を読んで、断片的に聞いてきた明峯さんの考えの全体像が見えてきた。これまでに話してきたたくさんのことの背景が見えてきて、改めていろんな気づきがあった。それだけじゃなく、最後に話してから数年の間に、明峯さんの思考は進化し続けていた。たぶん最近考えたんだろうと思われることもたくさん書いていった。

    最初は、本のレビューを1つの記事で書こうと思ったが、本を読んだら、明峯さんとのいろんな思い出がよみがえってきてしまった。それは、僕にとって本当に大切な思い出なので、ここに書き綴っておきたい。

    話は、脈絡なくあちこちに飛ぶと思うが、ときどき、本の内容に戻ってこようと思う。ちょっと長くなりそうなので、記事のタイトルに番号をつけた。何回かの連載になると思う。

    植物が植物を育てる

    この本の第1章は、

    第1章 植物成長の原理 ― 植物が植物を育てる ―

    というタイトルである。これは、生命の自己触媒的なプロセスを原理に据えていることを意味している。

    大学院で複雑系や自己組織化現象を研究し、自己組織化の頂点として生物の自己組織化を研究テーマに選んだ僕にとっては、生物は自己触媒的なプロセスによって自己組織化する存在である。

    だから、明峯さんの本の最初の一文

    「農業は謎に満ちた営みです。生命の複雑系です。分からないことがたくさんあります。」

    という言葉には心の底からうなづける。

    この言葉は、機械論的世界観に基づいて推し進められた工場経営のような農業に対するアンチテーゼだ。植物を一定のインプットに対して一定のアウトプットを返してくる単純な機械のようなものだと見なし、周りと隔離した孤立系における実験結果を積み重ねて「理解した」と言い切る20世紀型の科学的アプローチに対して、そうじゃないと主張しているのだ。

    単純なインプットーアウトプット系として植物を捉える代わりに、明峯さんが原理に据えたのは、

    (1)植物は自然に育つ
    (2)植物を育てるのは植物だ
    (3)その秘密は土の中の有機炭素蓄積にある

    の3つ。

    最初の原理は、人間から農作物と名付けられている植物も生き物だという主張だ。進化の中で、人間の手を借りなくても生き物として育つことのできる力を持っているということに立ち返って、その力を引き出していこうということだ。

    次の原理は、植物は生態系ネットワークの中で共生的に生きているということだと思う。生態系ネットワークが豊かに育っていくことで、ネットワークに加わっているすべての生き物が栄えていくということなのではないだろうか。

    3つ目の原理は、栄養である窒素化合物と作物との2者の関係で捉えるのではなく、窒素と炭素循環系を含む土壌生態系をシステム思考的に考えたときに、明峯さんは、有機炭素がスターター、または、アクティベーターとして働き、土壌生態系のサイクルが回りだすということを主張する。これは、農業の教科書とは異なる見解なのだそうだ。

    複雑系を学んできた僕にとっては、このような考え方は、とてもなじみがあるものだ。

    自己組織化の原理は、非平衡開放系において正のフィードバック(自己触媒的なはたらき)が起こることだ。

    アクティベーターがわずかな揺らぎを増幅させて構造化していき、やがて、インヒビターがその動きを抑えて定常状態になり、次第にインヒビターの働きが強くなっていって減衰していくというサイクルが1回きりで終わる場合もあるし、振動的に反復するときもある。この系を含む、もう一階層上の上部システムが、より遅い周期でサイクルを回し、上部サイクルと下部サイクルとは相互に影響し合う・・・。これが、自己組織化的な世界観だ。

