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生命論的世界観は、機械論的世界観を内包する

パラダイムシフトという言葉には、恐れがつきまとうように思う。

新しいパラダイムに移行したら、過去のパラダイムに生きていた自分の人生を否定しなくてはいけなくなるような気がするからだ。

新パラダイムVS旧パラダイムの対立の末、新パラダイムが勝利し、旧パラダイムに生きていた人たちは敗者となる・・という漠然とした恐れが、パラダイムシフトを妨げる抵抗力になっているように思う。

僕自身も、このイメージにはまっていたのだが、最近、ふとしたことでここから抜け出すことができた。

そのきっかけとなったのが、『合理的な神秘主義』を読んだことだった。

世界は非線形現象で満ち溢れている

この本から得た気づきが、自分の思考の枠組みに雪崩現象を起こしたということを説明するために、自分の背景について書いておく。

自分についての話は、大学3年生のときのカオス理論との出会いから始まる。

『合理的な神秘主義』を読みながら、カオス理論と出会ったときの衝撃が何だったのかを思い出していた。

一番衝撃だったことは、「世界は非線形現象で満ちあふれている」ということであり、その一部分を切り取って直線として近似する理由は、直線でないと手で計算できないからだという事実だった。

変数間の関係を直線で表すことができれば、「線形性」という性質を使うことができ、自由に分離したり、重ね合わせることができるようになる。つまり、デカルトが方法序説で述べた「分析と総合」の手法を適用できるようになるのだ。

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「分析と総合」の手法を使うことができれば、複雑な現象でも単純な要素の重ね合わせとして理解できるようになるので、すべての原因を要素へ還元する要素還元主義が成り立つように見える。

しかし、重要な点は、この話は、非線形現象に満ちあふれている世界の一部を近視眼的に切り取るところから始まっていることだ。コンピューターが登場し、近視眼的に切り取った世界のちょっと外側の世界を見ることができるようになったとたんに、近視眼的に切り取った世界の内側で理解したことを、外側に適用できないということが分かってきた。その象徴が「カオス」という現象なのだ。

人間の細胞を寄せ集めても人間にならないように、要素の集合体としては理解できない全体がある。

分割してしまうことによって失われてしまう全体性が確かに存在し、そこでは、分析と総合が不可能になる。

外側と隔離した実験室の空間の中に人工的に創り出した線形現象を、現象を記述でき、実験で再現可能であることを根拠に真実と認め、適用限界を超えて実験室の外側へ拡張していったのが、機械論的世界観なのではないかと思う。

いったん前提ができあがると、矛盾にぶつかるまで進み続ける。ニュートン力学の確立をきっかけに始まった機械論的世界観は、20世紀には世界中を覆ったが、その歪みが無視できなくなってきており、前提が問い直される時期が来ている。

機械論的世界観の内側から生まれた矛盾が、カオス理論であり、量子力学である。また、外側に生まれた問題が、地球環境問題であり、アレルギーや食の問題であり、高い自殺率の問題であろう。

非線形現象に満ちあふれた世界に、強引に線形哲学を押しつけていった結果、実験室の外部である地球や、私たちの身体が悲鳴を上げ始めているのだ。

未来予想プロジェクトが成り立つ前提とは?

機械論的世界観が生み出したものの中で最も世界に影響を与えたものは、「未来は予想できる」という考えなのではないか。

実際の世界を、観測によって記述世界の中に写し取り、記述されているものの間に帰納的に法則を発見し、その法則を演繹的に未来へ適用することによって未来を予測するわけだが、この物語が見落としているものはなんだろうか?

『合理的な神秘主義』は、機械論的な世界観が無視している「語り得ないもの」について取り組んできた哲学者たちの思考をたどっていく本だ。

安冨さんは、それらに「非線形哲学」と名づけている。このように名づけてくれたおかげで、非線形現象の解明に20代のほとんどを費やした僕自身の様々な思考の断片を、現在の活動と結びつけて、生かせるようになった。

「語り得ないもの」とは、魂の作動のことであり、内在的世界のことである。

機械論的世界観を、生命で満ちあふれる地球上で展開していくときに、記述世界の中に写し取られずに捨てられるのが、魂の作動であり、私たちを含む生き物の内在的世界である。

実際の世界を記述世界に写し取った瞬間から、未来予想へのプロジェクトがスタートする。記号操作が示す未来が、私たちの不確定性に対する不安を減らしてくれるのだ。

ここで、記号操作による未来予想が的中するための前提条件は何だろうか?

