それが、外発的動機付けである。
学生時代には、学力テストの点数が外発的動機付けとして使われ、自分らしく学びたい気持ちを邪魔してくる。
点数をとらねばならないというプレッシャーで後ろから押され、人よりもよい点数をとって優越感を得たいという欲で前から引っ張られる。
外発的動機付けが強い場にさらされると、子どもたちは、自分の地平で生きるのを止め、他人の地平で生き始める。
自分の頭で理解したり、納得したりすると時間がかかってしまって学力テストで点数が取れないので、点数をとるためにやり方を覚えるという方法を取るようになる。
自分にとっては無意味な作業を、外発的動機付けのために延々とやり続けるようになってしまうのだ。
この延長線上に、会社への就職があり、学力テストによって行われていた外発的動機付けが、会社での地位とお金に置き換わる。
自分の魂がワクワクしてやりたい活動をあきらめ、お金になる仕事へ時間を振り分けるようになる。
お金がないと生きていけないぞという恐れによって後ろから押され、多くのお金を持つことで「成功」したいという欲により前から引っ張られるのだ。
一度、自分の地平で生きることを手放すと、外発的動機付けがないと前に進めなくなるため、自ら外発的動機付けを求めるようになる。
このようにして、お金で支配される仕組みができあがっていく。
『ソウル・オブ・マネー』を書いたリン・トゥストさんは、ファンドレイザー(資金調達者)である。
お金をよい活動に流すために、お金を集める仕事だ。
『ソウル・オブ・マネー』を読んだことがない人は、このビデオを見てほしい。リンさんが伝えたいことが分かると思う。
彼女は、外発的動機付けに対して、次のように述べる。
「私たちは誰もが、生涯にわたり、お金への関心と魂の呼び声との綱引きを経験します。」
そして、「魂の次元」にいるときは、誠実に行動し、思慮深く、寛大で勇気があり、献身的で、愛と友情の価値を知っているのに対し、「お金の次元」にいるときは、本来の自分として認識するハートから断絶してしまうことが増えてくるのだと述べる。
最近、魂の脱植民地化というテーマにはまっている私にとっては、「魂の次元」が「自分の地平」に、「お金の次元」が「他人の地平」に対応するように思える。
「お金の次元」で生き続けることは、魂が植民地化されることを意味し、「生きるために働いている」のではなく、「死ぬために働いている」ような状況になっていくのだ。
しかし、それは、お金の問題ではなく、お金との関わり方をどのように選択するのかという問題なのだとリンは言う。
お金そのものが問題なわけではありません。お金そのものは善でも悪でもありません。お金そのものにはパワーがあるわけでも、パワーが無いわけでもありません。それは、私たちのお金に対する解釈、お金との関わり方次第であり、自己発見と自己変容の本当のチャンスを発見する場所なのです。
全くその通りだと思う。理屈は分かった。
しかし、自分の心の底まで浸透してしまっている現代社会の常識を払拭し、魂の次元でお金を使えるようになるためには、リハビリが必要だ。
そこで、できるだけ、魂の次元でお金を使ってみて、自分の内部と外部にどんなことが起こるのかを実験してみることにした。
1年近く、できるだけ「魂の次元」でお金を使うことを心がけたところ、応援を意図して、コミットメントを表現するために使うお金というものは、とてもパワフルなものなのだなということを実感することができた。
商品の価値と交換するためのお金を使うのではなく、自分が創りたい世界が広がっていくことを意図してお金を使っていくと、そのお金が高額でなくてもパワーを発揮する。
「お金の次元」で埋め尽くされている社会において、「魂の次元」で使ったお金は光を発する。
背景の闇が暗いほど、光は鮮烈な印象を残す。
自分が感謝を感じていることに対してお金で感謝を表現していったり、自分ができないことを代わりにやってくれる人に対して感謝の気持ちをお金で表したり、お金を自分の在り方の表現として使うようにすると、いろいろなクリエイティブな使い方を見つけることができた。
クラウドファンディングにお金を払うだけでなく、挑戦者に連絡を取り、うまくいく方法を一緒に考え、支援者を募るためのオンラインイベントを共に行い、支援者のコミュニティ作りを行った。
今年の5月から、それまで広告費に使っていた毎月10万円を、すべてペイフォワードに使うことを決めた。お金を「魂の次元」で使うことによって引き起こすことができるパワーを信じられるようになってきたからだ。
そのようにして使ったお金は、人と人との縁を深め、その縁から創造のサイクルが回り始める。
人を信頼できるようになり、自分のことも信頼できるようになり、心に平安がやってきて、孤独感が減っていく。
そんな経験を、繰り返しするようになった。
また、自分自身が、「魂の次元」のお金を受け取ったことは、大きな学びになった。
そのような想いがこもった応援を受けると、簡単には活動を止められないと感じる。そこに込められた願いを裏切りたくないという気持ちが沸いてくるのだ。
へこたれそうになったときに、「魂の次元」のコミットメントが思い浮かび、再び勇気を奮い起こして前に進めるようになる。
本当に金額ではないのだ。
ただし、注意しなくてはならない点もある。油断していると「魂の次元でお金を使うと、結局は得する」というような思考が回り、お金の次元に引き戻されてしまうことがあることだ。
常に自分のマインドがどの状態にあるのかを確認しながら、純粋な気持ちでお金を使えたときに、お金はリンさんの言う「超パワー」を発揮する。
そのことが、体験を通して、自分の身体の中に少しずつ染みこんできている。
自分の地平で生きることを難しくしているのは、どこに原因があるのだろうか?
最近、私は、現代社会を覆う機械論的世界観にその原因があるのではないかと考えるようになった。
大小様々な循環が起こり、それらがゆらぎながら同期して調和を保っている世界の一断片を空間的、時間的に切り取り、直線的な因果関係を見いだしていくのが、古典的な科学の手法だ。
そして、そこで見いだされた因果関係を、切り取った空間や時間の範囲外へも適用できると考えて拡張しているのが、現在の社会の在り方なのではないだろうか。
ゆらぎながら全体で調和している自然界に対して、機械論的な因果律を当てはめていくことで生じる矛盾は、地球環境問題や、私たちの心身の不調という形で表面化してきているように思う。
これらを、機械論的パラダイムを維持したまま、科学の発展によって解決することはできないと思う。なぜなら、機械論的パラダイム自体が問題を生み出しているからだ。
この問題を解決するためには、世界観を変えなくてはならない。
生きている魚を切り刻んだ後に、寄せ集めても、「生きている魚」を再現することはできないのと同じように、分割することによって失われてしまう全体性が存在する。
世界全体に存在する大小様々な循環が、お互いに同期しながら調和を生み出すという生命論的パラダイムは、機械論のように単純に記述に落とし込んで理解することができない。しかし、単純に理解できないのは、人間の認知の限界を示しているだけであり、理解できることを理由に、自然の姿を歪めてしまうのは本末転倒だと思う。
リンさんたちが始めたチェンジ・ザ・ドリーム・シンポジウムは、その名の通り「夢を変える」ことを目指すプロジェクトである。現代社会が共有している夢、つまり、世界観を変える必要があるのだ。
その夢の中では、機械論的な世界観に基づいた未来予想プロジェクトが動いており、各自は、自分の魂の作動に基づいて行動するよりも、未来予想プロジェクトが敷いたレールに沿って行動することが求められている。そのレールの上を走るための餌としてお金や地位が使われ、それは、常に充足することが無いため、永遠にレールの上を走り続けなくてはならない。
レールから外れることは怖いことで、自分の魂の作動に従うよりも、世間で言われていることに従った方が安全だと教えられている。
しかし、そのレールの先にどんな現実が待ち構えているのか。私たちが心と頭を働かせれば、気がつくことができる。
リンさんは、絶滅に向かってレールの上をひた走る人たちに向かって、「夢を変えよう」と呼びかける。
リンさんのような人が存在していることが、私たちにとっては希望だと思う。
2016年9月4日に、リン・トゥイストさんの来日イベントが東京で実施される。
この日、東京に行くことができる人は、ぜひ、来日イベントに参加してみてほしい。
魂と繋がった行動をしている人が発するエネルギーを、感じることができるはずだ。
最初は、その理由がよく分からなかったが、少したって、それが、東日本大震災の記憶を呼び起こしているからだと気づいた。
東日本大震災は、僕にとって自分を変容させる大きなきっかけとなった。
当時、僕は、仙台に住んでいた。
地震、津波、原発事故・・・
目まぐるしく変わる状況の中で、家族の安全を確保するためにどうしたらいいのか、ほとんど寝ないでネットで情報収集しながら、毎日、何かしらの決断をしていくという日々が続いた。
僕達は、その後、仙台を離れることに決めた。心の中で感じていることを言うのが憚られ、多くの感情が抑圧され、棘のように心に刺さったままになったように感じた。
被害の状況は人によって様々で、置かれている状況も様々・・・。
ある人にとってのよい決断が、別の人にとってよい決断とは限らないわけなんだけど、違う決断をすることが、別の人の決断を否定してしまうような気がして、僕を含めて、多くの人が口をつぐんでしまったように思った。
当時の僕のコミュニケーション力では、その分断を超えてつながり直すことができず、自分自身に無力感を感じた。
「反転授業の研究」を始めたのは、人と繋がりたいという欲求が、かつてないほど強まっていたことが関係していると思う。
対話を通して人と深いレベルで繋がり、協力して何かを成し遂げていくことを学ぶことが、分断を超えてつながる力を身に着けていくことになると思った。
東日本大震災の後、5年間で多くのことを学び、かつてはできなかったことができるようになってきた。
熊本地震が起こったときに、自分の中で起こった反応は、「あの分断が、再び繰り返されるのか」ということだった。
それが、自分を落ち着かない気持ちにした。
ただ、5年前と違うのは、自分は、多くの人たちとオンラインで繋がっていて、思っていることや感じていることをお互いに話して、受け止めることができる安心安全の場があるということ。
「反転授業の研究」のメンバーには、熊本在住の仲間も多く、4月18日の夜、10人以上でZoomで集まって話をすることができた。
最初は、自分の心の反応が表面化していて、それが、発言にも出てしまっていたため、周りから心配されるほどだった。
でも、話をしているうちに落ち着きを取り戻すことができ、熊本から繋いでくれていた溝上広樹さんの声を聴きながら、自分の状態を把握できるようになってきた。
筒井洋一さんから出てきた「支援を反転する」というアイディアは、僕たちが「反転授業の研究」でやってきたことを象徴するようなものだった。
安心安全の場を創り、熊本からの声を受け止めていくこと。
言い憚られることを、受け止めていくこと。
これが、かつてはできなかったけど、今の自分たちならできることだと思った。
今の自分は、無力ではないということを確認することは、僕にとってもとても勇気づけられることだった。
熊本の避難所にいる大学院生の片橋匠さんとは、様々な活動を一緒にやっている。
彼が「昼間はいいんですが、夜は本当に怖い」と言っていたのを受けて、ロンドン在住の起業家であるエインさんが、匿名で交流できるチャットアプリを作った。
それが、「くまココ」
くまココにはこちらから自由に参加できます。
エインさんは、熊本でのPTSDの発症を心配し、次のように言っていた。
PTSDが最初から出る理由は、
Lack of connection
どうしても理解されない孤独
この企画にすぐに乗ってきたのが、仙台でSawa’s Cafeを営む佐藤さわさん。
彼女も、東日本大震災で人生を大きくシフトした一人。
さわさんは、Facebookで次のように呼びかけた。
おはようございまーす!