    このような観点から植物の世界を見ると、1年草が短いサイクルを繰り返す一方で、森林系などの上部システムがゆっくりとしたサイクルで動いているように見える。

    すべては相互に密接に関連していて、複雑にネットワーク化している。その中の2つを取り出して2者の関係として論じることに意味がない。

    複雑に張り巡らされたネットワークの一部を変化させたときに、ネットワーク全体がどのような影響を受けるということを予想することはほぼ不可能なのだ。

    20世紀型の科学的な知は、理想的な環境を周りから隔離することによって得られるものだ。しかし、隔離した外側にも自然があり、隔離するという行為によってネットワークは影響を受ける。それを無視することによって20世紀型の科学的な知は成り立っている。

    そのようなあり方に対するアンチテーゼを掲げて、明峯さんは、新しい農業のあり方を第一原理から再構築しようとしている。

    第一章の一行目から、明峯さんの想いが溢れている。

    在野の研究者としての生き方

    大学院の博士課程を中退して予備校講師になったころ、僕は、何を目指して生きていけばよいのかが分からなかった。

    物理学の世界で研究者になるというのは、子どものころからの夢だったし、それが叶う寸前まで来ていた。

    でも、同時に、科学が持つ傲慢さや、社会に存在するヒエラルキーに気づくようになり、子どものころのような無邪気な気持ちで物理学の研究者を目指すことも出来なくなっていた。

    僕が予備校の講師室で明峯さんと出会ったのは、そんな迷いに迷っていた時代だった。

    僕から見た明峯さんは、いつも凛としていた。

    いつも農業や生命についての本質的な問題について考えていて、一歩一歩前へ進んでいた。その姿に、どれだけ勇気づけられたか知らない。

    環境が変わったからと言って、考えるのをやめずに、自分にとって本質的な問題を考え続けようと思えたのは、明峯さんの影響が大きかったと思う。

    アカデミックな世界で上を目指していくのではなく、自分独自の道を切り開いていこうと覚悟を決めることができた。

     

    僕が、研究の場を離れても、ずっと興味を持ち続けているのは「生命らしさとは何か」というテーマだ。

    テントウムシを指に這わせると、上向きに向かって歩く。

    指の向きを変えると、テントウムシも歩く向きを変え、常に上向きに向かって歩く。

    この部分を切り取ると、「上向きに向かって歩くというルールに従っている機械」のように見える。

    しかし、指先まで到達したテントウムシは、それ以上、指を上ることが出来なくなり、前足をパタパタさせて困った状況に陥る。ルールが適用できなくなったからだ。

    テントウムシが単なる機械ならこれで終わり。でも、テントウムシは生き物だ。ここで、それまで従っていたルールから抜け出し、飛び立つのだ。

    僕は、ここに生き物らしさを見る。

     

    生き物は、環境の袋小路に陥ると、生きるためにありとあらゆる可能性を試してもがく。そして、飛躍する。

    それは、edge of chaosのイメージと重なり、僕をずっと引きつけている。

    そして、そのイメージは、環境の袋小路に陥った自分自身を支えてくれ、そこから抜け出して新しい芽を出していくことができた。

    これは、全くの想像だけど、明峯さんは、全共闘に加わって、大学院を中退してアカデミックな場から去ったときに人生の袋小路に入ったのだと思う。そして、そこから、農業生物学者という独自の生き方を見つけ、独自の道を切り開いていったときに、自分自身の「生命らしさ」を感じたんじゃないかなと思う。

    明峯さんも、僕と同じ「生命らしさ」に僕以上にこだわり続けていて、植物が、農作物として受動的で無力な存在だと見なされることを徹底的に拒否してきたし、自分自身を外から定義されるのを拒んで自分の人生を生きることにこだわってきたから、きっとそうなんじゃないかなと思う。

     

    生命を語るときに、袋小路に陥ってもあきらめずに、そこから芽を出して、飛躍していくという側面を抜かすことはできない。

    それこそが、機械と生命とを隔てるもので、機械と自分自身とを隔てるものだからだ。

    人間は社会や学校から様々な情報をインストールされて作られる。でも、そこから抜け出して、情報をインストールした側の意図を超えて、様々な芽を出し、花を咲かせることができる。

