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  • 農業生物学者から教わったこと(4)

    農業生物学者から教わったこと(4)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    明峯さんは、大学院生時代に学生運動に身を投じた後、大学院を中退し「在野の科学者」という生き方を選んだ。大学院の博士課程3年で中退して予備校講師になり、生き方に迷っていた僕にとっては、「在野の科学者」という生き方は、希望の光だった。在野だからこそできることは何かということをいつも考えていた。

    明峯さんが亡くなられた後、遺稿をまとめて出版された『有機農業・自然農法の技術』の第5章 農業生物学を志して には、明峯さんがどんな思いを持って生きていたのかが率直に書き綴ってある。

    農業生物学の2つの意味

    明峯さんは、自分のことを「農業生物学者」と呼び、自分の肩書を「農業生物学研究室主宰」としてきた。

    農業生物学は、明峯さんのアイデンティティだといってよい。

    しかし、その実態はどこにあるのだろうか?

    明峯さんは、農業生物学についてこのように書いている。

    農業生物学っていったい何だろうということなんですが、実態としてはこんな学問はどこにもない。いまだかつてなかったし、これからもおそらくまずないだろうと思います。だけど、農業生物学っていう名称が使われていないわけではない。大げさに言うと、生物学の歴史、あるいは農学の歴史のひとつのアプローチと言ってもいいかもしれません。

    実態がない「農業生物学」に、明峯さんは生涯こだわった。いったいそれはなぜなのだろうか?

    この本を読んで、はじめてその理由が分かったような気がした。

    明峯さんにとって、「農業生物学」という名前との関わりは2つあった。

     

    1つ目は、明峯さんが所属していたのが北海道大学農学部農業生物学科植物生理学研究室だったこと。そこには、「農業生物学科」という名前がついていた。

    明峯さんは、大学院生だった明峯さんは、全共闘に加わり、農業生物学という学問はあるのかないのかという議論を教授たちとやったのだそうだ。明峯さんは、

    現実にはそのようなものはないのだということを確認することが、僕たちの一つの目的だった。

    と書いている。

    このとき、明峯さんがどのようなことを考えていたのかは、当時の北大の大学闘争の状況を知らない僕には想像することは難しい。だが、明峯さんは、大きな夢とロマンを持ち、研究者としての道を歩んでいたことは間違いない。それは、この言葉からもひしひしと伝わってくる。

    大学院生のころ、僕は生理学あるいは生化学という分野に身を置いて、細胞レベルで、ある細胞にある環境条件を与えるとその細胞がうまく環境に適応していくように振る舞う具体的な様子と仕組みを、細胞レベルあるいは物質レベルで調べたいと思っていました。ぼくが研究者としてとどまるのであれば、これをライフワークにしたいと思っていました。でも、それは潰えたわけです。

    これは、全くの想像だから間違っているかもしれないが、明峯さんは、「大学で農業生物学を研究すること」が、日本のヒエラルキー構造の中に組み込まれて存在することに真剣に向き合ったのではないかと思う。

    1970年代に国が農学部に求めていたものは食糧増産であり、国から研究費を支給されている大学の研究者は国の意図から離れてどれだけ自由にやれただろうか。

    20世紀の大量生産型の農業を推し進めるための学問が求められる中で、学問的に独立した「農業生物学」というものは存在し得るのだろうか。

    明峯さんは、自らの大学闘争を次のように総括する。

    1960-70年代にかけては、まだ緩やかな時代でした。科学は自由にできるんじゃないかというようなことが、まったくなかったわけじゃない。しかし、そんなことは幻想だと考えて、アカデミズムにいることは潔しとしないというふうに、僕たちは総括することになります。

    明峯さん、実際には存在しなかった自由な科学としての「農業生物学」というものを思い描き、それを自分のアイデンティティにしたのだと思う。

     