有志でこんなの作りました!【くまココ〜だいじょうぶ。夜もずっと、ここにいますから】
「くまココ」は、熊本地震で安心したい人と、励ましたい人をつなぐ、有志による匿名、顔出し不要のチャットです。↓↓↓
避難所で眠れずに、誰かに気持ちを聴いて欲しくなったとき、
先がみえない不安に押しつぶされそうになったとき、
弱音や愚痴で構わないから、気持ちを書き込んで欲しい。被災地外のかたは、ココロに寄り添う返信でご協力ください!
とくに、東日本大震災を経験したあたし達は、役に立てるはず!拡散よろしくお願いしますm(_ _)m
フランスから広本正都子さんも有志のボランティアに参加してくれました。
せつこさんは、社会変革ファシリテーターのBob Stilgerさんと、「よく生きる研究所」の榎本英剛さんが企画した東北ラーニングジャーニーで、通訳をされていた方です。ラーニングジャーニーに参加していたさわさんとつながり、今回は、時差を利用して深夜の見守りを中心に活動してくれます。
せつこさんからのメッセージはこちら
私は去年11月福島でご一緒してさわさんと知り合いました。今はフリーランスで活動中です。東北は大槌や陸前高田などでボランティアしたり、その他訪問しました。私もオンラインの可能性にとても注目していて、グローバルにできることを模索したいと思っています☆ よろしくお願いいたします!
エインさんが、早速くまココのロゴを作りました。
匿名チャットに、安心安全の場を創って、言いにくいことを吐き出していくことで、「どうしても理解されない孤独」を乗り越えていきましょう。
阪神大震災や東日本大震災の経験を持っている人は、特に力になれるのではないでしょうか。
そして、力になれると感じることが、自分自身の癒しにもつながっていくと思います。
『アクティブ・ホープ』を読んだときに、世界には2つの力があるということが書いてありました。
・支配する力
・つながる力
僕達は、どうやって「つながる力」を強めていくことができるのか。
学びながら、進んでいきましょう。
by ]]>本来であれば、太陽の光を浴びて、おいしいものを食べて、家族とおしゃべりしたりすることができていれば、結構、幸せなんだと思うんですよね。
あとは、自分の内側から湧いてくる想いに従って行動して、その想いが満たされていけば、それはもう至福です。
でも、そういう幸せから、自分たちを遠ざけているものがあるように感じています。
「幸せの条件」という別の目標が外から設定されて、「幸せの条件」を満たすために、幸せではない日常生活をおくるという本末転倒が起こってしまっているのではないでしょうか。
学校での成績、学歴、お金、お金を持っていることを示す様々なモノ。
これらを手に入れることが「幸せ」ですよと教えられて、それを手に入れる競争に没頭していることで、日常の幸せが失われていき、その一方で、大量生産、大量消費によって必要のないものが世の中に溢れ、大量の廃棄物を生み出しています。
さらには、学歴、お金、モノを持っていない人の自己肯定感を奪っていくという現象も生み出していると思います。
僕自身も、この文化の中で育ってきたので、「幸せの条件」が、無意識レベルに染み込んでいます。
そこからどうやって抜け出していけばいいのか。
自分を使って、いろんな実験をして、そこで感じたことを振り返って気づきを深めて・・というサイクルを回しながら、新しい価値観を創るための試行錯誤をしています。
クラウドファンディングに積極的に関わったり、ペイフォワードの動きを自ら作り出したりしていくうちに、いろんなことに気づくようになりました。
資源を奪い合っていると、誰かが得をする一方で、誰かが損をするわけです。
「損をしたくない」という思いから、みんなが自分を守るようになっていきます。
でも、「与える」という行為をすると、与えた側の心が満足感で溢れるんですね。受け取った側の心も感謝の気持ちで溢れる。
ここには、失っている人が誰もいないんです。
これは、とても大事なメカニズムだなと思いました。これこそ、体験を通してどんどん広めていきたいことですね。
試行錯誤をする上で、最も参考になるのが、「自然界」です。
人間は、本来は自然の一部なので、自分の想いに従って直感的に動いていくことで、生態系のようなシステムを作っていく力があるはずなんじゃないかという仮説を立てています。
この考えは、故・明峰哲夫さんが1970年代にやっていた「都市を耕せ」という活動から影響を受けています。
Webで調べたら、明峯さんがやっていた活動をエコビレッジで紹介していたので、こちらに引用します。
今月の座学では、このテーマについて、明峯哲夫先生(農業生物学研究室主宰)に講演していただきました。
1974年、石油パニックの真っただ中、茨城の農村地帯に反近代化を唱って「たまごの会」の自給農場はスタートしました。東京周辺の約300世帯の都市住民が自らの食べ物を自給すべく共同出資をし、経営のすべてに関わり、届けられる野菜と引き換えに生ごみを提供したのです。当時、有機農業はまだ認知される由もなく、農場コミューンは、地域からも相当異質なものとして見られたに違いありません。しかしながら、その中から一人、また一人と就農者が現れ、地域の生産者も少しずつ有機栽培を始めるようになり、今では関東周辺の有機農業をけん引する存在となっています。先生は八郷を離れた後、81年に東京日野市で30アールの畑と水田10アールを借りて「やぼ耕作団」を立ち上げられました。東京の駅前の一等地で、10家族のメンバーが食べる野菜はほぼ完全に自給されたそうです。大豆は味噌に、小麦は乾麺に加工し、東京で唯一頭のヤギを飼い、生ごみや落ち葉で堆肥を作りました。
先生は「田を耕すことが自然の循環に連なることを学び、過度に工業化した近代の都市生活の歪に気づく。そして農の力を実感した都市民が、主体的なまちづくりに関わったり、農村に移住したりするきっかけとなる」と言われます。
「社会の異物として存在し続けること、ただし地主さんや地元生産者など地域の協力者を得るための努力も大切」とも言われ、地域との関係性のポイントについて指摘されました。たくさんの日本人が自ら耕すようになったら、日本の都市の子供たちに笑顔が戻り、第三世界の人々の生活も改善されるかもしれません。
「闘いは楽しくやること。相手に羨ましいと思わせたら勝ち」
明峯さんは、都市の中に、あえて農場を作ることで、自分たちの生が、自然の循環に連なっていることに対する気づきを促し、近代の都市生活の歪みに気づくきっかけを作ろうと活動していました。
明峯さんについての詳しい話はこちら → 農業生物学者から教わったこと(1)
学んでいくうちに、明峯さんのような考えを持って活動している人たちは、実は、世界中にたくさんいるんだということに気がつきました。
「愛から行動する」というパーマカルチャーの考え方は、明峯さんの考え方と多くの部分で重なり合っていて、僕も共感する部分が多いです。
よく生きる研究所の榎本英剛さんも、2005年にスコットランドのフィンドホーン・ビレッジに家族で移住し、パーマカルチャーを実践しながら生活された経験をお持ちです。
榎本さんは、その後、トランジションタウンという持続型社会を創る世界的な運動を日本に持ち込み、トランジションタウン藤野の中心的な存在になっています。
榎本さんとスカイプでお話したとき、フィンドホーンと明峯さんがやってきたことが頭の中で結びつきました。
また、トランジションタウンでの自己組織化的な取り組みが、「反転授業の研究」における自己組織化と強くシンクロするのを感じました。
榎本さんと話をしているうちに、コミュニティの自己組織化の力で問題解決していくという方法は、自分たちの中の生き物としての力を引き出していくことなのだという認識が深まっていきました。
60分ほど話をした後、榎本さんは、「田原さんと話したら化学反応が起こるかもしれない人を何人か思いつきました。」と言って、2人の名前を教えてくれました。
そのうちの一人が、共生革命家、ソーヤ海さんでした。
ソーヤ海さんのことを調べていくと、東京アーバンパーマカルチャーのサイトにたどり着きました。
Webサイトには、次のような説明が書いてありました。
東京からサステナブル(持続可能な/共生的)社会を育むための実験と実践を行っています。
世界の最新情報やスキル(技術)を学び、
それを体感型のワークショップで日本に紹介しています。
パーマカルチャー、非暴力コミュニケーション(NVC)、禅(マインドフルネス)、
システム思考、ユースのエンパワーメントなどが活動の軸です。
活動仲間や企画者を常に募集しています。
よろしくお願いします。次世代のためにも、一緒に平和で希望のもてる社会を創作していきましょう!
