最近、ずっと幸せになる方法について考えています。

本来であれば、太陽の光を浴びて、おいしいものを食べて、家族とおしゃべりしたりすることができていれば、結構、幸せなんだと思うんですよね。

あとは、自分の内側から湧いてくる想いに従って行動して、その想いが満たされていけば、それはもう至福です。

でも、そういう幸せから、自分たちを遠ざけているものがあるように感じています。

「幸せの条件」という別の目標が外から設定されて、「幸せの条件」を満たすために、幸せではない日常生活をおくるという本末転倒が起こってしまっているのではないでしょうか。

学校での成績、学歴、お金、お金を持っていることを示す様々なモノ。

これらを手に入れることが「幸せ」ですよと教えられて、それを手に入れる競争に没頭していることで、日常の幸せが失われていき、その一方で、大量生産、大量消費によって必要のないものが世の中に溢れ、大量の廃棄物を生み出しています。

さらには、学歴、お金、モノを持っていない人の自己肯定感を奪っていくという現象も生み出していると思います。

僕自身も、この文化の中で育ってきたので、「幸せの条件」が、無意識レベルに染み込んでいます。

そこからどうやって抜け出していけばいいのか。

自分を使って、いろんな実験をして、そこで感じたことを振り返って気づきを深めて・・というサイクルを回しながら、新しい価値観を創るための試行錯誤をしています。

クラウドファンディングに積極的に関わったり、ペイフォワードの動きを自ら作り出したりしていくうちに、いろんなことに気づくようになりました。

資源を奪い合っていると、誰かが得をする一方で、誰かが損をするわけです。

「損をしたくない」という思いから、みんなが自分を守るようになっていきます。

でも、「与える」という行為をすると、与えた側の心が満足感で溢れるんですね。受け取った側の心も感謝の気持ちで溢れる。

ここには、失っている人が誰もいないんです。

これは、とても大事なメカニズムだなと思いました。これこそ、体験を通してどんどん広めていきたいことですね。

試行錯誤をする上で、最も参考になるのが、「自然界」です。

人間は、本来は自然の一部なので、自分の想いに従って直感的に動いていくことで、生態系のようなシステムを作っていく力があるはずなんじゃないかという仮説を立てています。

この考えは、故・明峰哲夫さんが1970年代にやっていた「都市を耕せ」という活動から影響を受けています。

Webで調べたら、明峯さんがやっていた活動をエコビレッジで紹介していたので、こちらに引用します。

今月の座学では、このテーマについて、明峯哲夫先生(農業生物学研究室主宰)に講演していただきました。
1974年、石油パニックの真っただ中、茨城の農村地帯に反近代化を唱って「たまごの会」の自給農場はスタートしました。東京周辺の約300世帯の都市住民が自らの食べ物を自給すべく共同出資をし、経営のすべてに関わり、届けられる野菜と引き換えに生ごみを提供したのです。当時、有機農業はまだ認知される由もなく、農場コミューンは、地域からも相当異質なものとして見られたに違いありません。しかしながら、その中から一人、また一人と就農者が現れ、地域の生産者も少しずつ有機栽培を始めるようになり、今では関東周辺の有機農業をけん引する存在となっています。

先生は八郷を離れた後、81年に東京日野市で30アールの畑と水田10アールを借りて「やぼ耕作団」を立ち上げられました。東京の駅前の一等地で、10家族のメンバーが食べる野菜はほぼ完全に自給されたそうです。大豆は味噌に、小麦は乾麺に加工し、東京で唯一頭のヤギを飼い、生ごみや落ち葉で堆肥を作りました。
先生は「田を耕すことが自然の循環に連なることを学び、過度に工業化した近代の都市生活の歪に気づく。そして農の力を実感した都市民が、主体的なまちづくりに関わったり、農村に移住したりするきっかけとなる」と言われます。
「社会の異物として存在し続けること、ただし地主さんや地元生産者など地域の協力者を得るための努力も大切」とも言われ、地域との関係性のポイントについて指摘されました。

たくさんの日本人が自ら耕すようになったら、日本の都市の子供たちに笑顔が戻り、第三世界の人々の生活も改善されるかもしれません。
「闘いは楽しくやること。相手に羨ましいと思わせたら勝ち」

