生物進化の謎の一つに、なぜ「利他的な行動」が進化するのかというものがある。

生存競争を行い、自然選択によって環境に適応したものが生き残るのだとすると、利得を他者へ渡していく行動は「損」であり、そのような行動は、進化の過程で淘汰されていくのだというのである。

それに対して、ドイツの生物物理学者、マンフレート・アイゲンは、「自己再生産触媒的ハイパーサイクル」モデルを提唱し、メタレベルで自己触媒的なサイクルが生まれると、循環構造に参加している個体が得る利得のほうが、利己的な個体が得る個体よりも多くなるということを主張した。

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ハイパーサイクルは、与えることによって回るサイクルだ。それは、余剰のエネルギーを周りに生み出しながら大きくなっていく。まさに創造の渦と呼ぶのにふさわしいものだ。

生物物理を研究していた学生時代に出会ったアイゲンのハイパーサイクルは、僕の頭の中に強烈な印象を与え、今もなお影響を与えている。

これが、自然界における自己組織化の原理(創造の原理)なんじゃないかと思う。

 

何かを創造するというのはどういうことだろうか。

僕は、周りのいろいろなものを巻き込みながら渦が巻き起こり、らせんを描いて上昇していくようなものではないかというイメージを持っている

自分がアウトプットしたものに対して、外界が変化し、その変化が刺激になって自分の内部がさらに変容していくというプロセスでは、創造の媒介となる「外部」の存在が重要なカギを握る。
 
変化のない「外部」に対して一方的にアウトプットしても、あるところで最適化されてストップする。一斉講義型の授業改善が、5年もすれば終わってしまうのと似ているかもしれない。

お互いが、お互いの媒介となり得るようなインタラクティブな関係性があってはじめて、往復運動、または、らせん運動を描きながら上昇していけるのではないか。

だから、アイゲンのハイパーサイクルは、生命の起源を説明するモデルであると同時に、生態系の進化を説明するモデルであり、人間社会の共創を説明するモデルでもあると思うのだ。

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このようなメタレベルのサイクルが自然発生するための条件は、どのようなものだろうか。

そのヒントは、植物にあると思う。

自然の状態の植物は、自分の生命維持のために呼吸し、代謝する一方で、光合成によって有機物と酸素を生産し、周りの生物に与えていく。

火山の噴火によって生み出された荒れ地には、その環境で生きられる植物が芽を出し、それらによって作られた薄い土壌を頼りに別の種が生きられるようになり、やがて森林へと成長する。

森林では、様々なメタレベルのネットワークが生まれ、生態系として調和を保ちながら繁栄する。

僕達も、生きるために働きながら、その一方で、生き物としての自分の根っこの思いから行動し、与えていく、応援していくというという行動をしていけば、豊かな生態系を創れるんじゃないだろうか。
 
今の社会で生きていくためにはお金が必要だけど、その中の一部を、自分の根っこの思いで共感する誰かに与えていくことで、ペイフォワードの循環が生まれる可能性が出てくる。

僕が、クラウドファンディングなどに注目し、積極的に応援しているのは、このように考えているからだ。

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個体レベルでは、メタレベルの循環を認識することができない。

だから、種を撒く、

メタレベルの循環を生み出したり、すでにある循環に乗って、それを強めていくような役割を担った芽が、勢いよく伸びていく。

自然農法の福岡正信さんは、たくさんの種を粘土団子に詰め込み、荒れ地にばら撒いた。

どの種が発芽するのかを福岡さんは選ばずに、宇宙に選ばせる。
 
そのとき、その環境で発芽すべき種が発芽し、メタレベルの循環構造を生み出しながら成長し、荒れ地を緑化していく。

福岡正信さんについては、以前、こちらに記事を書いた。

リアルと違って、身体の制約から解き放れたクラウドの世界は、いくらでも種を撒くことができる。そこで、思いを発信して尖っていくことで、お互いに発見し合い、共鳴して繋がることができる。

技術の進化は、人間の生活を自然から遠ざけたが、その結果生まれたインターネットは、もう一度、人間の心の中にある自然と繋がり、「生き物らしさ」を取り戻させてくれるものなのかもしれない。

 

人は、どうやって繋がっていくのだろうか?

誰かの役に立ちたいと思っても、

自分に何ができるのか

どんなことで困っているのか

それが分からなければ動けない。

一人で芽を出すのは難しい。

 

「困っています。」

「あなたのスキルが、僕のやりたいことに役立ちます。」

「僕は、こういうことをやりたいんですけど、どうやって実現したらいいのか分かりません。」

こういったメッセージは、他の人の心の中の種を発芽させるトリガーになる。

 

自分自身の根っこの思いから語る言葉は、

周りの人の心を動かし、

心の中にある種を発芽させる。

その結果、その人の思いは、多くの人の助けによって形になっていき、

助けた人は、自分の心の中にあった種が発芽した喜び、共に創造した喜びに溢れる。

芽を出させてくれた人に対しての感謝が溢れる。

このようなことは、2年前の僕にとっては机上の空論だった。

論理的に理解していたが、

体験が伴っていなかった。

こんなことが起こったらいいなと夢想していたが、まだ、このメカニズムを信用しきれていなかった。

 

だけど、2年間のうちに、恐る恐る試していくうちに、

このような循環が生まれる経験を何度もした。

クラウドファンディングを自分ごととして全力で応援し、その後に出来上がったサポートチームを見たときに、本当のゴールは、こちらだったのだということに気がついた。

「反転授業の研究」のオンラインワークショップに、たくさんの運営ボランティアの方が参加して、みんなが自分からどんどん動いて講座が出来上がっていく様子をみて、お金に対する固定観念が崩壊した。

フィズヨビ夏期講習で、僕の講義動画からよりも、自分の疑問を出発点に学び合うことを受講者のみんなが選択したとき、教育が向かうべき方向が見えたような気がした。

今まで教えられて信じてきたことの多くは間違っていて、自分の根っこの思いのほうが信用できると感じた。

それは、生きていてよかったと思えるような経験であり、行動の優先順位が逆転するような変化を僕にもたらした。

自分の意識に革命が起こったと言っても言い過ぎではないだろう。

 

 

クラウドに大量の粘土団子を撒こう。

どの種が発芽するかは宇宙が選択してくれるだろう。

それは、ペイフォワードの循環を生み出し、根っ子の思いで繋がったコミュニティを自己組織化する。

そうして出来上がったコミュニティこそ、明峯さんが言っていた「21世紀の故郷」なのかもしれない。

 

 

 

 

 

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