ソーヤ海さんは、多くの動画をYoutubeにアップしていて、その中の1つ、【TUPテレビ】ギフトエコロジー(与え合いの生態系)とは?を見ました。
榎本さんは、彼と僕との間にどんな化学反応が起こることを予想したんだろうか?
そんなことを考えながら、2015年9月にWebサイトにあったメールアドレスにメールを送りました。
しかし、いくら待っても返事が来ない。
縁があればいつか繋がるだろうと思っていたら、3カ月後の12月にメールの返事が届き、スカイプで話すことになりました。
海さんにシェアしたいと思っていたリアルとオンラインとを結び付けたチャレンジが、その3カ月でじわじわと進んでいたので、結果的にはちょうどよいタイミングで話をすることができたような気がします。
海さんの忙しいスケジュールの合間を縫って、朝、スカイプをしました。
今からサンドイッチを食べるというので、その間に、僕が自分のやっていることを話しました。
「反転授業の研究」におけるオンラインの自己組織化のことや、クラウドファンディングの支援者によるオンラインコミュニティを作って、オンラインで対話セッションをして関係性の質を高めながらコクリしていくことにチャレンジしていることなどを話しました。
その後、海さんが、自分の活動について語り始めました。
今は、いろんな軸で活動しているんだけど、根底にあるのは、ビノーバ・バーベというガンジーの右腕の人がいて、彼の本を読んでしっくり来たんだけど、彼が「Moved by Love」(愛に動かされる)と言っていて、まさに自分は、そういう生き方をしたいなと思っている。
そして、そういう生き方を広めていきたい。
お金のために生きるとか、名誉のために生きるとかは、非人間的な生き方だと思っている。
自分のニーズを満たしながら、他の人のニーズを満たしていって、持っている人生の時間を、より素敵な地球を作るためにエネルギーをフォーカスしていくということを、自分の生活を実験台としてやりながら広めている。
パーマカルチャーとか、非暴力コミュニケーションとか、マインドフルネスとか、そういう社会運動とかは、表現の違いなんだと思うんだけど、一つずつ道だと思っているから、そういうことを教えて、特に、都会で刺激的なアクションを起して、拡散している感じなのね。
―― 海さんは、お金に捉われずに活動し、そこで生まれた物語を通して、自分や、周りのマインドセットを変えていっている感じですよね。
ほとんどの活動は、ギフトでやっている。
自分の生活は、すべて贈与経済でやっていて、それがベースなんだよね。
雇われることはほぼないし、金額でやることを選ぶことも基本的にないんだよね。
ただ、それが自分の本当に創ろうとしている世界を満たすか満たさないかで。
必要な資源は絶対に見つかるからという前提で動いていて。だから、活動もいろいろ進化していて、いろいろ変わっているんだけど、
ちょうど今、大きなシフトの途中で、僕が一人で騒いでいるところに、どんどんいろんな人たちが、クラウドファンディングみたいに、ある一つのプロジェクトを提案すると、そこに人がどんどん集まって、なんらかの貢献をしたいって気持ちで来るんだけど、それが、今、うまく活用できていないところがある。僕がいつも使っているパーマカルチャーの定義が、「生かしあう関係性のデザイン」というものなんだけど、生かされない資源というのは、どんどん腐っていって問題になる。
たとえば、ゴミとかは、まさに、生かされていない資源ということなんだよね。サラリーマンとかもそうだと思うんだけど。
今は、僕が、東京アーバンパーマカルチャーという存在だったところを、ちょっとずつ分けていって、東京以上の人が関わっているから、その名前もどうかなって思っているんだけど。
いろんな人たちが自主的にコミュニティとして動けるようにしていこうというデザインをしている最中なんだよね。
だから、さっき言ってくれたみたいなオンラインで対話とかをして、自分がどういうステップを取りたいかという話は興味があるし、クラウドファンディングだけじゃなく、もっと関わりたいという部分をどう引き出すかというところをクラウドソーシングと呼んでいる。クラウドソーシングをやっている仲間も地球上に何人かいて、面白い感じで、イギリスとか、アメリカのベイエリアとか、ポートランドとかでやっている仲間がいて、そういう面白い試みを日本で広げつつ、どうやって東京アーバンパーマカルチャーという実験で、そこをやろうかなって、まさに考えていたところなんだよね。
今は、俺の頭がこれ以上回転できなくなっている状態だから、チームを作って、10-15人くらいのみんな任意で面白いから関わってくれている人たちだと思うんだけど、僕がボトルネックにならないような体制つくりをしているところ。
一つの社会運動にしていこうというデザインをしているところ。
基本的に俺もみんなが自分のニーズにつながって、今、非暴力コミュニケーションのニーズという文脈で使っているんだけど、すべて私たちの行動の裏側には私たちのニーズがあって、それを満たすために行動しているということなんだけど、生活の維持とか、親に認められたいとか、いろんなニーズを満たすために行動していると思うんだけど、手段に意識が向いちゃって、機能していない。
いろんな人のニーズを満たさない手段が今の社会体制となってしまっている。
その現状を変えていくために働きかけをしていきたいと思っている。
みんなが自分のニーズと、他の人たちのニーズを平等に扱って、それを満たしあう生き方をしたらかなり大きな社会変革が勝手に起きていくと思うのね。
―― 社会変革を起こしていくための戦略は?
一つの試みとしては、そういうストーリーを作る。
今の社会のストーリーと、これからの社会のストーリーを作って、それを、俺が生きて派手に表現して、「こういう生き方が都会でもできるんだ」ということをちょっとずつ今まで広げてきて、あとは、エンパワーメントって言っていたけど、みんなが社会のデザイナーであって、自分の人生のデザイナーでもあって、ニーズを意識しながら、自分の可能性や持っているものに意識を向ければ、本当に自由で満たされた生き方ができるし、自然に他の人たちに貢献したくなる。そういう一種の教育活動をやっているんだよね。
見ている方向性とか考えていることとかはすごく似ていると思うし、僕は、どっちかというと、ライブとメディアで主に活動しているんだよね。
ただ、自分自身はネットを使わなくて、それは、ネットを使うと疲れるから。笑
でも、メーリングリストは500人以上いて、僕はやっていないけど、Facebookページには2000人つながっているらしいのね。
それだけの人たちも、何らかの理由でメーリングリストに登録したり、Facebookの情報を入手している状態だから、つながりたかった好奇心とか、何か変えたいとか、生かせるように工夫はずっとしたいなって思っているのね。
来年は、月に1回くらい、東京でグリーンドリンクスみたいな、直接会える機会を作っていこうかなって思っているんだけど、そうすると本当に東京中心になっちゃって、地方の人たちとか、海外の人たちとかいたりするから、そういう人たちをうまくつなげられることができたらなとは思っていて、今、話を聞いていて、おお、まさにこんなことじゃんって思った。
―― 海さんのところのチームの誰かが、オンラインコミュニティ運営の中心になれば理想ですね。
そうなれば理想だよね。その時点で、中心が僕からコミュニティに移っているから。
―― 海さんが考えていることを、どこかでまとめて読めるところなどはありますか?
