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  • 外国にルーツを持つ子どもたちへの支援が未来の教育へのヒントになる

    日本は小さい国なのか?

    僕は、長い間、日本は小さい国だって思っていた。

    「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」

    という交通標語が、頭の中に刷り込まれていて、それを無批判に信じていたからかもしれない。

    でも、冷静に考えてみると、世界の国の中で、日本は、人口の面から見ても、国土面積の面から見ても決して小さくない。

    国土面積は、約200国中で62番目と上位1/3のところに位置する。

    ヨーロッパの国々と比べると、フランス、スペイン、スウェーデン、ノルウェーについで5番目の大きさで、ドイツ、フィンランド、ポーランドより大きい。

    人口で比べると日本は世界10位。ヨーロッパで一番人口が多いのはドイツで約8千万人。

    フランス人の友人が、

    「日本が小さいって?そんなことないよ。人口が一億人を超えているでしょ。十分大きいよ。フランスは約6千万人だよ。」

    と言っていた。

    japan-size

     

    多言語・多民族が共生する社会は、世界中に溢れている

    EUが誕生してから、ヨーロッパでは国境を越えて移動したり、移住したりすることがより簡単になり、母語+英語を使ってコミュニケーションを取るのが当たり前の状況だ。

    日本人が英語を学ぶのに比べて、西欧諸国の言語は英語と近いこともあり、バイリンガル、トリリンガルの人がたくさんいて、その時々の状況に合わせてコミュニケーションに使う言語を使い分けている。

     

    シンガポールやマレーシアの都市部では、誰もが普通に英語を話している。

    中国系、マレー系、インド系が混じり合う多民族国家なので、母語+英語のバイリンガルは当たり前で、中国系なら、北京語+マレー語+英語、インド系ならタミル語+マレー語+英語など、3つ以上の言語を操る人もたくさんいる。

    ルーツの違う人たちとコミュニケーションを取りながら共存していくのが当たり前になっている状況がある。

     

    世界的に見ると、様々なルーツを持つ人が混じり合って暮らしている国のほうが多く、日本のように、多くの人が母語だけを話し、均質な「日本人」ばかりが住んでいる国は、珍しいのではないかと思う。

    その理由は、人口が1億人以上いるため、国内市場が大きいからだと思う。

    人口の小さい国では、英語でのコンテンツを翻訳してローカライズして商品化しても、ローカライズするコストに見合った収益が得られないのでビジネスとして成立しない。そのため、母語でのコンテンツが少なく、国民は英語で直接、情報を取りに行くようになる。

    一方、日本では、国内で生産されるコンテンツや、翻訳コンテンツが溢れかえり、日本語コンテンツだけで十分楽しめてしまう。

    それは、母語で高度な教育を受けられるというメリットもあるが、その一方で、様々なバイアスのかかった情報やコンテンツだけに触れることになったり、日本の特殊性に気づきにくくなるというデメリットがある。

    異なる文化と触れて、自分の中の常識が崩壊する経験をしてはじめて、自分を取り巻いていた文化の特殊性に気づき、客観視することができるのだと思う。

     

    10年後の教室を思い浮かべてみよう

    世界中の人々が移動したり、移住したりするようになり、インターネットで繋がって交流するようになってきた。

    異文化と共生していく社会は、すでに地球上の多くの地域では当たり前のことになっているし、日本でもいずれ、当たり前になるだろう。

    今日、外国にルーツを持つ子どもたちの学習支援をしている田中宝紀さんにお話をうかがった。

    田中さんは、現在、クラウドファンディングに挑戦中で、外国にルーツを持つ子どもたちが直面している状況を、とても詳しく説明してくれている。

    田中さんのレポートを拝見して、一番強く感じたのが、外国にルーツを持つ子どもたちが自信を奪われているということだ。

    どのような構造的な問題によって、外国にルーツを持つ子どもたちの自信が奪われてしまうのだろうか。

     

    メンバーが均質であるということは、本来、不自然なことだ。

    生き物は、放っておけば、ひとりでに多様化していくからだ。

    均質な状態は、閉鎖的な環境に閉じ込めて管理することによって作られる。

    外発的動機づけによって競争を引き起こすと、競争による序列化によってヒエラルキーが生まれてくる。

    ヒエラルキーは、ほんの一部のメンバーだけに自信を与え、ほとんどのメンバーから自信を奪う。

    管理されたメンバーは、管理する側の価値観を内面化し、均質な状態からはみ出し、秩序を乱すメンバーを攻撃するようになる。

     

    日本全体が言語の壁によって閉鎖的な空間になっているのではないか?

