冒険する人が最短距離を発見する

 

フランス人の友人と話をしていたときに「ルール」が話題になった。

僕は、日本人の多くは、「喜んでルールに従い、かつ、ルールに従っていない人を非難する」と説明した。

フランス人の友人は、僕の話を信じられないという顔をして聞いた後、

「フランス人は、何とかしてルールを破るのが好きなんだ。ルールは破るためにあると思っている。」

と言っていた。

 

根本的に「ルール」というのは、自分の自由を制限するものだ。だから、僕は、ルールはなるべく最低限にして、自由な領域を大きくしたほうがよいと思っている。

ルールによって、行動の自由を制限されているうちに、心の自由も制限されていく。

そして、自分から喜んで自由を差し出すようになる。

これって、非人間的なことなんじゃないか。

 

日本には、暗黙のルールを含めて大量のルールがあり、それをフォローしていると、ほとんど判断せずに行動できる。

ルールは日々更新され、日々増えていくから、いつもルールについての情報を仕入れてフォローしているように生きていると、人生の時間の多くが費やされ、自由に考える時間は無くなっていく。

ルールに従うことに慣れている人は、マニュアルを欲しがるようになる。

自分で考えて行動するよりも、何かの言うとおり、何かに書いてある通りに行動することに安心感を感じるようになるからだ。

 

だが、その安心感にはどのような根拠があるのだろうか?

世界は、すごい速さで変化し、テクノロジーが不可能を可能にしている時代に、古臭いマニュアルに従い、何十年も前から続いている暗黙のルールに従うことは有効なのだろうか?

心を自由にして、いろんなことを思うがままに勝手にやってみると、思いがけずに最短距離を見つける可能性が生まれる。

世界は、どんどん変わっていて、繋がってなかったものが、次々に繋がっている。

誰も見つけていないPathが、あちこちに出来ている。

自由な心を持っている人だけが、わくわくしながら、いろんなPathを探す。

そういう場所には、まだ、ルールなんて存在しない。

ルールは、多くの人たちが集まってきたときに、誰かが自由を制限するために作る。

そのころには、自由な人たちは、別のPathを見つけているだろう。

 

自由に学ぶために学校を辞め、ホームスクーリングで学んでいるローガン・ラプラント君のTED動画を見てほしい。

自由に学ぶことが、何をもたらすのかがよく分かるだろう。

彼は、スキーをするときに、最短距離を見つけてショートカットをすることを恐れない。

やりたいこと、本質的なことに対して、できるだけまっすぐに進む。

心が自由であるということは、心の壁のせいで回り道をしなくてもよいということ。

無駄なことをしたくないという人は、まず、心を自由にしよう。

そうすれば、たくさんの「本当はどうでもいい無駄なこと」の存在が見えてきて、最短のPathを見つけられるはずだ。

そのPathを進むのが一人っきりで寂しくても、心配することはない。

あなたの後ろには、自由な心の人たちが次々と続く。

そのPathに合理性があるのなら、そのPathは、必ず太くなっていく。

ルールは人間が作った幻だから、この自然の流れを止められない。

冒険者たちは、壁のあちこちに穴をあけていく。

その中のいくつかからは、水が噴き出すだろう。

KnowCloudは、自由な心を持った冒険者たちが集う場所になる。

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