管理され、限定された環境でヒエラルキーは育つ

サル学の権威である伊澤紘生さんの研究について知ったときの衝撃を今でも覚えています。

伊澤さんは、定説であった「ボス猿が群れを統率している」という現象を発見するために、白山の野生サルを徹底的に調査したのです。

その結果、伊澤さんが出した結論は、驚くべきことでした。

それは、

ボス猿はいない

というもの。

「ボス猿」という存在を当たり前のものだと思っていたので、これには衝撃を受けました。

では、どのようにして「ボス猿」という概念が生まれたのでしょうか?

これは、動物園という管理された限定的な環境の下での観察から生まれたものなのです。

そのような環境の下で、限られた餌を奪い合うというという条件が与えられたとき、腕力による序列化が生まれ、その序列の頂点として「ボス猿」が観察されたのです。

つまり、多様性の失われた環境のなかで、「腕力」という1つの物差しが生まれ、その結果、ヒエラルキーが育ってきたのですね。

 

では、なぜ野生のサルには、ボス猿がいないのか?

それは、野生の環境が開かれていて、多様だからです。

 

多様性のある環境では、腕力という1つの物差しに収斂していかないのです。そのため、動物園の中のように腕力による序列化が生まれないのだそうです。

 

僕たちの社会にはヒエラルキーがあります。

 

これは、人間の本能?

それとも、僕たちの社会が、動物園のサル山のように管理された限定的なものだから?

 

伊澤さんのサル学の研究は、ヒエラルキーを弱めていくために何が重要なのかを考えるためのヒントを僕にくれました。

エインも、ヒエラルキーを崩していくためのアイディアを持っていました。

 

個人は小さな会社が力をつけて多様性を生み出していくことでヒエラルキーをもっと弱めて、個人が自由な心で生きられるようにしたいというのは、エインと僕の共通した願いです。

今、同じような願いを持った人たちが集まってきています。

もしかしたら、ムーブメントが起こせるかもしれません。

Noovo物語7

ピラミッドを崩す

インドでは見慣れた風景だが、旅をしていると、村々を巡って賽銭を集める旅芸人たちに出会うことがある。彼らは社会の構造の最下層におり、身分があまりに低いとされているため、長い移動でも電車の床にしか座れない。目を覆わんばかりの汚い衣服を身にまとい、切符を持っていても座席に座ることはない。その中にラロンの詩に乗せて民族音楽を歌う、年配の人たちがいた。いつもニコニコとして、歌を歌っていた。無宗教だと言う。でも、彼らは仏教の僧侶や、ヒンドゥー教のヨーギや、イスラム教のスーフィーのよう。それ以降、きれいに整備された電車の座席にわたしは息苦しさを感じ始めた。

その後、私はラロンについて学び、彼の言葉を体感した。ラロンはインドで最も貧しい家族に生まれ、1890年に亡くなった。タゴールや、アレン・ギンズバーグ、その他多くの人にインスピレーションを与えた。宗教であろうと、ナショナリズム運動であろうと、全てのヒエラルキーやプロパガンダを退(しりぞ)けた。

ヒエラルキーというのは、地球上の人口に対して、可能性に制約があるから作られるのだと私は思う。では、可能性を広げれば、ヒエラルキーはなくなるのだろうか。今より幼かった頃は、そうした自問がおさまらなかった。でも今、ひとつの結論に達した。ヒエラルキーは、人の優位性を求める本能なのだと。それを持つ人も多く、持たない人も少なくない。地球上には、ヒエラルキーがなければ平和が訪れ、平和な世界は幸せをもたらすと考える人が大勢いる。ヒエラルキーは群れを管理するテレビゲームのごとく思えて私も嫌いだが、そう思わない人も多い。むしろ好む人もいる。ヒエラルキーに幸せを見いだす人すらいる。残念ながら、今の社会はそれが全てだ。私は平和な世界を望んでいるわけではない。私が求めるのは可能性に満ちた世界であり、そこではヒエラルキーに属するかどうかも自ら選ぶことができる。自分自身の世界を自由に創造し、ブッ飛んだ(eccentricな)新しいアイデアにも耳を貸せるような世界になってほしいだけだ。

まず必要なのは、アイデアを持った小さな集団と、それを運営する結束の固い人たち。こういう人たちを支援して、Win-Winな状況を生み出せるくらい、アイデアを高度に発展させる必要がある。ヒエラルキーの中では、誰かが勝つと誰かが負ける。でもこういうシステムは、はっきり言ってばかげている。ヒエラルキーは、ものが足りないことに操られたシステムであり、最も適応した者だけが生き残るようにできている。これは、論外の話だ。生きて行けるのに、なぜ生き残りに賭けないといけないのか。ヒエラルキーに知性はいらない。そんなものは自然界にいくらでもある。それは創造の中で最高の自明の理(ことわり)である。ヒエラルキーから何かを生み出したり、たくさんの小さな世界を作り出すことには知性が必要だが、経済的にWin-Winな状況であれば、アイデアから生み出すことができるし、それをどんどん作っていかなければならない。いつの日か、もはやピラミッド構造をもたない人間社会を目のにしたい。そこには多くの新しい構造があり、それを実現するには学び自体がより自己組織化され、学習者自身が自ら冒険するために自分の学び方を見つけなければならない。肝心なのは、学習者が、新しい発想を生み出す学びを享受し、たとえちっぽけなアイデアでも、大きな衝撃を社会に与えるということを見いだすことだ。

(原文:TO BREAK THE PYRAMID

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