    お金や学歴によって外発的条件付けを与えられて競争すると、ほとんどの人は敗北感を抱き、自信を失っていく。

    そして、管理者の価値観を内面化した人たちは、自分より「下位」の人たちに対する優越感によって「見せかけの自信」を得ようとするのだ。

    そのような社会に、外国にルーツを持つ子どもたちが投げ込まれると、日本語にハンデキャップがあり、日本人らしさを身につけていない彼らは、当然のようにヒエラルキーの最下層に取り込まれ、自信を奪われていく。

     

    僕は、そういう社会構造そのものを問題にしたい。

    僕が反転授業に関心を持って取り組んでいるのは、社会や教室に見られるこのような構造を変えていく可能性があると感じているからだ。

    AL型授業では、多様性を創造性に結び付けることを学ぶ。

    メンバーに多様性があるからこそ、様々な意見が場に出てきて、自分だけでは考えることのできなかった様々な視点を得ることができ、協力して学ぶことができるようになるのだ。

    ヒエラルキーの序列の上位にいることによって得られる「見せかけの自信」ではなく、チームに貢献することによって自己肯定感を得られるのだ。

    AL型授業では、全員が自己肯定感を高めることができるのだ。

     

    10年後の未来を思い浮かべよう。

    多様なルーツを持つ子どもたちが教室に集うのは、見慣れた光景になるだろう。

    一斉講義型で、知識のインストールを行う従来型の授業は、これまで以上に難しくなるだろう。

    なぜなら、これは、均質な生徒集団を前提として成り立つやり方だからだ。

    管理が効かなくなった原因を、外国にルーツを持つ子どもたちのせいにして排除していくような未来を僕は望まない。

    AL型授業が当たり前の時代になれば、

    多様なルーツを持った子どもたちは、多様なアウトプットをすることができ、子どもたちは違いから学ぶことで多面的な見方をすることができるようになる。

    子どもたちの多様性が、豊かな学びを生み出すのだ。

    その豊かな学びから得られる収穫を、チームで分かち合うことで、チーム全体が自己肯定感を持ち、それをもたらしたチームメートに感謝することができるだろう。

     

    外国にルーツを持つ子どもたちが学べる環境を作ることに、未来へ繋がる教育とは何かを探るヒントがあるのではないか?

    多くの人たちの良心と知恵、テクノロジーを使って、彼らが安心して、自信を持って学べる環境を作ることができたら、それは、未来の全員参加型共生・共創社会へ繋がる学び場を作れたことになるのではないか。

     

    田中さんのクラウドファンディング挑戦は9月25日まで。

    こちらの記事リストをぜひ、読んでみてください。

    田中さんの記事リストはこちら

     

     

     

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  • クラウドに粘土団子を撒こう!ペイフォワードの循環が意識革命を起こす

    生物進化の謎の一つに、なぜ「利他的な行動」が進化するのかというものがある。

    生存競争を行い、自然選択によって環境に適応したものが生き残るのだとすると、利得を他者へ渡していく行動は「損」であり、そのような行動は、進化の過程で淘汰されていくのだというのである。

    それに対して、ドイツの生物物理学者、マンフレート・アイゲンは、「自己再生産触媒的ハイパーサイクル」モデルを提唱し、メタレベルで自己触媒的なサイクルが生まれると、循環構造に参加している個体が得る利得のほうが、利己的な個体が得る個体よりも多くなるということを主張した。

    Eigen,Manfred_1996_Göttingen
     
    ハイパーサイクルは、与えることによって回るサイクルだ。それは、余剰のエネルギーを周りに生み出しながら大きくなっていく。まさに創造の渦と呼ぶのにふさわしいものだ。

    生物物理を研究していた学生時代に出会ったアイゲンのハイパーサイクルは、僕の頭の中に強烈な印象を与え、今もなお影響を与えている。

    これが、自然界における自己組織化の原理(創造の原理)なんじゃないかと思う。

     

    何かを創造するというのはどういうことだろうか。

    僕は、周りのいろいろなものを巻き込みながら渦が巻き起こり、らせんを描いて上昇していくようなものではないかというイメージを持っている

    自分がアウトプットしたものに対して、外界が変化し、その変化が刺激になって自分の内部がさらに変容していくというプロセスでは、創造の媒介となる「外部」の存在が重要なカギを握る。
     
    変化のない「外部」に対して一方的にアウトプットしても、あるところで最適化されてストップする。一斉講義型の授業改善が、5年もすれば終わってしまうのと似ているかもしれない。