    明峯さんが植物に投げかける目はとても優しい。そして、それは、予備校の生徒に投げかける目と全く同じだ。

    生命は、常に暴走し、逸脱する可能性を内に秘めている。

    いざとなったらやれる存在。

    機械とは違う。

     

    (2)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 明峯哲夫さんを偲ぶ

    朝起きたら、一通のメールが届いていた。

    それは、僕が尊敬する人の一人、明峯哲夫さんが食道ガンで亡くなったというお知らせだった。

    僕は、明峯さんから、たくさんの大切なものを受け取っているので、それをここに書いておかなければならないと思って、この記事を書いている。

    akemine

     

     

    僕が明峯さんと出会ったのは、28歳のとき。

    大学院を中退して、茨城県の水戸市にある智森学舎予備校で物理を教え始めたときだ。

    そのときの僕は、それまで目指していたアカデミックな世界から離脱したばかりで、どうやって生きていったらいいのか分からない状況だった。

    そんなときに、講師室で話しかけてくれたのが生物講師をやっていた明峯さんだった。

     

    明峯さんは全共闘世代。北海道大学で博士課程の学生だったときに学生運動に加わり、その結果として大学院を中退し、在野の研究者となったことを知った。

    「在野」という道があるということを知ったことが、僕にとって生きていく希望となり、明峯さんは、そのロールモデルだった。

     

    毎週月曜日、講師室で明峯さんと話をするのが、その頃の一番の楽しみだった。

    明峯さんは、在野の農学者として様々な活動をしていて、あちこちに書いた記事のコピーを僕にくれた。

    僕は、そのコピーを読むことで、明峯さんの活動や思想を理解した。

    明峯さんは僕に、

    「自分で勉強していけば、あっという間に大学の先生よりもいろんなことに詳しくなりますよ。」

    と言っていた。そして、自分自身が、まさにそれを体現していた。

     

    しばらくして明峯さんの言っていることの意味が分かってきた。

    論文を書かなければならないという制約が外れたおかげで、純粋に好奇心から学べるようになったのだ。

    生物物理の分野で自己組織化を研究していた僕の興味は、進化論に移った。

    生物が自己組織化の産物として存在しているのであれば、環境から遺伝子へ向かう情報の流れが存在しなければならない。

    しかし、それは、当時の生物学では「獲得形質の遺伝」として、完全に否定されてたものだった。

    獲得形質遺伝について取り組むことは、アカデミックな世界の研究者にとっては学者として大きなリスクを伴う。

    しかし、それが、「在野」の僕にとっては、大きなチャンスに思えた。

    ネオ・ダーウィニズムから生まれてきた「生存競争」という概念は、資本主義経済を「自然のもの」として肯定する役割を果たしたが、ネオ・ダーウィニズムの論理を崩すことができれば、新しい社会のあり方も見えてくるのではないかという思いもあった。

    体の中から力が湧いてきた。

     

    このテーマは、実は、明峯さんが学生時代に取り組もうとしたテーマでもあった。明峯さんは、自宅の蔵書の中から『二つの遺伝学』(徳田御稔著)という本を貸してくれた。これは、ソビエトのルイセンコという生物学者が唱えたルイセンコ生物学について書かれたものだった。

    hutatsu

    明峯さんを通して、ミチューリンやルイセンコといったロシアの生物学者の存在を知った。

    彼らの生物学は、ヘーゼル哲学における止揚を生物進化に適用したものだった。それが、ルイセンコに置いて共産主義のイデオロギーと結びつき、メンデル・モルガン生物学を唱える資本主義イデオロギーと、ルイセンコ生物学を唱える共産主義イデオロギーの対立へと発展した。ルイセンコの政治的失脚とワトソン・クリックによるDNAの二重らせん構造の発見、セントラルドグマの提唱によって、ルイセンコ生物学はスキャンダルとして歴史の闇へと消えていった。
     