明峯さんは、都市の中に、あえて農場を作ることで、自分たちの生が、自然の循環に連なっていることに対する気づきを促し、近代の都市生活の歪みに気づくきっかけを作ろうと活動していました。

明峯さんについての詳しい話はこちら → 農業生物学者から教わったこと(1)

 

学んでいくうちに、明峯さんのような考えを持って活動している人たちは、実は、世界中にたくさんいるんだということに気がつきました。

「愛から行動する」というパーマカルチャーの考え方は、明峯さんの考え方と多くの部分で重なり合っていて、僕も共感する部分が多いです。

よく生きる研究所の榎本英剛さんも、2005年にスコットランドのフィンドホーン・ビレッジに家族で移住し、パーマカルチャーを実践しながら生活された経験をお持ちです。

榎本さんは、その後、トランジションタウンという持続型社会を創る世界的な運動を日本に持ち込み、トランジションタウン藤野の中心的な存在になっています。

榎本さんとスカイプでお話したとき、フィンドホーンと明峯さんがやってきたことが頭の中で結びつきました。

また、トランジションタウンでの自己組織化的な取り組みが、「反転授業の研究」における自己組織化と強くシンクロするのを感じました。

榎本さんと話をしているうちに、コミュニティの自己組織化の力で問題解決していくという方法は、自分たちの中の生き物としての力を引き出していくことなのだという認識が深まっていきました。

60分ほど話をした後、榎本さんは、「田原さんと話したら化学反応が起こるかもしれない人を何人か思いつきました。」と言って、2人の名前を教えてくれました。

そのうちの一人が、共生革命家、ソーヤ海さんでした。

 

ソーヤ海さんとはどんな人?

ソーヤ海さんのことを調べていくと、東京アーバンパーマカルチャーのサイトにたどり着きました。

Webサイトには、次のような説明が書いてありました。

東京からサステナブル(持続可能な/共生的)社会を育むための実験と実践を行っています。
世界の最新情報やスキル(技術)を学び、
それを体感型のワークショップで日本に紹介しています。
パーマカルチャー、非暴力コミュニケーション(NVC)、禅(マインドフルネス)、
システム思考、ユースのエンパワーメントなどが活動の軸です。
活動仲間や企画者を常に募集しています。
よろしくお願いします。

次世代のためにも、一緒に平和で希望のもてる社会を創作していきましょう!

ソーヤ海さんは、多くの動画をYoutubeにアップしていて、その中の1つ、【TUPテレビ】ギフトエコロジー(与え合いの生態系)とは?を見ました。

榎本さんは、彼と僕との間にどんな化学反応が起こることを予想したんだろうか?

そんなことを考えながら、2015年9月にWebサイトにあったメールアドレスにメールを送りました。

しかし、いくら待っても返事が来ない。

縁があればいつか繋がるだろうと思っていたら、3カ月後の12月にメールの返事が届き、スカイプで話すことになりました。

海さんにシェアしたいと思っていたリアルとオンラインとを結び付けたチャレンジが、その3カ月でじわじわと進んでいたので、結果的にはちょうどよいタイミングで話をすることができたような気がします。

ソーヤ海さんとのスカイプ

ソーヤ海

海さんの忙しいスケジュールの合間を縫って、朝、スカイプをしました。

今からサンドイッチを食べるというので、その間に、僕が自分のやっていることを話しました。

「反転授業の研究」におけるオンラインの自己組織化のことや、クラウドファンディングの支援者によるオンラインコミュニティを作って、オンラインで対話セッションをして関係性の質を高めながらコクリしていくことにチャレンジしていることなどを話しました。

その後、海さんが、自分の活動について語り始めました。

今は、いろんな軸で活動しているんだけど、根底にあるのは、ビノーバ・バーベというガンジーの右腕の人がいて、彼の本を読んでしっくり来たんだけど、彼が「Moved by Love」(愛に動かされる)と言っていて、まさに自分は、そういう生き方をしたいなと思っている。