    もう1つは、旧ソビエトの生物学者、ルイセンコが1954年に出版した本の名前である『農業生物学』。

    ルイセンコは、ヘーゲル哲学の弁証法を生物進化の原理に据え、共産主義のイデオロギーに基づく独自の生物学を創り上げた。

    生物が環境にどのように適応していくのかということに強い関心を持っていた明峯さんが、ルイセンコに惹かれるのは、自然なことだったと思う。

    しかし、一方で、ルイセンコは、スターリンやフルシチョフのもとでソビエトの国家権力の中枢に座り、ルイセンコに反対してメンデル遺伝学ニコライ・ヴァヴィロフを「ブルジョア的エセ科学者」と非難して逮捕、獄死させたということでも有名であり、獲得形質遺伝を唱えたことで、メインストリームの生物学から疑似科学の烙印を押された人物である。

    学会などで、「ルイセンコ生物学」の話を持ち出しようものなら、エセ科学者のレッテルを張られてしまうことを覚悟しなくてはならないだろう。

    だから、

    ぼくはルイセンコの学説に、学生時代にものすごく惹かれました。ルイセンコは戦後まもなく、僕らの父親の世代にいろいろと議論され、ぼくはそれから15年経った後の世代なんですが、すごく惹かれたのです。

     というように、ルイセンコのことを肯定的に語るのは、実は、とても勇気の必要なことなのだ。僕は、この本を読んで、こんなにはっきりとルイセンコについて書いてあることに驚いた。明峯さんは、自分の信念について語る上で、大きな影響を受けたルイセンコについて語らずにはおられなかったのだろう。

     

    僕は、予備校の講師室で明峯さんから表紙がボロボロになった本を渡された。それが、明峯さんにとって大切な本だということはすぐに分かった。

    hutatsu

    それが、僕とルイセンコとの出会いだった。ルイセンコの言葉は、僕の心にも響いた。明峯さんの言葉を引用する。

    ところが、ルイセンコは遺伝子の存在を否定している。つまり、細胞全体が遺伝子であり、核の中にある小さな遺伝子みたいなものに細胞が牛耳られるはずがないと。細胞全体あるいは生命体全体が遺伝子的働きをする主体であって、したがって細胞や主体全体に環境がある一定の影響を及ぼす。遺伝子が変化するのではなくて、細胞全体あるいは生命体全体が環境にすり寄っていくということなんだと彼は言う。

    そして、ルイセンコの言葉に対して、明峯さんは、「ぼくなんかは今でもそう思っています」と述べる。明峯さんは、ソヴィエト生物学、あるいはルイセンコ農業生物学全体を支持するわけではないが、ルイセンコが夢想した生命観はこれからの時代に有効性があると述べる。

    明峯さんの「農業生物学」には、ルイセンコが夢想した生命観、つまり、生物と環境が一体となってなじみ合うという生命観も含まれているのだと思う。

     

     
    エピジェネティクスが出てきて状況は少し変わったが、少し前までは、公の場で獲得形質遺伝を肯定したり、ルイセンコを肯定したりすることは、学者としての「死」を意味していたといっても過言ではない。
     
    でも、明峯さんの心の中では、ルイセンコの言葉が強く響いていて、それが、明峯さんの中で葛藤を生み出していた。
     
    「いつか、ルイセンコについてはまとめなくちゃいけない。」
     
    と、何度も言っていた。

    明峯さんは、このように書いている。

    農業生物学というのはそういう世界(植物が環境にだんだんなじんでいき、それが種子によってつながれていく世界)を表現する言葉でもあったのです。ルイセンコが『農業生物学』という教科書で書いた世界は、現在ではほぼ否定されていて、正統的な生物学者からはほとんど無視されている状態にあります。いまだにルイセンコに後ろ髪をひかれているのはぼくひとりくらいかもしれないし、いずれにしても少数派です。

    この本を読んで、明峯さんは、ルイセンコについて、ちゃんとけりをつけたんだなと思った。

    だから、僕自身も10年以上かけて、明峯さんとの対話を通して考えてきた獲得形質遺伝についての自分の仮説を書く。
     
    信じていることを率直に表現していくことは美しいということに気づいたから。

     

    情報はどこに蓄えられるのか

    生物は、情報をどのようにして蓄えるのだろうか?