それは、記述と記述されたものとが、一致し続けていることである。

「あなたってやさしい人よね」と言われても、未来に渡って優しくあり続ける保証はないのが人間である。

魂の作動は、記述できないものであるため、私たちの生命活動は、ある時点で記述されたものから逸脱していく。機械論的世界観が無視している「語り得ないもの」の働きによって、記述されたものと現実との間の乖離が広がっていき、それが、未来予想プロジェクトを破綻させる原因となるのだ。

じゃあ、未来予想プロジェクトを成功させるためにはどうしたらよいのだろうか?

そのためには、私たちが、魂の作動を抑え込み、記述されたとおりに振る舞い続ければよいのだ。

そうすれば、未来予想プロジェクトは予定通りに進み、私たちは未来に対する不安を感じずに日々を送ることができる。

しかし、そのためには、記述された「現代社会に住む人間の生き方マニュアル」に沿って、すべての人間が行動することが必要であり、そこから逸脱する人は、未来予想プロジェクトを脅かす存在として排除しなくてはならないのだ。

このように、機械論的世界観に基づいた未来予想プロジェクトは、生き生きとした生命活動を抑制することと不可分な関係にある。

たとえば、農業は、植物の生命活動から収穫物を得る営みであるが、ここに未来予想プロジェクトを適用しようとすると、不確定要素である「生命らしさ」を徹底的に排除していくことになる。その行き着く先が、工場における無菌の水耕栽培である。ここでは、植物は、環境応答能力を単純化され、決められたインプットに対して、決められたアウトプットを返す「物質」と化し、予定された通りの野菜が、再現可能な形でできあがる。

植物は、本来、土壌における炭素や窒素の循環の中で育つ。そのような循環構造は、まさに非線形現象であり、常にゆらぎながら調和を保ち、それが、ホメオスタシスに繋がっている。

未来予想プロジェクトは、循環の環を不確定要素として断ち切り、単純な線形応答系として捉えられる環境に植物を追い込んでいく。

ここで考えたいのは、私たちが受けてきた教育、社会秩序にも、このような未来予想プロジェクトが展開されており、その中で、私たちの魂の作動は、未来予想プロジェクトを破綻させる原因になるものとして抑え込まれているのではないかということである。

安冨さんは、「語り得ないもの」である魂の作動を直接語ることはできないが、魂の作動を抑え込む仕組みについては、語ることができると言い、「魂の脱植民地化」シリーズを展開している。しかし、『合理的な神秘主義』は、「語り得ないもの」をテーマに取り組んできた人たちの歩みを扱っており、より直接的に「魂の作動」へ近づこうとしている挑戦であるように思う。

未来予想に安心を求めず、魂の作動に従って生きる

未来の不確定性に対する不安が、未来予想プロジェクトを生み出し、そのプロジェクトが生き生きとした生命活動を抑え込むという本末転倒な状況から抜け出す道はあるのだろうか?

そのヒントは、自然界の生き物は、未来を予想しないのにもかかわらず、調和を達成しているというところにあるのではないだろうか。

火山灰に覆われた荒れ地には、いつしか雑草が生え始め、雑草の命の循環が土壌を創り出し、より大きな植物の生育を可能にしていき、いつしか、森となり、豊かな生態系の循環を生み出していく。

私たちも生き物である以上、このような生態系を生み出していく機能を身体に備えているはずだ。

ゆらぎに対して敏感に反応し、学習回路を回していくと、同期現象や、分化現象などが起こり、循環構造が自己組織化して、その中で生きていけるようになる。

未来予想プロジェクトから外れていくときには、「それで生きていけるのか?」という恐怖が生まれる。

未来予想プロジェクトが破綻しないように、いつの間にか自分の中に埋め込まれている恐怖で縛る仕組みが発動するからだ。

しかし、そこから抜け出すことからすべてが始まる。

さんざん躊躇したあげくに一歩を踏み出した自分にとって、『合理的な神秘主義』に登場してくる哲学者たちの生き方は勇気を与えてくれ、その知恵が確信を与えてくれる。

そして、自分自身が情熱を傾けてきた複雑系の分野での研究が、非線形現象に対する暗黙知として自分を支えてくれている。

線形哲学は、非線形哲学に内包されている。

それは、ニュートン力学が、相対性理論に内包されているのと似ている。

パラダイムシフトは、機械論的世界観の否定によって起こるのではなく、機械論的世界観の適用範囲を超えた濫用がもたらしているものの存在に気づき、不確定なものを過剰に恐れずに生き物が非線形現象によって自己組織化する循環の存在を信じ、自らを循環の中に投げ込んでいくことで起こるのではないかと思う。

それは、生命論的パラダイムの一次近似として、機械論的パラダイムが限定的に利用される世界なのではないだろうか。

自分がどこに存在していて、どこに進もうとしているのかが、『合理的な神秘主義』を読んだことでクリアになった。

 

 

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