人間は、誰もがLearningする力を持って生まれてくる
人間は、誰もがLearningする力を持って生まれてきます。
人間は、本能のプログラムだけでは対応できないほど複雑に変化する社会を発展させてきたので、未知の世界でも生き残れるように、Learningする力を進化させてきたのだと思います。
Learningする力は、自分自身が生きるための力なのです。
しかし、この力は、常に自分のために使われているとは限りません。
「学ぶべきこと」を決められ、「感じるべきこと」を教えられ、「やるべきこと」をやるように条件づけられていくと、いつの間にか自分自身の主体的な行動が失われてしまいます。
自分のためにLearningする力を使わなくなってしまうのです。
僕が、この問題に強く関心をもつことになったきっかけは、Ein Ane(エイン・アネ)との出会いでした。
彼女が、13歳で学校を辞め、自分で自由に学んできたというストーリーによって、人間が持つLearningする力への信頼を取り戻すことができました。
自己組織化(self organization)は、僕にとって、とても大切なコンセプトです。
大学生のときに出会ってから、ずっと自分の大事な部分に存在し続けていました。
若いころ、世間の目を内在化してしまい、自分らしい行動ができないと感じていて、それを乗り越えたくて、そのヒントを自己組織化の原理に求めました。
5年間、生物物理を研究して理解したのは、生命システムは、全体を統合するリーダーは存在しない自律分散システムだということでした。
サブシステムがシグナルを発し、それがシンクロしていき、全体を1つのパターンが覆い尽くしたときに、システムに構造が自己組織化されるのです。
自己組織化は、ムーブメントなのです。
インド人の教育工学者、スガタミトラは、次のように述べています。
Learning is a self organizing system, where learning is emergent phenomena.
彼は、SOLE(Self Organized Learning Environment)というものを作り、子どもが、自分のためにLearningできる環境を作っています。
エインと僕は、いつか、スガタミトラに自分たちのアイディアを伝えに行き、何か一緒にできないか相談したいと思っています。
かつて、スガタミトラは、遠くの存在でしたが、インドを旅していたエインと繋がったことで、ぐっと近い存在になりました。
エインと僕は、自己組織化や、カオスの縁(edge of chaos)について、いろいろなアイディアとイメージを共有しました。
それが、エインの創造的な活動に役立っていたとしたらうれしいです。
Noovo物語3
Seeds of decentralized and self organized systems(脱中央集権化と自己組織化するシステムの種)
アメリカの作家であり未来学者であるアルビン・トフラー
彼の本は、『分権経済』に執着していた私にとって、最初のインスピレーションを与えた。
『企業が今より大きくなるのではなく、アイデアを持った人の小さな集団が集まり、様々なものを創造する』
と書かれていたのを初めて読んだ気がした。その時はまだ、頭の片隅にこの考え方があっただけ。
最近では、クリエイティブな人たちが集まる多くの小さな集団を見かける。スタートアップ、映画、協会、音楽など、彼らの活動はとても魅力的である。自由な気質によって作られるものは、常に独創的で人々をワクワクさせる。わたしもそうすることが好きだし、もし多くの人がそうすれば、世界はもっとおもしろくなるはず。
この世界には3つの力がある。
軍事とお金と知識。
軍事とお金は限られたものなので、いつもヒエラルキーにつながる。誰もがもっと欲しがり、戦うけれど、知識は自然なもので終わりがなく、ヒエラルキーを持たない。ヒエラルキーはわたしが本当に嫌いなプロパガンダを使う。
2年前、わたしはインドに旅行をした。
たくさんの場所を訪れ、たくさんの人に会った。わたしは、「人は自由に創造できるんだ」って出会った大人に話したけれど、多くの人はそれはユートピア計画だと言った。彼らにとっては、ヒエラルキーはごく自然なことだから、自由な考えはユートピアと考えるんだろう。
その頃、わたしは日本語の勉強を始め、ネット上でマサト(田原真人)に出会った。わたしたちは自己組織化についてたくさんのことを話した。わたしは元々フクラタクルに興味を持っていたから、マサトはそれについてたくさんのことを教えてくれた。線と曲線でさえ、フラクタルを形成するために自己組織化されていくんだから、人間だってできるはずじゃない?宇宙も自己組織化の構造に満ちているのだから。
人々は、インターネットのおかげでたくさんの自由を得たけれど、ルネサンスに比べて美学を失っている。世界には自由でおもしろい人がいるものの、社会自体は鈍い感じ。ジョン・スチューアト・ミルは彼の著書『自由論』の中で「社会は人々のために存在するが、人々は社会のために存在するわけではない」と書いている。1859年のこと。
わたしが一番インスピレーションを得たのは、哲学者のすごい智慧よりも、社会構造についての高貴な考えよりも、インドの路上で生活する子供たちの雰囲気だった。彼らの目は、お腹がぺこぺこなのに好奇心に満ちていた。彼らにはどこにも行き場がなかったけれど、それはどこにでも存在できるかのようだった。
カルカッタにいる時、わたしは今や多くの政府機関のディレクターになるインド人の作家、サイラス・バンドパディと話をした。彼はかつて自由の戦士で、政治、政治家、ガンジーの非暴力主義の後継者に関する本を書いていた。彼はわたしに、ヒエラルキー、軍事上の規則、優位に立とうとする人間の執着について話してくれた。どういうわけか、わたしはヒエラルキーと社会の話を薄っぺらくて複雑なものに感じた。
わたしの理想はちっとも複雑なものではなく、みんなが自由で創造的になって、世界がもっとおもしろくなって欲しいということ。
社会の壁と思考がわたしを息苦しくさせたので、わたしはカメラを持ってインドの砂漠を旅することにした。帰国して、わたしはその写真をナショナル・ジオグラフィックのコミュニティに投稿した。すると、たくさんの有名な写真家に気にいってもらえた。そこで、わたしはセルジュ・ブーベという有名なフランス人の写真家と出会った。彼はインドのスラムの写真を撮るために、そこに滞在する。彼らと一緒に暮らし、彼らと知り合いになるのだそうだ。
★エインさんがクラウドファンディングに挑戦中です。
締め切りまであと10日。
達成金額7000USD, 現在670USD
https://www.indiegogo.com/projects/noovo-a-brand-building-startup/x/9455632