    記録装置をデータとプログラムに分け、データをマシンが読み取ってプログラムが動くというのがノイマン型コンピューターであり、細胞はノイマン型コンピューターとのアナロジーで理解されることが多い。

    DNAがデータを格納しているテープであり、mRNAやリボソームがそれを読み取ってタンパク質を合成し、タンパク質が細胞内のプログラムとして機能を発現させていくというようにである。分子生物学が作りあげた細胞のイメージは、まさに「機械」を想起させるものだ。

    これは、むしろ当然かもしれない。19世紀以降、機械論的世界観のパラダイムによって科学は進んできており、生物を機械論的世界観に基づいて、いわば、分子機械として理解しようとする試みが分子生物学だからだ。その結果として浮かび上がってくる生物像は、当然、「機械」のようなものであろう。人間は見たいように見るからだ。科学も時代の精神に大きく制約されているのだ。

    しかし、生物は一方で自律分散システムであることを忘れてはいけないと思う。

    多細胞生物の細胞は高度に機能分化しているが、もとは、一つの受精卵から分裂したものであり、すべての細胞が同じDNAを持つ。

    同じDNAを持つ細胞群が、相互コミュニケーションにより役割分担を決め、機能分化していくのだ。

    機能分化した後の構造を見て、「機械」とのアナロジーで理解することは可能かもしれないが、生物は、環境に応じて異なる構造を創り上げる。明峯さんの言葉を借りれば融通無碍な存在なのだ。「機械」として理解しようとすると、生物の融通無碍な部分が抜け落ちてくる。

     

    情報を記録する器官といえば、なんといっても脳であろう。

    脳は興奮性素子であるニューロン細胞が集まっているネットワークである。ニューロン細胞が相互作用を行う中でマクロな時空間パターンが生じるようになり、それによって機能分化が起こり、緩やかな機能の局在が起こる。

    脳の一部が損傷すると、それによって、手足の麻痺が起こるなど、特定の機能が損失する。それを、機械論的な見方で解釈すると、その損失した箇所に「手足を動かす」という情報が蓄えられているということになる。その考えを極端にしたものが「おばあちゃん細胞」である。おばあちゃんの記憶をコードしている細胞(または、細胞群)があって、その脳細胞が死ぬことがおばあちゃんを忘れるということに対応するという考えである。しかし、脳の一部が損傷しているのにもかかわらず、他の部分が補完的に働き機能を回復するということも起こる。生物は融通無碍な性質を発揮するのだ。

    コンピューターの発達により、脳の一部を壊して機能の損失を調べる以外の方法が可能になった。ニューラルネットワークをコンピューター上に作り、構成論的に脳を理解する方法である。ニューラルネットでは、外部からの入力と出力をネットワークで結び、評価関数によって評価しながら、ネットワークの結合強度を少しずつ変化させていきネットワークを最適化していく。ニューラルネットワークにおいて情報はどこに蓄えられるのだろうか?特定のニューロン素子では決してない。ネットワークの結合強度分布全体に情報が練りこまれているのだ。

     

    これは、言語習得についての議論を思い起こさせる。文法は生得的に獲得されているのか、それとも、後天的に獲得されるのかという議論だ。この問題対してエルマンは、エルマンネットというニューラルネットワークを組み、「次に来る語を予想する」という問題に対する学習を行った。ある程度以上のデータを用いて学習を行った後、ネットワークは、次に来る語を予想するようになったが、驚いたことに、主語の後に予想される語群は動詞や助動詞であるというように、あたかも文法を獲得したかのような振る舞いを見せた。では、文法の知識はどこにコード化されているのか?ニューラルネットの一部のニューロン素子を取り除けば、ネットワークは文法の知識を失うだろう。では、そのニューロン素子に「文法知識」がコードされていたのだろうか?そんなことはないだろう。文法知識は、ネットワークの結合強度を少しずつ調整していく中で、ネットワーク全体の機能として獲得されたのだ。

     

    ネットワーク学習をするのは脳細胞のような神経細胞だけではない。体細胞もネットワーク学習をする。粘菌細胞は、興奮性を示し、流動的に形を変えることでネットワーク構造を変化させる。情報系と力学系とが相互に影響し合っているのだ。脳細胞が電気パルスを通して情報のやり取りをするのに対して、粘菌細胞は化学物質の濃度の波を通して情報のやり取りをする。しかし、どちらも興奮性を示す素子であり、情報のやり取りに応じてネットワークの構造を変化させていくという点では同じである。