    セントラルドグマを崩すためのヒントを探していた僕は、ミチューリンやルイセンコにヒントを求めて、手に入る限りの文献を集めて読んだ。
    そして、考えたことを、月曜日に予備校の講師室で明峯さんにぶつけるのが楽しみだった。珍しい文献を見つけるとコピーして明峯さんに渡していた。

    大学院を辞めてから10年間、僕の生物学の先生は明峯さん一人だった。
    自分の父親と年齢が変わらない明峯さんは、いつも対等な立場で、僕と話してくれた。
    学ぶ意欲を失わずにいられたのは、明峯さんのおかげだった。

    明峯さんのことを思い出すとき、いつも頭に浮かぶ光景がある。
    息子さんが新荻窪で経営している「のらぼう」というお店に連れて行ってもらったときのことだ。
    そこで、地鶏の卵を食べながら、なぜ、地鶏の卵は美味しいのかという話になった。

    僕は、「食べたものの違いが卵の黄身の組成に反映するということは、外部環境の情報が、遺伝子の環境である黄身へ反映しているのだから、それが遺伝子の発生時のふるまいへ影響する可能性があるのではないか」と主張したが、明峯さんは、「生殖細胞と体細胞の間の情報のやり取りは切れている」と主張して譲らず、ご飯を食べながら険悪な状況になった。明峯さんは、気を静めるように立ち上がって、水を飲みにいった。僕は、そんな風にいつも真剣に対峙してくれる明峯さんが好きだった。

    その後、エピジェネティクスが見つかり、環境からの情報がDNAメチル化などの遺伝子修飾のパターンを変化させ、それが子孫へ伝達されるということが明らかになった。獲得形質が遺伝することが分かったのだ。

    これを知ったとき、明峯さんと僕は興奮した。こんな日が来るとは思わなかったと言い合った。

    春期講習のとき、満面の笑みを浮かべた明峯さんが、手を後ろに回して近づいてきた。

    「ジャーン」と言いながら出したのは、『サンバガエルの謎』という本だった。

    その子供っぽい振る舞いが、なんだかうれしかった。

    サンバガエルを使って獲得形質遺伝の実験をしたオーストリアの生物学者カンメラーは、標本にインクを注入して偽造したという疑いをかけられピストル自殺したが、この本は、カンメラーに対して好意的に書いてある本だった。

    カンメラーについて調べているうちに、チリの生物学者が、カンメラーの実験を最新の遺伝学の視点から再検討していることを知り、論文のコピーを明峯さんに渡した。この分野を研究しているチリの生物学者や香港の生物学者にメールを書いて、意見交換を求めたりした。

    調べていくうちに、イギリスの発生学者のWaddingtonのエピジェネティック・ランドスケープという概念と出会った。これは、非線形物理を学んでいた僕にとっては、分岐理論の生物バージョン。10年たってたどり着くべきところにたどり着いたという気がした。

    有機農法や自然農についての関心も、明峯さんがきっかけだった。在野の農学者として「都市を耕せ!」と呼びかけていた明峯さんの思想にも影響を受けた。

    生きるということはどういうことか。食べるということはどういうことか。

    思想と行動を一致させている明峯さんの生き方は素敵だと思った。

    生物学における異端だった獲得形質遺伝は、いつの間にか、最新のトピックになっていた。明峯さんといっしょに13年間議論してきたことをもとに、もう一度、論文書いてみようかなと思って、東北大のある研究室を訪ね、研究生として籍を置かせてもらい、13年ぶりに研究を再開することにした。

    誰も研究していなかったことを13年間も考え続けてきたんだから、何かインパクトの大きいことが出来そうな気がして興奮した。

    そんなとき、東日本大震災が起こり、それまでに考えてきたものは、すべて吹っ飛んだ。

    有機農法の活動家でもあり、反原発の活動家でもあった明峯さんに、福島の原発事故が与えたダメージは大きかった。

    科学が外から人間を判断していくことに反発して、人間は自分の価値観に基づいて生き物として生きていくことを選択すべきだと主張していた明峯さんにとって、福島の農業をどうするのかという問題は、究極の選択を迫られるものだったからだ。