本が結構上手にいろんな活動と考え方がまとまっている。
でっかい話、抽象的な話と、かなり細かい、どういう形で都会でそれを表現しているのかとかいうのも書いてあるから。いいベースの理解になると思うんだよ。
俺がどういう形で考えて活動しているのかというのが。
その本も、もともと俺が書きたくないというところからはじめたの。
本を書きたくないということをワークショップでずっと言っていたら、15人くらいのライターとか編集者とかが集まって書いてくれたの。
お金とかない状態で、みんなが想いで集まってくれて、プロの編集者とかライターが集まって作ってくれた。
全部有機的だから任意で作ってくれているわけじゃん。
でも、すごくクオリティの高いものができて、人間スピードなんだよ。
締め切り決めても、みんな仕事をしているから、その締め切りに間に合わないんだけど、締め切りって空想の「この日」というものに過ぎないから、全体のプロセス、任意で何かを作りながら原動力は想いだけ。結果、すごい本ができたけど、お金がなくて、もともとはコピー機で刷る「仁」みたいなものを作ろうと思ったのにすごい本ができちゃって、コストも高いから、そこでクラウドファンディングをして370人くらいが投資してくれたから、結果、400人で作った本ができたんだよね。
その物語がパワフルだと思うんだよ。もともとクラウドソーシングで、僕の周りにいる人と、その人たちのネットワークで、みんな技術を提供してくれて、みんな想いで作った本当にクオリティが高いもの。
お金が一切、決断の要素になっていなかったから、めっちゃ自由だったんだよね。
お金のことを考えると、みんな制限されちゃうから、うちらは、作りたいもの、最高のものを作ろうみたいな想いで作ったから、一般的な出版社ではできないような本ができたんだよね。
手作りだけど、みんなの想いがこもっていて、みんなの想いからお金も出て、出版できてという。
本の内容もいいんだけど、本の作り方が、まさにパーマカルチャーとか贈与経済をベースとしたものなんだよね。
自らが先頭を切って派手に飛び込んでいく海さんと、フォロワー型のリーダーとして、オンラインコミュニティに自己組織化の渦を巻き起こしていくことを得意とする僕とは、相補的な関係になっていて、今後、お互いを生かしあうような、よいコラボレーションができそうな予感がしました。
スカイプが終わって、早速、クラウドファンディングによって作られた海さんの本を買いました。
そして、明峯さんの本も。
この2冊の本は、お互いにシンクロし合って、僕の心に何かの灯をともすような気がしています。
40年前に東京を耕した明峯さんと、今、同じ想いを抱いて東京を耕している海さんと繋がったことの意味について、じっくり考えてみたいと思います。
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今回は、連載の最終回です。
僕は、子どものころから、空想癖が強くて、油断していると今でも、頭の中が空想の世界へ飛んでしまいます。
そうなると、注意がおろそかになり、小学生時代に、ランドセルを学校に置いたまま、1Kmの道のりを歩いて自宅に帰って来て、ランドセルを玄関に置こうとしてはじめて、それを背負っていないことに気づいたということもありました。
親からは、「そんなんじゃ、いつか取り返しのつかない失敗をするよ。」と言われ、実際に、いろんな失敗をしてきました。
医者になるのは絶対にやめようと思いました。
手術をしているときに気持ちが逸れて、何かを体の中に置き忘れたまま縫い合わせてしまうような失敗をしてしまうんじゃないかと思ったからです。
このような性質は、自分がきちんと作業をすることを妨げるという意味では欠点ですが、ビジョンを持つためには、もしかしたら役立っているのかもしれません。
脳の働きに関する数十年間の研究によって、私たちは、人間の二つの大脳半球が異なった働き方をすることを理解し始めている。左脳が言語や合理的な理屈で思考するのに対し、右脳はイメージやパターンを使って機能し、私たちが複雑な情報を融合し、ものごとの大局を感じ取るのを助けてくれるのだ。私たちの教育システムはほぼ言語と数字にしか関心がなく、私たちはまるで、脳の半分だけ使うように教えられているかのようだ。ビジョニングの能力を養うための第一歩は、それが知性の一つの形であって、学ぶことができる重要な能力だと気づくことである。
-- 『アクティブ・ホープ』 p220
物理学のトレーニングを受けたことは、想像力をうまく使うようになるためにとても役立ちました。
抽象化と具体化とを行き来しながら、様々な分野の出来事を結び付けられるようになったからです。
細胞性粘菌を研究しているときに、細胞集団にマクロな「個」が生まれるために重要な要素は、次のようなことであると抽象化しました。
コミュニケーションの伝搬速度が上がり、集団ダイナミックスのタイムスケールと、ミクロな個のタイムスケールとがカップリングすること
このように一度、抽象化してから、これを人間社会に当てはめてみたときに、インターネットが決定的な役割を果たすのではないかと思いました。
僕が大学院で研究していたころは、まだ、インターネットの黎明期でしたので、スカイプのようなサービスもなく、テキストベースでのやり取りだけでした。
でも、今後、この技術が発展していけば、遠く離れた人同士でも一瞬で繋がってグループになっていくはずだし、グループ内の情報の共有も一瞬にして行われる。そうなると、どこかで閾値を超えて、マクロな「個」のようなものが生まれていくのではないか。
20年前にそんなことを夢想していました。
マクロな「個」というイメージは、僕の心を大きく刺激しました。『パラサイトイブ』がSFホラー対象を取ったことに刺激され、自分もSFを書いてみようと思って『OMERA』という小説を書きました。
OMERA
R研究所の地下室にでは、飼育員の中島が、実験用のクローン猿たちに向かって「おめーらは、よう、かわいそうになぁ」と語りかけていた。
ある日、クローン猿たちに集団意識が芽生え、「私は、OMERA」と話し始める。
クローン猿たちの集合意識の知性レベルは、人間個人の知性レベルをはるかに上回り、OMERAは、街を支配し始める。
それに対抗するために、人間も集合意識を生み出す方法を見つけ、クローン猿と人間の集合意識同士の戦いが始まる。
争いの中で、さらに上位の集合意識の存在に気づく人間や猿が現れ、戦いの意味についての問い直しが始まる。この戦いは、生命体としての集合意識の存在に気づくためのプロセスだと意味づけらることによって、戦いが終了する。
数百ページ書いたところで読み直してみたら、自分の文章力の無さに愕然とし、アイディアだけでは小説は書けないのだということに気づいてあきらめました。
その後、研究を離れ、10年以上が過ぎました。
「反転授業の研究」で、ワールドカフェについて学んだとき、対話によって集合知を生み出す手法なのだということを知りました。
自分の心の底に沈んでいたイメージが、再び表層へと浮かび上がってきました。
そして、オンラインの対話を重ねているうちに、次々とビジョンが生まれてきました。
・オンラインコミュニティに集合知を創発させ、自己意識を、私から、「私たち」へと広げていき、全員参加型の共生・共創社会を生み出す動きを支えていく。
・国境を超えたオンラインコミュニティに「私たち」を生み出すことで、平和維持の力にしていく。
これらを実現するために、創発が起こるようなオンラインコミュニティ運営や、Web会議室を使ったオンライン対話セッションを開発していくことにしました。
国境を超えた交流をするために、英語でのコミュニケーションに本気で取り組み始めました。
遠隔コミュニケーションの質と量を高めていけば、あるところで閾値を超えて、広範囲に広がる「私たち」が創発し、多くの課題が「自分ごと」になることで解決されていくのではないかというイメージが湧きました。
そのイメージに導かれるように、「反転授業の研究」に参加型のオンライン講座が誕生したり、国境を超えてオンラインで語り合うオンラインコミュニティGreen Bird Cafeというが生まれたり、クラウドファンディングの支援者たちと一緒に外国ルーツの子どもたちを支援するオンラインコミュニティが生まれたり・・・様々な活動が次々と生まれています。
未来に何が起こるのかを確実に知ることは私たちにはできないので、何が起こってほしいか、ということに意識を集中させ、それが実際に起こる可能性を高めるために自分にできることをする、という方が理に適っている。そして、それこそが、アクティブ・ホープなのである。
-- 『アクティブ・ホープ』 p224
インターネットで繋がることで、サイバースペースに「私たち」を出現させるという試みを夢想しながら、2012年12月にひっそりと始まったオンラインの読書会が、3年後には、3600人のオンラインコミュニティに成長し、教育界に大きなインパクトを与えそうな勢いになっています。
その経験があるから、どこかでひっそりと始まっている試みも、「つながる力」によって大きく成長し、大きな動きを生み出すことができる可能性があることを信じることができます。
『アクティブ・ホープ』の中には、メタレベルの「個」の話が頻繁に登場します。それは、集団的知性という言葉であったり、エコロジカル・セルフという言葉であったりします。
僕の人生のテーマと『アクティブ・ホープ』のテーマは、強く強くシンクロしています。