    2008年、当時、北海道大学で研究していた中垣俊之さんは、粘菌の情報処理能力の研究を行っていた。中垣さんは、粘菌のネットワークが迷路を解いたり、記憶を保持したりすることができることを示した。参考記事はこちら これは、粘菌の形態形成の数理を研究していた僕にとっては全く驚くことではない。なぜなら、粘菌のシミュレーションに使われる興奮性の数理モデルは、ニューロンの研究から見つかったものと同じものを使っていたからだ。数理モデルのレベルでは、脳と粘菌の間には、大きな違いがなかったわけで、脳と粘菌とのアナロジーを最初から意識しながら研究していた。

    中垣さんの研究では、粘菌細胞は、周期的な環境の温度変化を記憶する。この記憶は、多核単細胞である真正粘菌のどれか1つの核にコードされているのだろうか?そんなはずはないだろう。粘菌細胞の形、つまり、ネットワーク構造の中に練りこまれているはずだ。

     

    このように考えていくと、「生物は、ネットワークのつなぎ方を少しずつ変えながら、ネットワークの中に様々な情報を蓄え、必要に応じてそれを使っていく」ということを生物の原理に据えたくなってくる。

    神経ネットワークも、体細胞ネットワークも、その原理に従っているように見える。

    では、遺伝子ネットワークはどうなんだろうか?

    遺伝子の機能を調べる方法は、「ノックアウト」という方法である。特定の遺伝子を壊したときに、どんな機能が失われるのかを調べ、遺伝子と機能とが一対一に対応しているという前提のもとに、その遺伝子に「●●遺伝子」という名前をつけていく。

    ある遺伝子を破壊したマウスが肥満傾向を示したら、その遺伝子を「肥満遺伝子」と名付けるというような具合である。

    これは、脳の一部を損傷したときに失われた機能と、その損傷部位とを1対1に対応させたのと同じロジックであるが、脳においてはすでにそのロジックは崩れている。

    細胞内の遺伝子を含むネットワークも学習しているのではないか?

    学習によって獲得された知識はどこに蓄えられるのか?

    それは、遺伝子のように局在するものではない。たとえその部分をノックアウトしたときに特定の機能が失われたとしても、それは、その機能がその遺伝子にコードされていることを意味しない。福岡伸一が『動的平衡』の中で述べたように、別のルートが現れて、失われた機能を補うといったような融通無碍な性質を、生物はここでも見せるのだ。

    学習した情報は、ネットワーク全体の結合強度分布に練りこまれているのではないか?

    だとしたら、ネットワークの結合強度分布を調整している非コードDNAの発現調整こそが重要であり、それを担っているエピジェネティクス情報、つまり、DNAメチル化の分布などがネットワーク学習を反映しており、学習成果をエピジェネティクス情報として次世代へ受け継いでいくことが、獲得形質遺伝なのではないか。

    もう少し詳しく説明しよう。

    DNAには、タンパク質をコードしている領域と、コードしていない領域がある。タンパク質をコードしていない領域は大野乾によってジャンクDNAと名付けられたが、近年になり、その領域が果たしている役割が明らかになってきた。そこには、タンパク質に翻訳されないRNAがコードされていて、そのRNAが転写調節など、様々な役割を担っているということが分かってきたのだ。

    高等生物になるほど、非コード領域が豊かになっていく。この部分を複雑化させていくことで、システムを複雑化させていったように見える。

    DNAにコードされた情報のすべてが発現するわけではない。DNAの表面には「メチル基」などの蓋があり、その蓋がどこについているかによって発現する箇所が変わってくる。DNAメチル化などDNAを修飾しているものをエピジェネティクスと言う。同じDNAであるのにもかかわらず細胞が違った性質を示すのは、エピジェネティクス情報が異なるからである。

    エピジェネティクス情報は、環境との相互作用によって変化し、それによって細胞の環境応答の仕方が変わってくる。エピジェネティクスは環境との相互作用で変化するのだ。ES細胞と分化した細胞との違いもエピジェネティクス情報の違いであるから、iPS細胞のようにうまい条件を見つけてエピジェネティクス情報を書き換えてやれば、ES細胞を作ることも可能である。