    池袋の居酒屋で明峯さんと会って話をした。

    福島で野菜を作るべきかどうかという話については、意見が異なったが、明峯さんの気持ちはとてもよく分かった。

    そのとき、明峯さんから1冊の本をプレゼントされた。

    僕の意見は小出さんとほとんど同じだったが、明峯さんの意見は、農民の生き方に寄り添ったものだった。

    本を読んで、次のような投稿をFBに書いた。

    【決断の違いからくる断絶を乗り越える方法】

    古い友人の明峯哲夫さんと、久しぶりに会ってお話しする機会がありました。

    明峯さんは、有機農業に関する活動を長年続けてこられた方で、僕とは親子ほどの年の差があります。

    かつて、同じ予備校で講師をしていました。

    予備校講師という仕事は、講師同士に縦の関係がないので、生物の講師と物理の講師という立場で、10年以上前から親しくさせていただいています。

    明峯さんは、全共闘世代で、博士課程のときに学生運動に身を投じてアカデミックな世界を去り、その後は、在野の研究者として農業に関わってきた方です。

    僕が博士課程を中退して、予備校講師になったときに、明峯さんと知り合うことが出来たのは、今思えば本当に幸運でした。

    大学院を中退して人生の方向性を見失っていたときに、「在野の研究者という生き方もあるんだ」と、その存在にたいへん励まされました。

    毎週月曜日に講師室で、いろいろな話をするのは、本当に楽しみでした。

    現在、僕のライフワークになっている獲得形質遺伝の理論モデルというテーマに出会ったのも、明峯さんから聞いた話がきっかけでした。

    生命科学を自己組織化の観点から再構築しなくてはならないという僕に対して、

    「ロシアのミチューリンとかルイセンコって知っている?」

    と言って、古い書籍を貸してくれました。

    生物学の様々な文献を読んで明峯さんとディスカッションすることで、だんだんと生命科学や進化論についての思考が深まっていきました。

    その後、明峯さんの影響もあり、有機農業や自然農法に関心を持つようになり、マンションのベランダにコンポストを置いて、拾ってきたありとあらゆる種をそこに撒いて自然農法のまねごとをしてみたり、有機野菜農家と個人契約をして食べるようになったりと、今から考えるとさまざまな点で影響を受けていたと思います。

    2年前に、獲得形質遺伝の理論的なモデルを構築するためのアイディアが沸いて、13年ぶりに研究を再開しようと思えたのは、研究の場でプロとして13年間過ごしてきた人に負けないほどの濃密な時間を過ごしてきたという自信があったからです。普通の研究者が読まないような書籍や文献を読み、独自に思索を重ねてきた日々の充実が、僕に自信を与えてくれました。それは、明峯さんとの出会い無しでは得られなかったものです。

    僕は、震災後、長年契約していた有機栽培農家の契約を打ち切り、東北を離れる決断をしました。それは、明峯さんの主張に真っ向から反することであることでした。

    もう以前のような関係性には戻れないと思いました。

    明峯さんの文章を読むと、それが、自分を批判しているように感じられるようになりました。

    震災と原発事故によって、僕たちは暴力的に決断を迫られて、決断の違いによって関係性に亀裂が入り、断絶させられ、孤独を感じるようになりました。

    この断絶は、

    「違いを認めよう」
    「お互いの価値観を尊重しよう」

    などと言った、使い古された陳腐な言葉ではとうてい埋まらないほどの深く絶望的なものに感じられました。

    2年経っても、正直言って、この断絶はほとんど埋まっていないように感じていました。

    今回、明峯さんと会って、今度、新しく出る本をいただきました。

    『原発事故と農の復興』

    という本で、有機農業を行っているNPOが、京都大学の小出裕章さんを招いて行った公開討論会を元に作られた本です。

    明峯さんも、パネラーとして参加して発言し、論考を投稿しています。

    本の中では、2年間の調査の結果、福島の土壌に粘土が多く含まれることと、土が肥沃だったことから、セシウムの農産物への移行がチェルノブイリとは違って極めて低く抑えられ、「福島の奇跡」と呼ばれているということなど、ほとんど知られていないことなどがたくさん書いてありました。

