自分を閉じ込めているものの存在に気づくと自由への道が開ける

Learningの本質は、自分の思考の枠組み(メンタルモデル)を疑って、それを内側から食い破って外側に出ていくことではないでしょうか。

自分の思考の枠組みに気づくことはとても難しいですが、異質なものと摩擦を引き起こしながら本気で交流することによって、カオスを経由して、思考の枠組みを変化させることができます。

 

僕は、鹿児島出身の両親に育てられました。

鹿児島には、「薩摩隼人」という言葉があり、いわゆる「薩摩隼人」を理想の姿として育てられ、それに全く疑問を感じずに育ちました。

いわゆる「男らしくあれ」という言葉を、そのまま内在化して育っていたのです。

しかし、結婚とその後の様々なトラブルにより、はじめて「男らしくあれ」という言葉に矛盾を感じるようになりました。

男性が優先される一方で、常に女性が我慢を強いられているということを、恥ずかしながら、それまで自分ごととして考えたことがなかったのです。

社会のヒエラルキーの上へ登っていくことを目指していたころの自分にとっては、「男らしさ」はシステムへの忠誠の証であったように思います。

しかし、そこから、こぼれ落ちたことで、「男らしくあれ」を手放して、自分を30年近く閉じ込めていた枠組みから出ていくことができました。

自分を呼ぶ呼び方は、いつの間にか「俺」から「僕」に変わり、声のトーンやしゃべり方も変わっていきました。

そして、いろんな問題が以前よりもクリアに見えるようになってきました。

ジェンダーは、自分を閉じ込める身近な壁。

その壁によって思考が大きく制約されているというのは、壁を超えてみて初めて気がついたことです。

 

Noovoのファウンダーであるエインと知り合ったのは、彼女が18歳のとき。

Language Exchangeで日本語を勉強していた彼女は、自分のことを「ボク」と呼んでいました。

一人称の呼び方として、日本では、男性が「ボク」を使い、女性が「ワタシ」を使うんだよと伝えると、彼女は、それは分かっているけど、「ボク」は、自分のことを「ボク」と呼びたいんだと答えました。

そのとき、エインがジェンダーの壁を乗り越えようとしていたのだということを、今回の連載で初めて知りました。

エインは、体当たりで次々と自由を妨げる壁を壊していきます。

彼女は、自分のことを、Knowledge Hunter と呼び、様々なものに好奇心をむき出しにして襲いかかり、体当たりしていくのです。

そして、その結果、思考の自由と創造性を獲得していきます。

今回の連載で、エインの創造力の源が見えてきました。

 

Noovo物語6

足かせー自由を知らない人たち

インドで最初に赴いたのはヒマラヤだった。わたしは、山の中の静かな村に滞在した。人はか弱い存在だけど、都市の壁の中では全くそのことに気づかない。山はあまりに偉大なので、人は自分の弱さに気づいて謙虚になる。

気候は厳しかったけど、そこには平和があった。手つかずの森に住んでいる動物たちも、安心して暮らしているのと同じ。その平和なところ。人は森の木を切り倒して、その場所に壁を立てる。建物の壁、社会の壁、自宅の壁、国境の壁、大陸の壁。産業革命は人に、大量生産というとてつもなく退屈なものを与えた。それまでにも社会的な障壁や、建物の壁はあったものの、ここまでつまらないことはなかった。それはまるで、社会という機械が人を大量生産し、人がさまざまなものをさらに大量生産する。人が学ぶのは、かごや檻を作ることばかり。アントニオ・ガウディのような例外はあるけれど。アジアの建築はすごい。自然を抱きかかえ、耐えられるなら、残りの自然を破壊せずに済んだかもしれない。正直なところ、日本のマンションよりも、犬小屋のほうが美しいと思ったこともある。小さな町の山並みに建つ小さな家々を見ていて、そう思った。

ある日、見たくない場所を見なくてはいけない、と思い立った。旅立つ前、鏡の前に立っていて、髪を切り落とした。後に、電動シェーバーを使って、髪を全部剃り上げた。男女両方の性から自由になった感覚。私に制約をかけていたことの一つ、性を消し去ったように。だから、マサトに初めてあった時は、少年くらいの髪の長さだった。

最初の滞在地はカルカッタ。ミッション系のゲストハウスに滞在して、そこにあった図書室でいつも本を読んでいた。インド哲学に興味があったので、人生をかけてそれを体現している僧侶たちから学んだ。僧侶たちは、私に僧侶になることを勧めた。私はヨギの目をしていて、ドラッグなしでいつもハイな状態だったから。僧侶になる時の唯一のルールが死者にたいしてある儀式をすることだった。それだけは、自分でしなければならない。もはや生きていないのだから、足かせの外れた状態だ。それって、僧侶の戯れをするふりをすること。にもかかわらず、制服のように、僧侶たちはみな同じ格好をする。

わたしには髪がなかったし、僧侶たちがわたしを彼らの仲間だと思っていたようだけれど、わたしには恋人がいた。有名な雑誌のフォトグラファーをしている、ヨーロッパ系の成熟した女性。私は、レズビアンではなく、バイセクシャルなだけ。よく彼女の家にいて、写真の機材を借りたり、彼女の車で出かけたりした。彼女自身よりも、彼女の持ち物とか、車に気持ちがあったのは確か。カルカッタで興味があったのは、こどもたちのいる、スラム。スラムの子供たちは、テレビゲームばかりしている都会の子供たちよりも豊かな精神世界を持っているように思えた。彼らが住んでいるのは、足を踏み入れてはならない地域で、ヒジュラという社会から阻害されたトランスジェンダーの人々が暮らす秘密の場所。実際はもともとトランスジェンダーな人はほとんどおらず、多くは去勢されている。彼らはまさに半男半女で、(性別がない?)わたしはその骨格構造が気に入ってもちろんヌードでスケッチをした。社会の普通の人は、すごく高い教育を受けている人でさえ、彼らは魔法の力を持っていると信じているから、彼らが物乞いをしに行くと、誰も断らない。礼儀というより、呪いが怖いから。2014年以前、ヒジュラの人には人権がなかった。どちらの性でもないわけだから、人として考えられなかった。見たところ、賢い人でさえ2014年まで性に関わらず人は人だということが分からなかったわけで、法的にトランスジェンダーの権利が守られている国でさえ、社会では受け入れられないのだ。

自分の行動が積極的に誰かを傷つけたりしない限り、トランスジェンダーであることは、人としてやりたいことをやる自由の一つ。それでもなお、数えきれないほどの人が縮こまった国境の壁の中で閉じ込められ、毎日何十億人もの人が自分の小さな犬小屋の中でうまくやっていけるように、自由の意味を理解しないように、訓練を受けている状況だ。

(原文:SHACKLED

次へ進む

★エインさんがクラウドファンディングに挑戦中です。
締め切りまであと7日。
達成金額7000USD, 現在1131USD
https://www.indiegogo.com/projects/noovo-a-brand-building-startup/x/9455632

facebooktwittergoogle_plusby feather