    そして、このエピジェネティクス情報は、植物においても、動物においても、次世代に受け継がれることが実験によって確かめられている。つまり、その生物個体が環境とのやり取りをする中で刻んだエピジェネティクス情報が、次世代に伝わるのだから、これは、獲得形質の遺伝に他ならない。

    エピジェネティクスは、多くの非コード領域の発現に関わっているのだから、細胞内ネットワークの結合強度分布の調整に関わっているはずだ。

    細胞内ネットワークが環境とのやり取りの中で「ネットワーク学習」した結果が、エピジェネティクス情報としてDNA表面に刻まれ、それが次世代に受け継がれていくというのが、僕が考えていることだ。

     

    これが、明峯さんとの対話の中から、「在野の研究者」として、10年以上かけてたどり着いた獲得形質遺伝についての僕の仮説だ。

    結果として、ルイセンコの言っていたことに近づいてきた。

    細胞内の反応経路は日進月歩で明らかになり、その情報はデーターベース化されている。そのビッグデータを使って様々な情報を取り出すバイオインフォマティックスという分野も生まれている。さらに、それらをシステムとして組み上げるシステム生物学という分野も生まれている。

    その中で、細胞内のネットワークがどのような振る舞いをしているのかが検証されてくるのではないかと思う。

    遺伝子は、もしかしたらシステムの中でレバレッジが効く位置を占めているのかもしれないが、それは、システムがあってこそ意味を持つ。

    1対1対応は言語によって理解しやすい。それに対して、ネットワーク学習は言語による理解を拒む。だが、理解しやすいことが真実だとは限らない。

     

    (5)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(3)

    農業生物学者から教わったこと(3)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    僕の今の問題意識の多くは311の後の活動を通して生まれたものだ。明峯さんとよく話していたのは2010年ころまでで、その頃は、明峯さんの話の多くを理解できていなかった。今、明峯さんの本を読むと、以前は理解できなかったことが、少しずつ理解できる。

    植物の環境への適応

    明峯さんのことを思い出すとき、「環境応答能力」という言葉が一緒に思い出される。それは、明峯さんの農業生物学を支えるキーワードであると同時に、僕の生物の自己組織化論を支えるキーワードでもある。
     
    書籍の第3章では、この「環境応答能力」がメインテーマになっていて、明峯節が思いっきり展開されている。

    明峯さんの思考方法は、20世紀の科学者のものではなく、18世紀以前の哲学者たちのものに近い。明峯さんの文章からは、デカルトやゲーテと同じ香りがする。

    アカデミックな世界を去った明峯さんは、実験や分析をすることが不可能になった。しかし、その代りに、植物を実際に眺めたり、民間農法の様々な事例を学んだりし、それを統一的に説明できるような説明原理を常に考えるという総合的な視点を得たのかもしれない。長い時間をかけた思考の末に結晶化してきたものが、「植物は動かない。だから、環境に適応して生きる力がある。」ということと、「植物は脱出する」という植物の2面性を原理に据えるということだったのだと思う。
     
    近代科学が植物を見る目と、明峯さんが植物を見る目は、全く違う。
     
    近代科学において、植物は、徹底的に「対象」である。植物は様々な分析にかけられ、データを取られ、数値化される。

    それに対して明峯さんは、植物を自分と同じ生き物として、ともに地球上に生きる存在として捉える。だから、植物は、頻繁に擬人化される。ときには、自分自身が植物になってみることもある。

    ニンニクは基本的には、側球が分かれての繁殖です。そのために根は太っているのに、なぜそれに加えてミニチュアの珠芽があるのか。無駄のように見えるけど、なぜなのか。ニンニクの身になって考えてみた。