エコロジカル・セルフという、より大きな自己から導きの合図を受け取ることができるのなら、それは、気持ちが奮い立つようなビジョンを私たちがつかまえると言うよりも、そうしたビジョンが私たちをつかまえるのだと言えるのかもしれない。どんな状況にも潜在的な可能性というものがあり、出現しようと待ち構えている。夢うつつでビジョンを見ている状態のときに私たちはそうした可能性を垣間見るのだ。そしてそうしたビジョンを私たちがつかまえたとき、それらは私たちを通して働き、私たちの行動という形に結実する。同じビジョンが数人をつかまえて、目的を共有する1つのコミュニティとして結びつけることもある。そう考えると、ビジョンというのは私たちが生み出すものでなく、私たちはビジョンに仕えているのだということもできる。
-- 『アクティブ・ホープ』 p236
自分の頭の中に浮かび上がったビジョンを、「自分が考えたもの」と考えずに、生命の織物を行き来する情報やイメージが、自分を通して現れてきたものと考えることは、それほど不自然なことではありません。
Facebookや、オンライン講座のフォーラムで書き込みをしていると、他の人の考えとシンクロし、他の人の言葉や考えを借りながら、自分のモヤモヤした思考を言語化できるようになるということを頻繁に経験します。
このようにして言語化されたものは、自分の中にあったものと、他の人の思考とのパッチワークです。さらに、自分の中にあったものも、もとを辿れば、誰かの思考を借りてきたものです。
多くの人の頭の中を言葉が飛び交いながら、様々な組み合わせが試行錯誤されていくうちに、多くの人の心を動かすような言葉やイメージへと磨かれていくのではないでしょうか。
ですから、コンテクストによって土手を作り、問いによって場に多くの思考を流していき、それらが自然と結びついて意味を成していくようにするワールドカフェの手法は、ぼくにとってとてもしっくりきます。
これは、ワールドカフェのメンバーが協力して集合知を生み出したという見方もできますが、もし、集合的知性の存在を認めるのなら、ワールドカフェという手法によって集合的知性にアクセスすることができたということになるでしょう。
ワールドカフェの産みの親であるアニータ・ブラウンは、ワールドカフェを、集合的知性(collective intelligence)にアクセスすることのできる方法として捉えていると発言していました。
集合的知性という考え方によれば、そうやって何かに応えようとするとき、あなたは決して一人ではない。そこではもっと大きな物語が進行していて、その中である特定の役割を演じることをあなたが選んだ、またはそのためにあなたが選ばれたに過ぎないのだ。自分よりも大きな知性を信頼するならば、同じくそれぞれの役割を演じているたくさんの仲間や助っ人のサポートを受け入れることもできるであろう。ジョーゼフ・キャンベルが書いているように、「あなたの至福に従いなさい・・・そうすれば、これまで扉のなかったところに扉が開く」のである。
-- 『アクティブ・ホープ』 p242
『アクティブ・ホープ』の第11章では、次の各レベルにおいて自分のまわりにサポート・システムを作る重要性が語られています。
・習慣や日々の実践などの個人的なレベル
・直接顔が見える人間関係のレベル
・自分が属する文化・社会のレベル
・すべての生命とのつながりを前提としたエコスピリチャルなレベル
――『アクティブ・ホープ』 p273
『反転授業の研究』に取り組んで1年くらいが過ぎたころ、自分だけが頑張っていて、空回りしているのではないかという気持ちが生まれて、苦しくなりました。
当時は2600人ぐらいのコミュニティだったのですが、その中に創発が生まれるためにどうしたらよいのかということを考え、グループに問いかけたりしていました。
ファシリテーションをテーマにしたオンライン勉強会では、自己組織化が起こるための条件をテーマに話をしました。
グループ内に自己組織化を増やすためには、相互作用量を増やすことが必要で、そのためには、
パスの受け手:「助けて」、「手伝って」という人
パスの出し手:「助けるよ」、「手伝うよ」という人
の両方が必要なのだけど、日本人に一般的なマインドセットだと、他人に迷惑をかけてはいけないと思いがちだから、パスの受け手が足りなくなってしまうので、積極的にパスの受け手の役割を果たしていくことが大事だということを共有しました。
このようなことを共有したことにより、安心して助けを求められるようになり、協力し合うことができるようになりました。
自分ができることで貢献して、できないことは助けてもらえばいいというように感じられるようになると、心が軽くなって、頭も自由に動くようになってきました。
逆に言えば、一人でやらなくてはいけないという考えが、知らず知らずのうちに、自分の発想さえも押さえつけていたのだということに気づきました。
助け合いが当たり前になってくると、本来は、このような関係性のほうが自然なのではないかという気持ちが生まれました。
朝、海を見ながらコーヒーを飲み、体に風を感じていると、自分が地球の長い歴史の中で生き物の1つとしてここに存在しているということを感じられます。
自分も生命の織物の一部として、情報やエネルギーを自分の体内に巡らせているということを感じられるのです。
私たちが呼吸する酸素は、植物やプランクトンがなければ存在しない。土壌や植物、受粉を媒介する昆虫、そして他の生き物たちが構成する、豊かで複雑な、生きた環境がなければ、私たちは食べ物を手に入れることができない。私たちの生命が他の生命体によって支えられている、ということを私たちが深く理解したとき、彼らにお返しがしたいという思いが自ずと強くなるはずだ。
--『アクティブ・ホープ』 p287
生物物理で自己組織化を学んだこと、ネット予備校運営でインターネットの使い方を学んだこと、オンラインコミュニティ運営に関わるようになったこと、参加型のオンライン講座の運営を開発したこと・・・自分自身のこれらの強みと、「大転換」のビジョンとが結びついたとき、自分の身体の中からエネルギーが湧いてくることを感じました。
著述家であり牧師でもあるフレドリック・ブフナーはこのことを、「私たちが心の奥底で感じる喜びと、この世界の根底にあるニーズが出会う」ところ、と描写する。この融合点を見つけたとき、「大転換」は、私たち一人ひとりを通して、その人にしかできない独特の形で姿を現すのだ。
-- 『アクティブ・ホープ』 p298
広い意味での活動家として、「つながる力」を発揮して、周りと助け合いながら、「大転換」へ向けて進んでいくプロセスそのものに幸福感を感じています。
今から考えると、東日本大震災の後、アクティブ・ホープのつながりを取り戻すワークのスパイラルが、自分の中で回っていたのだと思います。
東日本大震災で世界に対する痛みを感じ、自分がどうやって生きてけばいいのかが分からなくなり、カオスに入りました。
その中で、徐々に自分の価値観やマインドセットをつくり変えていくことができ、新しい目で見ることができるようになりました。
「反転授業の研究」などの活動を始めるようになり、前へ向かって進み始めました。
協力し合える関係を作るためにどうしたらよいかを考え、自分のこだわりを捨てて心をオープンにしていったことで、周りからのサポートを得られるようになり、自分の心の中に感謝の気持ちが溢れました。
心をオープンにしたことで、世界の痛みを感じる感度が上がり、多くのことに対して自分ごととして取り組むようになりました。
自分ごととして取り組むことで、今までに出会わなかったものと出会うことになり、マインドセットの変化が起こりました。
自分のマインドセットの変化により、世界に対する見方が変わりました。
新しく見えてきた道を、今進んでいるところです。
震災後の4年間でスパイラルが1回転半ほど回り、自己の範囲が広がり、心の感度が高まり、前へ進む勢いが生まれ、周りに対する感謝を強く感じるようになっています。
このスパイラルを、さらに回していくことになると思います。
まだまだ旅は始まったばかりですが、確かな希望が湧いています。
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これは、僕の人生のテーマと強くシンクロし、深くうなづきながら読み進めていきました。
僕が「自己の範囲」というテーマと出会ったのは、大学院で生物物理を研究しているときでした。
自己組織化をテーマに選び、具体的な研究テーマを探していて出会ったのが、細胞性粘菌という土の中で生きている小さな生き物でした。
細胞性粘菌は、次のようなライフサイクルを持っています。
細胞性粘菌アメーバは、餌であるバクテリアを食べ尽くすまでは、有限の資源を奪い合っています。
しかし、すべての餌を食べ尽くし、飢餓状態になると、それぞれのアメーバの内部でスイッチが入り、化学物質を周期的に分泌し合ってコミュニケーションを取るようになります。
飢餓状態であることを認識したアメーバは、それまで餌を奪い合う競争相手であった個体と協力するために交流し始めるのです。
化学物質の波は、アメーバ集団を多いはじめ、そこにマクロな時空間パターンが生まれてきます。
アメーバは、化学物質の時空間パターンに従って一カ所に集まり合体します。
アメーバとしての個の境界は消えて融合し、移動体となって新しい環境を求めて移動していき、新たに生命を繋いでいきます。
学生時代の僕は、「つながること=同化すること」というイメージを抱いていました。
社会や親からの期待に押しつぶされそうになりながら、どうやってどこにも同化しない「自分」というものを確立すればいいのかということに悩んでいました。
個というものは何なのか?
集団の中でも埋もれない個とは何なのか?