そして、そういう生き方を広めていきたい。

お金のために生きるとか、名誉のために生きるとかは、非人間的な生き方だと思っている。

自分のニーズを満たしながら、他の人のニーズを満たしていって、持っている人生の時間を、より素敵な地球を作るためにエネルギーをフォーカスしていくということを、自分の生活を実験台としてやりながら広めている。

パーマカルチャーとか、非暴力コミュニケーションとか、マインドフルネスとか、そういう社会運動とかは、表現の違いなんだと思うんだけど、一つずつ道だと思っているから、そういうことを教えて、特に、都会で刺激的なアクションを起して、拡散している感じなのね。

―― 海さんは、お金に捉われずに活動し、そこで生まれた物語を通して、自分や、周りのマインドセットを変えていっている感じですよね。

ほとんどの活動は、ギフトでやっている。
自分の生活は、すべて贈与経済でやっていて、それがベースなんだよね。
雇われることはほぼないし、金額でやることを選ぶことも基本的にないんだよね。
ただ、それが自分の本当に創ろうとしている世界を満たすか満たさないかで。
必要な資源は絶対に見つかるからという前提で動いていて。

だから、活動もいろいろ進化していて、いろいろ変わっているんだけど、
ちょうど今、大きなシフトの途中で、僕が一人で騒いでいるところに、どんどんいろんな人たちが、クラウドファンディングみたいに、ある一つのプロジェクトを提案すると、そこに人がどんどん集まって、なんらかの貢献をしたいって気持ちで来るんだけど、それが、今、うまく活用できていないところがある。

僕がいつも使っているパーマカルチャーの定義が、「生かしあう関係性のデザイン」というものなんだけど、生かされない資源というのは、どんどん腐っていって問題になる。
たとえば、ゴミとかは、まさに、生かされていない資源ということなんだよね。

サラリーマンとかもそうだと思うんだけど。

今は、僕が、東京アーバンパーマカルチャーという存在だったところを、ちょっとずつ分けていって、東京以上の人が関わっているから、その名前もどうかなって思っているんだけど。

いろんな人たちが自主的にコミュニティとして動けるようにしていこうというデザインをしている最中なんだよね。

だから、さっき言ってくれたみたいなオンラインで対話とかをして、自分がどういうステップを取りたいかという話は興味があるし、クラウドファンディングだけじゃなく、もっと関わりたいという部分をどう引き出すかというところをクラウドソーシングと呼んでいる。クラウドソーシングをやっている仲間も地球上に何人かいて、面白い感じで、イギリスとか、アメリカのベイエリアとか、ポートランドとかでやっている仲間がいて、そういう面白い試みを日本で広げつつ、どうやって東京アーバンパーマカルチャーという実験で、そこをやろうかなって、まさに考えていたところなんだよね。

今は、俺の頭がこれ以上回転できなくなっている状態だから、チームを作って、10-15人くらいのみんな任意で面白いから関わってくれている人たちだと思うんだけど、僕がボトルネックにならないような体制つくりをしているところ。

一つの社会運動にしていこうというデザインをしているところ。

基本的に俺もみんなが自分のニーズにつながって、今、非暴力コミュニケーションのニーズという文脈で使っているんだけど、すべて私たちの行動の裏側には私たちのニーズがあって、それを満たすために行動しているということなんだけど、生活の維持とか、親に認められたいとか、いろんなニーズを満たすために行動していると思うんだけど、手段に意識が向いちゃって、機能していない。

いろんな人のニーズを満たさない手段が今の社会体制となってしまっている。
その現状を変えていくために働きかけをしていきたいと思っている。
みんなが自分のニーズと、他の人たちのニーズを平等に扱って、それを満たしあう生き方をしたらかなり大きな社会変革が勝手に起きていくと思うのね。

―― 社会変革を起こしていくための戦略は?