    同時に、農作業をする際に土壌に固定されたセシウムから放出される放射線による外部被爆は避けられず、被爆リスクを覚悟した上で農作業をしているとも書いてありました。

    「放射線が強い地域では、コミュニティごと避難すべき」という小出さんに対して、明峯さんの意見は、「人間は安全性だけで生きているわけではありません。場合によっては、危険であると分かっていても、それを覚悟して生きていく、それが人間です。むちゃくちゃ危険なことをして早死にしても、それがその人の人生だったということにもなるし、ただただ長生きするだけの人生を潔しとしないという考え方もあります。」といって、避難に対しては、真っ向対立の立場です。

    その後、

    「大事にしているファクターがいくつもあって人生は複雑です。」

    「それぞれが、自分の人生設計の中でいくつかのファクターを考えた上で決められればよい。そのような決められる自由が重要です。」

    と発言していました。

    これを読んだときに、断絶を乗り越えるための希望が、少し見えました。

    各人は、それぞれの生まれた場所、育ち方、環境、子どもの有無などの違いがあって、その多くは選択できないものです。

    そして、それまで生きてきた歴史があって、その結果として生まれてきたファクターの分布に従って決断を下していくことになります。

    どのファクターを優先するかは、まさにその人の行き方そのもので、その人のファクターの分布を反映するものです。

    自分は、自分の人生設計のためのファクター分布があり、それに忠実にしたがって結論を下しています。

    ベクトルの「向き」が同じであるということに基づいた共感ではなく、自分の人生に忠実に行動し、自分のあり方を表現しているというベクトルの「大きさ」に共感することが可能なんだと思うことができました。

    ファクターの分布に忠実にしたがって下した結論が他人と違ったものになっても、それは、必ずとも断絶を意味しないということが、これを読んでいて心で納得できました。

    そして、ベクトルの「向き」が違うことで断絶と見えたものを乗り越えるためには、自分自身も自分の人生に忠実にベクトルの「大きさ」を大きくしていけばよい。そうすれば、違ったレベルで共感して、つながっていけるんじゃないかと思えたのです。

    僕には僕の背景と歴史があり、人生設計のファクターがあり、その結果、下した決断は他の人と違ってくるけれど、自分自身に忠実に、迷わずに進んでいこうという前向きな気持ちがうまれました。

    僕の人生の節目節目に、重要な示唆を与えてくれる明峯さんには、本当に感謝しています。

    明峯さんは、この文章を喜んでくれて、編集者に送りたいと言ってくれた。

    明峯さんは、この本で書いていた。

    「人間は安全性だけで生きているわけではありません。場合によっては、危険であると分かっていても、それを覚悟して生きていく、それが人間です。むちゃくちゃ危険なことをして早死にしても、それがその人の人生だったということにもなるし、ただただ長生きするだけの人生を潔しとしないという考え方もあります。」

    そして、実際に被爆しながら、福島の土壌汚染と作物への放射性物質の転移率を測り、福島で農民が誇りを持って生きていくための道を模索していた。

    今回の死がそのことと関係しているかどうかは、誰にもわからないが、明峯さんが、相応の覚悟を持って取り組んでいたのは間違いない。

    最後まで思想と行動を一致させていた。

    明峯さんは、たくさんの種を撒いたが、その一つが僕の心の中にまいた種だ。

    今こうやって、教育の未来を創ろうと活動しているのは、間違いなく明峯さんの影響だと思う。

    もっといろいろなことを話したかった。

    心からご冥福をお祈り申し上げます。

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