    お互いが、お互いの媒介となり得るようなインタラクティブな関係性があってはじめて、往復運動、または、らせん運動を描きながら上昇していけるのではないか。

    だから、アイゲンのハイパーサイクルは、生命の起源を説明するモデルであると同時に、生態系の進化を説明するモデルであり、人間社会の共創を説明するモデルでもあると思うのだ。

    hyper2

    このようなメタレベルのサイクルが自然発生するための条件は、どのようなものだろうか。

    そのヒントは、植物にあると思う。

    自然の状態の植物は、自分の生命維持のために呼吸し、代謝する一方で、光合成によって有機物と酸素を生産し、周りの生物に与えていく。

    火山の噴火によって生み出された荒れ地には、その環境で生きられる植物が芽を出し、それらによって作られた薄い土壌を頼りに別の種が生きられるようになり、やがて森林へと成長する。

    森林では、様々なメタレベルのネットワークが生まれ、生態系として調和を保ちながら繁栄する。

    僕達も、生きるために働きながら、その一方で、生き物としての自分の根っこの思いから行動し、与えていく、応援していくというという行動をしていけば、豊かな生態系を創れるんじゃないだろうか。
     
    今の社会で生きていくためにはお金が必要だけど、その中の一部を、自分の根っこの思いで共感する誰かに与えていくことで、ペイフォワードの循環が生まれる可能性が出てくる。

    僕が、クラウドファンディングなどに注目し、積極的に応援しているのは、このように考えているからだ。

    mori

    個体レベルでは、メタレベルの循環を認識することができない。

    だから、種を撒く、

    メタレベルの循環を生み出したり、すでにある循環に乗って、それを強めていくような役割を担った芽が、勢いよく伸びていく。

    自然農法の福岡正信さんは、たくさんの種を粘土団子に詰め込み、荒れ地にばら撒いた。

    どの種が発芽するのかを福岡さんは選ばずに、宇宙に選ばせる。
     
    そのとき、その環境で発芽すべき種が発芽し、メタレベルの循環構造を生み出しながら成長し、荒れ地を緑化していく。

    福岡正信さんについては、以前、こちらに記事を書いた。

    リアルと違って、身体の制約から解き放れたクラウドの世界は、いくらでも種を撒くことができる。そこで、思いを発信して尖っていくことで、お互いに発見し合い、共鳴して繋がることができる。

    技術の進化は、人間の生活を自然から遠ざけたが、その結果生まれたインターネットは、もう一度、人間の心の中にある自然と繋がり、「生き物らしさ」を取り戻させてくれるものなのかもしれない。

     

    人は、どうやって繋がっていくのだろうか?

    誰かの役に立ちたいと思っても、

    自分に何ができるのか

    どんなことで困っているのか

    それが分からなければ動けない。

    一人で芽を出すのは難しい。

     

    「困っています。」

    「あなたのスキルが、僕のやりたいことに役立ちます。」

    「僕は、こういうことをやりたいんですけど、どうやって実現したらいいのか分かりません。」

    こういったメッセージは、他の人の心の中の種を発芽させるトリガーになる。

     

    自分自身の根っこの思いから語る言葉は、

    周りの人の心を動かし、

    心の中にある種を発芽させる。

    その結果、その人の思いは、多くの人の助けによって形になっていき、

    助けた人は、自分の心の中にあった種が発芽した喜び、共に創造した喜びに溢れる。

    芽を出させてくれた人に対しての感謝が溢れる。

    このようなことは、2年前の僕にとっては机上の空論だった。

    論理的に理解していたが、

    体験が伴っていなかった。

    こんなことが起こったらいいなと夢想していたが、まだ、このメカニズムを信用しきれていなかった。

     

    だけど、2年間のうちに、恐る恐る試していくうちに、

    このような循環が生まれる経験を何度もした。

    クラウドファンディングを自分ごととして全力で応援し、その後に出来上がったサポートチームを見たときに、本当のゴールは、こちらだったのだということに気がついた。

    「反転授業の研究」のオンラインワークショップに、たくさんの運営ボランティアの方が参加して、みんなが自分からどんどん動いて講座が出来上がっていく様子をみて、お金に対する固定観念が崩壊した。

    フィズヨビ夏期講習で、僕の講義動画からよりも、自分の疑問を出発点に学び合うことを受講者のみんなが選択したとき、教育が向かうべき方向が見えたような気がした。

    今まで教えられて信じてきたことの多くは間違っていて、自分の根っこの思いのほうが信用できると感じた。

    それは、生きていてよかったと思えるような経験であり、行動の優先順位が逆転するような変化を僕にもたらした。

    自分の意識に革命が起こったと言っても言い過ぎではないだろう。

     

     

    クラウドに大量の粘土団子を撒こう。

    どの種が発芽するかは宇宙が選択してくれるだろう。

    それは、ペイフォワードの循環を生み出し、根っ子の思いで繋がったコミュニティを自己組織化する。

    そうして出来上がったコミュニティこそ、明峯さんが言っていた「21世紀の故郷」なのかもしれない。

     

     

     

     

     

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