そんなことを考えていて、細胞性粘菌をテーマに、集団と個の在り方を理解しようとしていたのです。
しかし、自分の生き方が変わるにつれ、細胞性粘菌のライフサイクルは、違ったストーリーを僕に語りかけるようになりました。
東日本大震災で「痛みを感じた」ことによって、僕の心の中のスイッチが入りました。
自由を得るために集団から距離を取り、個人としての利益を追求していた生き方を止め、周りと繋がるためにコミュニケーションを取るようになりました。
細胞性粘菌が、飢餓状態になってはじめてスイッチが入るように、「痛みを感じた」ことによって、「それまで通り」の物語から抜け出して、「大転換」の物語へとシフトしたのです。
細胞性粘菌のライフサイクルは、僕に、何をすればよいのかを教えてくれました。
周りとつながってシンクロの波を増幅し、自己組織化のうねりを生み出していくことこそが、自然界における「大転換」の物語であることを細胞性粘菌は、僕に教えてくれていたのです。
僕は、ネオ・ダーウィニズムでない進化論から多くのことを学んできました。
『アクティブ・ホープ』が、細胞共生説を引用しているのを読んで、ここにも仲間がいると感じました。
ネオ・ダーウィニズムの信奉者によれば、進化とは、種と種が生き残りを賭けて猛々しくぶつかり合う、激烈な競争の結果起こることである。だが現在の科学の本流で認められている考え方はそれとは全く異なるもので、「細胞内共生説」と呼ばれる。これは、私たちの進化における重要なステップは種と種の間の協力を通して起こったのであり、その協力の仕方は、別々の生命体が結合して新しい生命の形を生み出すほどだった、とする説だ。この説の中心的な提唱者であるリン・マーギュリスとドリオン・セーガンは、「生命は、戦いによってではなく、つながりにを作ることによって地球を自分のものにした」と書いている。
-- 『アクティブ・ホープ』 p133
自己組織化を学んでから、生命は自己組織化の原理に従って進化してきたはずだという確信を得るようになりました。
しかし、ネオ・ダーウィニズムは、生物は環境からの情報を遺伝情報に取り込む「獲得形質遺伝」をセントラルドグマで否定しています。
大学院を中退してから、在野の研究者として、ネオ・ダーウィニズムを乗り越える進化論の構築は、どのようにしたら可能なのかをずっと考え続けてきました。
その中で出会ったのは、獲得形質遺伝というテーマでした。
過去に獲得形質遺伝に取り組んだ多くの生物学者の文献を読み、獲得形質遺伝を可能にするメカニズムについて10年間、考え続けました。
すると、エピジェネティクスという現象が見つかり、植物でも、動物でも、獲得形質が遺伝可能であることが分かってきました。
これは、ネオ・ダーウィニズムを根底から揺るがすものです。
獲得形質遺伝の存在を認めると、進化というのは、世代を超えた長期間における「学びのプロセス」と見なせるようになります。
長い時間をかけて調和へ至るプロセスというように言い直してもよいかもしれません。
脳における学習というのは、ニューロン同士のつながり方を調整して、ニューロン集団である脳に高次の機能を生み出していくプロセスです。
これは、脳においてのみ起こっていることなのでしょうか?
僕は、もっと普遍的なものなのではないかと思っています。
巨大なアメーバであるフィザルム型真正粘菌は、体細胞ネットワークによって情報処理を行い、脳と同じように学習をすることができます。
それなら、遺伝子ネットワークも、同じように「ネットワーク学習」をするのではないか?
ネットワークのつながり方の調節をエピジェネティクスが行っていると考えれば、遺伝子ネットワーク学習の結果を次世代へと渡していくことが可能なのではないか?
そんなことを考えて、「エピジェネティクス進化論」という仮説を立てました。
このプロセスを、神経細胞ネットワーク(脳)→体細胞ネットワーク→遺伝子ネットワーク というようにミクロの方向へ辿る代わりに、今度は、マクロのほうに辿ってみましょう。
アメーバ型組織では、中心となるリーダーがいなくても、チームが連携して動くことにより、全体が一つの生き物のように動きます。このときには、個人の能力を超えたものが組織の中に生まれているはずです。
さらに、それを、コミュニティ、人間全体、生態系全体、地球全体と広げていくことも可能です。
地球全体を1つの生命体とみなすガイア理論は、このような視点から見ると、論理的に妥当な結論だと僕には感じられます。
『アクティブ・ホープ』では、「私たちは、様々な大きさの輪の一部である」ということが語られています。
何を自分にとっての利益と考えるかは、その瞬間、私たちが自分をどのような自己としてみているかに左右される。
-- 『アクティブ・ホープ』 p123
自己の輪を、コミュニティ、生態系、地球全体と広げていったときに、自分にとって利益だと考えることの中身が変わってきます。
これは、この2年間で自分の輪を広げてきたプロセスの中で、確かに感じてきたことです。
そして、大きなアイデンティティを持つようになることで、「行動したい」という強い衝動が生まれています。
『アクティブ・ホープ』は、力には2種類あると述べています。
旧来の力=抑える力
もう1つの力=つながる力
つながる力とは、いったいどのようなものでしょうか?
力(power)という言葉は、ラテン語で「~することができる」という意味のpossereが語源である。今から見ていく力とは、他者を支配することでははく、私たちが置かれた滅茶苦茶な状況に対処することができる、という意味での力だ。それは、どれだけの物やステータスを持っているかではなく、洞察や実践、強さや関係性、慈悲の心や生命の織物とのつながりに根ざした力である。
-- 『アクティブ・ホープ』 p146
僕が、「反転授業の研究」を通して取り組んでいることは、教育を支配している力を、「抑える力」から「つながる力」へと転換していこうということなのだということを、『アクティブ・ホープ』を読み終えたときに言語化することができました。
国が抑える力によって学校を管理し、管理職が学校で抑える力によって教師を管理し、教師が教室で抑える力によって生徒を管理していく・・・。
このように抑える力が上から下へずっと降りていくのがピラミッド型社会です。
ピラミッド型社会では、それぞれの場所において、個が力を発揮することよりも、「上」が管理しやすいことをが優先されて「教育」されていきます。
この構造をどのようにして「大転換」していったらよいでしょうか?
「反転授業の研究」で出会った福島毅さんは、次のように言っていました。
「反転授業」の「反転」という言葉は、単に教室と自宅学習の順序を反転させるという意味だけでなく、教育のコペルニクス的な転換であるという意味も込められているのではないでしょうか。
僕が思い描いているのは、次のような「大転換」です。
(1)「反転授業の研究」でつながった教師たちが、「つながる力」によって価値を生み出しながら、「つながる力」について学んでいくことで、教室において、「抑える力」を手放し、生徒が「つながる力」を発揮できるように支援できるようになっていく。
(2)教師のアクティブな動きとシンクロしながら、管理職が「抑える力」を手放し、学校が「つながる力」によって学び合う「学習する組織」になっていく。
(3)ドミノ倒しのように、ボトムアップの動きが生まれて、力強いうねりが生まれ、より上位の階層が動かされていく。
思い描いている「大転換」の物語は、渦を巻き起こしながらゆっくりと進んでいます。
非線形システムにおいては、変化は連続的には起こりません。
閾値を超えたとたんに、不連続にドラスティックな変化が起こるのです。
ですから、閾値を超える一歩手前までは、何の前兆もないことが当たり前。ただ、作りたい未来へ向かって行動するのみです。
『アクティブ・ホープ』では、「つながる力」を受け入れる3つの方法が紹介されています。
・行動したいという衝動に耳を傾け、それに応えることを選択する。
・「力」という言葉を動詞として理解する。
・他者の強さを活用する。
「大転換」に向けて行動しようと決意して動き始めると、困難に対しても立ち向かう気力が沸いて来て、自分の中に解決策を持っていなくても、誰かが現れて助けてくれます。
コミュニケーションをとりながら、お互いの理解を深めていって、協力し合える関係を作っていき、組み合わせたことによって、一人一人じゃ生み出せなかった価値を生み出せるようになると、お互いをかけがえのない存在だと感じられるようになり、幸福感が満ち溢れます。
これも、僕が、2年間で体験してきたことです。
『アクティブ・ホープ』が語る世界は、僕の身の回りで現実に起こっていることです。
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この本は、社会を変えていく活動の道標になる本だから、単に内容を紹介するのではなく、本で紹介されているワークを実際にやりながら、それが自分にどのような変化をもたらしているのかを報告していこうと思う。
この本は、3つのパートから構成されている。
「パート1 大転換」は、どのようにして、日常生活を送っている普通の僕たちが、冒険の旅へ旅立つことになるのかを明らかにしている。
著者は、3つのストーリーが現在進行中だと言う。
・ストーリー1 「これまで通り」
・ストーリー2 「大崩壊」
・ストーリー3 「大転換」
僕も含めて、多くの人の初期設定は、ストーリー1だ。
僕達は、自分の周りにある情報から世界観を作っている。
メディアや教育によって伝えられている情報をもとに世界観を作っていくと、次のような「これまで通り」物語を信じることになる。
・繁栄のためには経済成長が欠かせない。
・自然とは、人類の役に立つよう利用するものである。
・消費の促進は経済を発展させる。
・筋書きの中心にあるのは「人より前に出る」ことである。
・自分たち以外の民族、国、生き物の問題は自分たちが関知することではない。
※『アクティブ・ホープ』より引用
学校教育の中では、偏差値によって一元化された価値観に基づいた競争が行われ、学歴によって序列化される。
学校を卒業するとお金によって一元化されたヒエラルキーが存在し、その上位のポジションを占めるための競争が始まる。