一つの試みとしては、そういうストーリーを作る。

今の社会のストーリーと、これからの社会のストーリーを作って、それを、俺が生きて派手に表現して、「こういう生き方が都会でもできるんだ」ということをちょっとずつ今まで広げてきて、あとは、エンパワーメントって言っていたけど、みんなが社会のデザイナーであって、自分の人生のデザイナーでもあって、ニーズを意識しながら、自分の可能性や持っているものに意識を向ければ、本当に自由で満たされた生き方ができるし、自然に他の人たちに貢献したくなる。そういう一種の教育活動をやっているんだよね。

見ている方向性とか考えていることとかはすごく似ていると思うし、僕は、どっちかというと、ライブとメディアで主に活動しているんだよね。

ただ、自分自身はネットを使わなくて、それは、ネットを使うと疲れるから。笑

でも、メーリングリストは500人以上いて、僕はやっていないけど、Facebookページには2000人つながっているらしいのね。

それだけの人たちも、何らかの理由でメーリングリストに登録したり、Facebookの情報を入手している状態だから、つながりたかった好奇心とか、何か変えたいとか、生かせるように工夫はずっとしたいなって思っているのね。

来年は、月に1回くらい、東京でグリーンドリンクスみたいな、直接会える機会を作っていこうかなって思っているんだけど、そうすると本当に東京中心になっちゃって、地方の人たちとか、海外の人たちとかいたりするから、そういう人たちをうまくつなげられることができたらなとは思っていて、今、話を聞いていて、おお、まさにこんなことじゃんって思った。

―― 海さんのところのチームの誰かが、オンラインコミュニティ運営の中心になれば理想ですね。

そうなれば理想だよね。その時点で、中心が僕からコミュニティに移っているから。

―― 海さんが考えていることを、どこかでまとめて読めるところなどはありますか?

本が結構上手にいろんな活動と考え方がまとまっている。
でっかい話、抽象的な話と、かなり細かい、どういう形で都会でそれを表現しているのかとかいうのも書いてあるから。

いいベースの理解になると思うんだよ。

俺がどういう形で考えて活動しているのかというのが。

その本も、もともと俺が書きたくないというところからはじめたの。

本を書きたくないということをワークショップでずっと言っていたら、15人くらいのライターとか編集者とかが集まって書いてくれたの。

お金とかない状態で、みんなが想いで集まってくれて、プロの編集者とかライターが集まって作ってくれた。

全部有機的だから任意で作ってくれているわけじゃん。

でも、すごくクオリティの高いものができて、人間スピードなんだよ。

締め切り決めても、みんな仕事をしているから、その締め切りに間に合わないんだけど、締め切りって空想の「この日」というものに過ぎないから、全体のプロセス、任意で何かを作りながら原動力は想いだけ。結果、すごい本ができたけど、お金がなくて、もともとはコピー機で刷る「仁」みたいなものを作ろうと思ったのにすごい本ができちゃって、コストも高いから、そこでクラウドファンディングをして370人くらいが投資してくれたから、結果、400人で作った本ができたんだよね。

その物語がパワフルだと思うんだよ。もともとクラウドソーシングで、僕の周りにいる人と、その人たちのネットワークで、みんな技術を提供してくれて、みんな想いで作った本当にクオリティが高いもの。

お金が一切、決断の要素になっていなかったから、めっちゃ自由だったんだよね。

お金のことを考えると、みんな制限されちゃうから、うちらは、作りたいもの、最高のものを作ろうみたいな想いで作ったから、一般的な出版社ではできないような本ができたんだよね。

手作りだけど、みんなの想いがこもっていて、みんなの想いからお金も出て、出版できてという。

本の内容もいいんだけど、本の作り方が、まさにパーマカルチャーとか贈与経済をベースとしたものなんだよね。

自らが先頭を切って派手に飛び込んでいく海さんと、フォロワー型のリーダーとして、オンラインコミュニティに自己組織化の渦を巻き起こしていくことを得意とする僕とは、相補的な関係になっていて、今後、お互いを生かしあうような、よいコラボレーションができそうな予感がしました。

スカイプが終わって、早速、クラウドファンディングによって作られた海さんの本を買いました。

そして、明峯さんの本も。

この2冊の本は、お互いにシンクロし合って、僕の心に何かの灯をともすような気がしています。

40年前に東京を耕した明峯さんと、今、同じ想いを抱いて東京を耕している海さんと繋がったことの意味について、じっくり考えてみたいと思います。

 

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