大観衆の中で脇目も振らずに走っている競走馬には、レース場の外のことや、レース場を運営している仕組みについて考えている余裕はないのだ。
だが、何かをきっかけに、このバカ騒ぎの輪の外へ出ると、全く違う景色が見えてくる。
きっかけは様々で、受験に失敗したことだったり、就職に失敗したことだったり、病気になったことだったり、災害にあったことだったり・・・・。
自分自身がシステムの一部として動いているときは感知できなかったシステムそのものが、システムから弾き飛ばされたり、システムが故障したりしたことで、突然、目の前に現れてくるのだ。
僕自身は、生まれてから28歳で大学院を中退するまで、脇目も振らずにレースに参加していた。
先頭集団にいることに誇りを感じ、途中で脱落していく人たちに目もくれず、少しでも順位を上げるために全速力で走っていた。
家族のトラブルで大学院を中退し、レースを棄権してレース場の外に出てはじめて、自分がどのようなレースに出走していたのかを理解することができるようになり、誰かが決めたレースに出走するのではなく、自分の足で進む方向を決めて、自分のペースで歩き始めた。
レースに勝つことが幸せだと信じて生きてきた僕が、レース場の外に幸せを見つけようと動き始めるためには、5年以上の年月が必要だった。
そして、レース場から離れた場所に、ささやかな自分の居場所を見つけて穏やかな生活を始めた。
レース場とその周辺世界が、より大きなシステムの一部だということに気づいたのは、東日本大震災のときだった。
津波と原発事故によって、自分を取り巻くシステムに亀裂が入り、その存在が、突然に目に入ってきた。
現実を見つめることは、それまでの穏やかな生活には戻れなくなることを意味しており、新たなカオスへの突入を予感させた。
自分を取り巻く社会システムについての探求が否応なくスタートした。
それまで強固な地盤だと信じていたものが、簡単に崩壊する可能性があるものだと思うようになった。
自分自身や、自分の子どもの世代がどのように生きていったら幸せになるのか。
またもや見えなくなった。
『アクティブ・ホープ』には、「これまで通り」物語の外に出てしまった人たちは、システムの持続可能性に疑問を持ち始め、不安に襲われる様子が書いてある。
・経済の衰退
・資源の枯渇
・気候変動
・社会的な分断と戦争
・生物種の大量絶滅
※『アクティブ・ホープ』より引用
これらは、311より前は、自分にとって、どこか他人ごとで、遠い世界の話に過ぎなかった。
しかし、社会システムについて考え始めてから、大きな因果関係と自分の生とが、密接に結びついていると感じるようになり、それらを自分と切り離せなくなってきた。
それは、同時に、社会の様々な問題が自分の上に重くのしかかってくることを意味していた。
個人で取り組むには大きすぎる問題に対面して、どうしたらよいか分からなくて無力感を感じた。
かつてのような安心感を持って生活するために、社会システムの矛盾を見なかったことにして、幻想の中に逃げ込みたい・・・という気持ちもあった。
このとき自分の支えになったのは、かつて5年間のカオスを乗り越えたという経験だった。
また、自分よりはるかに厳しい状況の中で、レジリエンスを発揮して前に進んでいる友人たちの姿が励みになった。
2011年3月14日、僕は、兵庫県の尼崎市にいた。
3月11日に地震があり、12日に原発が爆発したことを知り、急いでWikipediaでチェルノブイリのことを調べたら、300kmの距離にホットスポットができたと書いてあったので、関西まで家族を連れて移動して状況を見守ったほうがよいと判断し、仙台から山形へ車で抜け、そこから飛行機で関西へ飛んだのだ。
疲れ切って空港で休んでいたときに、予備校講師仲間の長野研一さんから電話がかかってきた。
「大丈夫だった?」
「うん。とりあえず無事ですけど、そっちは?」
と聞いたときに、はっとした。
長野さんは、岩手県の陸前高田市の出身だということを思い出したからだ。
津波によって大きな被害を受けたというニュースを聞いたばかりだった。
それから何カ月かして、長野さんと話をする機会があった。
その頃、長野さんは、毎週のように東京から陸前高田へ通っていて、復興支援に走り回っていた。
僕が、もともと長野さんに抱いていた印象は、クールで、ちょっと冷めているような感じの人で、社会活動とは全く結びつかないものだった。
だから、その長野さんが、NPO法人「明日の希望」を設立し、あまりにも大きな被害に心が折れそうになっている地元の人を励ますために、自分たちの写真にメッセージを添えたポスターを作り、町中に貼って回ったりしていることを知って驚いた。
でも、それが、本当の長野さんの姿なんだと思った。
長野さんの写真のポスターには、「やれることは、何でもやるよ。」と書いてあった。
長野さんは、感情を押し殺したような話し方で、陸前高田のことを話してくれた。
陸前高田は何も進んでいないのに、東京では、すでに震災が過去のことになっていると言っていた。
その話し方から、言葉にならないものが伝わってきた。
自分自身の体験、長野さんを通した間接的な体験。
自分が生み出している世界の中で、社会システムのひび割れはどんどん広がり、どうやっても元に戻れなくなった。
取り返しのつかないことが起こり、とんでもないことが未来に待ち受けているように感じた。
「大崩壊」に大きなリアリティを感じ、同時に、それに対して自分が何もできないような気がした。
再び、混乱の中に入っていくことになった。
『アクティブ・ホープ』では、3つ目のストーリー「大転換」という変化が起こりつつあると言う。
産業成長型社会の行き詰った経済システムによって傷つけられた世界を元通りにすることを最優先とする生命持続型社会への移行を意味するのだそうだ。
それは、社会の末端で起こっているだけのように見えるが、あるところで閾値を超えると、新たな主流派になるのだと言う。
311の後の4年間、僕は、カオスの中でばたばたしながら、新しく自分の足場になるようなものを探し続けてきた。
社会システムのひび割れは、社会の末端で起こるから、社会の末端にいる人が、最初に気づいてカオスに突入し、そこから抜け出すために、様々な試行錯誤を始める。
だから、新しいパラダイムは、旧社会システムの末端で生まれるのだ。
遠く離れた末端は、旧社会システムの矛盾が出現しているという点でシンクロし合い、それらが繋がってうねりを生み出すトランスローカルが起こるとき、おそらく、閾値を超えて新しいパラダイムが生まれるのだろう。
このような社会変化における大局的なイメージを獲得するのに、かつて大学院で学んでいた自己組織化という考え方がとても役立つ。
『アクティブ・ホープ』は、大転換のストーリーを、次のような3つのアプローチに分けて説明している。
1)待ったをかける
2)生命持続型のしくみを作る
3)意識を変える
社会システムは巨大で、個人がどんなことをしても変化しないように思える。
でも、そこに自己組織化のしくみが働くと、個人の範囲を超えた動きが生まれ、それは、社会システムを変化させる力を持つ。
カオスの中ではじめた小さな試みであるFacebookグループ「反転授業の研究」は、自己組織化のしくみが働き、わずか2年間で3600人を超えるグループへと成長し、さらに、毎月、約100名のペースで増え続けている。
気がついたら、自分自身は、大転換の大きな流れの中に巻き込まれ、その中でエンパワーされ、また同時に、周りをエンパワーしている。
『アクティブ・ホープ』に書いてある「大転換」のストーリーは、今の僕にとっては、本の中のものではなく、現在進行形で進んでいる自分自身のストーリーだ。
何かができそうだから行動するのではなく、自分が望む未来を自分たちで創りたいからそのために行動し始めると、大きなエネルギーが湧いてくる。
『アクティブ・ホープ』は、厳しい状況の中で最善の反応のすることができるように3つの道しるべを紹介している。
・冒険物語
・アクティブ・ホープ
・スパイラル
行動することを決断し、動き始めると、次々と仲間と出会い始める。
それは、まさに冒険物語の世界と同じ感覚だ。
困難が次々と訪れるが、自分の中にはなかった解決方法が外からやってきて、何とか乗り越えられていき、その経験を通して、意識のキャパシティがどんどん広がっていく。
自分たちが望む世界の実現に向けて意識を集中させ、そこで起こる全てのことから学びながら進んでいく。
ここで、紹介されている「つながりを取り戻すワーク」は、生き物が持つ融通無碍な性質を最大限発揮することを助けるものだと思う。
(1)感謝の気持ちを感じる。
(2)世界に対する痛みを大切にする。
(3)新しい目で見る。
(4)前に向かって進む。
(1)-(4)を繰り返し、スパイラルを描きながら進んでいくのだ。
感謝の気持ちを感じると、自分がたくさんのものを世界から受け取っていることに意識を向けることができる。
世界に対する痛みを感じることで、自分の範囲が広がり、自分が受け取っているものを、痛みが生まれているところへ送っていきたいという気持ちが生まれる。
広がった自己を通して世界を捉えると、今までとは違った光景が見えてくる。その光景の中で、次の一歩を決めて踏み出すと、スパイラルが回り始める。
このスパイラルは、周りのスパイラルを回していく力を持つ。
ここには、ペイフォワードの仕組みが含まれているのだ。
あなたの行動に感謝を感じた誰かが、誰かへ向かって行動を起こしていく。
それは、ドミノ倒しのように広がっていきながら、大きなうねりを生み出していくことができる。
最初は、ゆっくりと静かに回っていたスパイラルは、力強くエネルギーを外側に噴き出しながら回り始めるだろう。
そして、その動きが閾値を超えると、個人のレベルを超えたマクロな動きが生まれるはずだ。
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この本とは、まさに巡り合うべきタイミングで巡り合ったと感じている。
感想を書くことを通して、自分がどこから現在地へたどり着き、これからどこへ行こうとしているのかを言語化したいと思っている。
第1回目の今回は、2年前から始まった学びの旅の途中で、どのようにしてこの本にたどり着いたのかについて書きたい。
学びの旅の物語は、僕が、この本を読む理由を説明してくれると思う。
2年間に渡り、縁を辿っていくうちに『アクティブ・ホープ』にたどり着いた。
これだけの縁のつながりが、たった2年間で起こったことだとは、今考えても信じられないほどだ。時代の変化と、それに伴う結晶化のプロセスが起こっていて、その中に自分が巻き込まれていることを感じる。
一番最初のきっかけは、関西で力強く教育を変え続けている杉山史哲さんとつながったことだったような気がする。
杉山さんは、「反転授業の研究」に早い段階から参加してくれて、オルタナティブな教育について豊富な知識を持つ杉山さんから、僕は、未来の教育についての様々なことを教えてもらった。
今、僕が使っている教育系の用語のほとんどは、杉山さんから聞いたものだったりする。
杉山さんが発する情報をフォローしていたら、杉山さんが「場つくりの師匠」と呼ぶ嘉村賢州さんのことを知った。
当時は、ファシリテーションの興味を持ち始めていた頃だったので、嘉村さんの話を聞いてみたいと思ってインタビューさせてもらった。
場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビュー
インタビューを通して、U理論のことや、コーチングを日本に持ち込んだ榎本英剛さんの存在を知った。
U理論の翻訳者である由佐美加子さんとは、ワークショップ動画への感想を送ったことから交流が始まり、2月には一緒にオンラインワークショップを開催することになった。由佐さんのワークショップ動画は、本当に素晴らしいのでぜひ見てほしい。
嘉村さんの発する情報もフォローするようになり、しばらくしたころ、嘉村さんの紹介で、『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』という本の存在を知った。
東日本大震災の後、社会変革ファシリテーターの著者のボブ・スティルガーさんは、東北を回り、コミュニティ再生を助けるためにフューチャーセッションや、アクティブ・ホープのワークなどをして回っていて、その様子を本に綴って出版したのだ。
この本を読んでいるうちに、自分の現在地とこれから進むべき方向が見えてきて、長いレビューを書いた。
Bob Stilger著『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』が社会的変容への地図となる
社会変革という言葉が、僕の中にずっしりとした重みを増してきて、同時に、自分が「反転授業の研究」でやってきたことが、どのようにして社会変革に繋がっていくのかがイメージできた。
この本を読むまでは、僕にとってファシリテーションとは、教室の中でするものに過ぎなかった。
しかし、この本の中に出てくるファシリテーターは、自分たちで立ち上がろうとしている人たちが集まるところに現れて、自己組織化のプロセスが回ることを助けていた。
今までオンラインコミュニティ運営を通して学んできたことを、もっと役立てられないかと思い始めた。
どうしても著者のボブさんと話をしたくなって、スカイプで話をした。
ボブさんと話しているうちに、周りを巻き込んで立ち上がっていこうとするときに、「パワフルな問い」がいかに重要なのかということに気づいた。
また、ボブさんから「あなたは、Amazing personだ。Natural connecterだよ。」と言われたことが、自分の強みを知るきっかけになった。
ボブさんとのミーティングは、多くの繋がりをもたらしてくれた。
このミーティングをきっかけに、多くのファシリテーターと繋がった。
僕をファシリテーションに導いてくれた恩人の一人、ワールドカフェホストのAmy Lenzoさんが、ボブさんと志を同じくする友人であることを知り、ちょうどワールドカフェ20周年イベントが日本で開催されるということもあり、Amyさんへスカイプインタビューをして応援することにした。
また、僕をファシリテーションの世界へ導いてくれたもう一人の恩人、香取一昭さんとも改めて繋がったことをきっかけに、エイミーさんが主催するオンラインワールドカフェに参加させてもらった。
それをきっかけに、荒金雅子さん、シュトウ直子さん、平井雅さん、宇佐見博志さんといったパワフルな人たちと次々とつながり、新しい世界が目の前に開けてきた。
ここからは、今後、いろいろなコラボレーションが生まれていくような気がしている。
ボブさんから、三田愛さんと話したほうがよいと勧められ、コクリ!ラボの三田さんをインタビューした。彼女から聞いたコクリのプロセスや、コクリとパーマカルチャーとの関係は、僕の中の新しい扉をさらに開いた。
コクリ(Co-Creation)で地域創生を進める三田愛さんインタビュー
ボブさんに自分の物語を話し終えたときに、ボブさんが、「榎本ヒデさんを知っている?」と聞いた。
榎本さんのことは、嘉村賢州さんから話を聞いて以来、ずっと心の中に残っていて、気になっていた。
ボブさんの中で、僕と榎本さんが重なる部分があるから、僕が自分の話をしたときに榎本さんのことを思い出して口に出したのではないかと思った。
榎本さんと話をすることで、道が開かれるんじゃないか
そんな直感があり、榎本さんに連絡を取ってスカイプでお話をさせてもらうことになった。
スカイプをする前に、榎本さんのことをよく知りたいと思い、「よく生きる研究所」のHPを隅から隅まで読んだ。
特に榎本さんのLife Journeyには引き込まれた
これを読んだとき、一言でいうと、榎本さんは、僕が今進んでいる道の数歩先を歩いている人だということが分かった。
榎本さんにお話をうかがったときに一番印象に残った言葉が、「エンパワー」という言葉だった。
榎本さんは、これまでやってきた3つの活動
・コーアクティブコーチング
・トランジションタウン
・チェンジ・ザ・ドリーム
のすべての根底にある共通点がエンパワーということなのだと語っていた。
それらを統合する形で「よく生きる研究所」を立ち上げたのだそうだ。
僕にとっての重要なキーワードである自己組織化は、増幅とシンクロによって引き起こされる。
これは、榎本さんが語っているエンパワーと同じものだと思った。
榎本さんが、フィンドホーンでパーマカルチャーを通して学んできたことと同種のことを、僕は、農業生物学者の故・明峯哲夫さんとの10年間の対話を通して学んできたのだと思った。
見ている世界がシンクロしていると思った。
ただ、僕と榎本さんの大きな違いは、何も持たずに素手で取り組んでいる僕に対して、榎本さんは、効果を上げるための様々な方法論やスキルを身に着けていることだった。
僕の場合は、この2年間、何かに突き動かされるようにして動いてきたが、変化のスピードが速すぎて、想いだけが先行していて、そこに知識やスキルが追い付いていないのだ。
そこで、榎本さんを手掛かりにして学んでいくことにした。
僕にとってのトランジションタウン活動は、「外国ルーツの子どもたちの学習支援」をきっかけに集まった支援者のオンラインコミュニティに自己組織化を起こして、持続可能な活動を生み出していくことだ。オンラインの対話を重ねながら、集合知によって現場の問題解決を支えていく方法を探っていく。
ここでの学びは、今後、次々と中央からの支援が打ち切られていくであろう「周辺部」の人たちが、外の人たちとどのように繋がり、助け合いながら立ち上がっていくのかを探るものになるはずだ。
外国にルーツを持つ子どもたちへの支援が未来の教育へのヒントになる
チェンジ・ザ・ドリームシンポジウムを運営しているNPO法人セブンジェネレーションズ代表の宇佐見博志さんと、ワールドカフェイベントで繋がり、僕たちのグループが持っているオンライン講座の運営ノウハウを生かしてコラボレーションするための可能性を模索している。
榎本さんを手掛かりにして学び始めた直後に、『アクティブ・ホープ』の出版のニュースが届いた。
榎本さんやボブさんが、ジョアンナ・メイシーのアクティブ・ホープのワークを受けていて、それを、様々な場面で使っていたのを知っていたので、まさに学びたいタイミングで、本が出版されたのがうれしかった。
この本との出会いは、僕の活動を、確実に一歩前へ進めてくれるものだと確信している。
『アクティブ・ホープ』が手元に届く直前に、榎本さんとボブさんが、東北ラーニングジャーニーという2泊3日の学びの旅を行った。
福島の現実に対峙し、その後、アクティブ・ホープのワークを通して力強い動きを生み出していくというものだ。
自分は参加できなかったので、何かの形で応援したいと思った。
支援金という形で寄付をしようかと思ったが、それよりも、この旅に参加することでエンパワーされる人を繋いでいったほうがよいのではないかと思った。
何人かの友人に声をかけたところ、反応してくれたのが仙台でSawa’s Cafeをやっている佐藤さわさんだった。
さわさんも、僕も、東日本大震災のとき、仙台に住んでいた。
そして、震災をきっかけに人生の方向性を大きく変化させた。
彼女は、今、力強い活動を生み出していて、東北ラーニングジャーニーに参加することで、その勢いが加速されていくのではないかという気がした。
そして、それは、現実のものになった。
さわさんから、アクティブ・ホープのワークの感想をスカイプで聞いたことと、旅から戻ってきたさわさんの力強い動きを見て、その効果を実感した。
さわさんは、ラーニングジャーニーで繋がった縁をきっかけに、1月30日にSawa’s Cafeでチェンジ・ザ・ドリームのワークショップをやるそうだ。
2月に行う予定の由佐美加子さんを講師としたオンライン講座にも、さわさんは、運営ボランティアとして参加してくれることになっている。
今後、新しいコラボレーションを進めていくときのキーパーソンになってくれるはずだ。
世界中で厳しい現実が現れているが、それと呼応するように、希望も生まれていることを感じている。
縁を大切にしながら、周りをエンパワーすることで、自分もパワーアップしていく。
今回は、僕がこの本にどのようにして辿りついたのかについて書いたけど、次からは、本の内容について感じたことを書いていきます。
この本が、多くの人の手に届き、多くの人が自分たちの力を信じて行動する助けになることを祈っています。
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