    ニンニクの身になって考えてみたりするのだ。

    科学の分析的な手法に対して、明峯さんは、ものごとの全体を捉え、それを意味づけようとする。

    科学が専門分化して蛸壺化していく中で、誰が全体を見ているのだろうか?そこに在野の研究者の存在意義があるように思う。

    明峯さんがやってきたことは、後に続く僕にとって希望の道である。

    作物を作れば作るほど土は良くなる

    この章では、「連作」についての常識に挑戦している。
     
    一般的な考え方では、農作物は特定の栄養物を土壌から奪う。だから、輪作を工夫してきた。

    一方、自然農法の岡田茂吉氏は、連作こそが大事だと主張する。

    明峯さんは、植物の環境応答能力を説明原理にして、自然農法の連作主義の解明に取り組む。

    植物は与えられた環境に応答し、自分自身を変えていく融通無碍な力がある。土と植物の関係として言えば、植物は与えられた土地になじんでいく。それは環境応答能力であるのだが、同時にそれは環境形成能力であるということもできる。植物には環境を形成する能力がある。植物は土を変える力もある。岡田茂吉氏の提唱される連作主義は、そのことを言っているのかもしれません。

    明峯さんは、自然農法の岡田氏の「作物を作れば作るほど土は良くなる」という言葉を、お互いになじみあうということだと言っている。
     
    これは、植物が植物を育てていく自己触媒的な原理と矛盾しない。
     
    では、世代を超えてどうやってなじむのか?

    ネオダーウィニズム的に考えると、作物の遺伝的多様性の中から環境にあったものが選択される自然選択によって「なじんでいく」という説明になるだろう。
     
    しかし、明峯さんの目は、1つ1つの植物の生きていく力に向かう。植物自身に環境に適応し、環境を作り変えていく能動的な力があると考える。明峯さんが長年の付き合いの中から感じ取った植物は、融通無碍な力を持って自由自在に形を変えていく存在であり、ネオ・ダーウィニズムの受動的に選択される植物のイメージとは重ならない。
     
    明峯さんは、必然的に獲得形質の遺伝の問題に踏み込んでいくことになる。

    一方、自己組織化現象が宇宙の摂理だと考える僕にとって、複雑化していく宇宙の一部である生命が自己組織化的な存在であるというのは、もはや信念のレベルである。だから、そんな僕にとって環境から遺伝子への情報の流れは存在しないというセントラルドグマは、のど元に刺さる棘だった。
     
    しかし、獲得形質の遺伝は、生物の歴史の中で何度も議論され、そのたびに否定されてきたもの。その一番の弱点は、説明できるメカニズムが存在しないということだった。

    「環境応答の能力」を植物の原理に据える明峯さんと、「自己組織化の原理」を宇宙の摂理に据える僕にとって、獲得形質の遺伝は、どうしても乗り越えなくてはならない共通の壁になった。
     
    カンメラー、ミチューリン、ルイセンコ、大野乾、今西錦司などについて議論を交わした。

    そうこうしているうちに、時代は変遷し、エピジェネティクス情報が世代を超えて遺伝することが発見された。イネやマウスで獲得形質の遺伝が起こることが実験によって確かめられ、Nature等に掲載された。これは、明峯さんと僕にとって大変大きな出来事だった。

    探してみると、世界中には、獲得形質の遺伝の存在を信じつつも息を潜めていた生物学者がたくさんいた。エピジェネティクスによって獲得形質が遺伝可能だということになり、彼らは一気に活動を活性化させてきた。

    生物学の常識が書き換わると思って興奮した。その中で、自分も何かをしたいと思い、「エピジェネティクス進化論」というWebサイトを作った。海外の研究者に英語でメールをしまくった。

    生物個体のイメージが、環境から選択されるだけの無力な存在ではなく、様々な可能性を模索しながら自由自在に姿を変え環境応答力と環境形成力によって自然に適応していくものへと変わっていくことには意味があるように思えた。ダーウィニズムが社会に与えた影響は大きく、キャピタリズムを肯定する理論的根拠にも使われた。だから、生物や生態系が実は「なじみあい」のようなものであるということが広がっていくことで、もっと共生的な社会の在り方について考えていこうという動きが生み出せるのではないかという思いもあった。

    エピジェネティクス関係の記事や論文を見つけては、明峯さんにメールで送った。

    当時のメールのやり取りの一部を紹介する。

    明峯先生

    田原です。
    いつもお世話になっております。

    先日、エピジェネティクスを引き続き調べていて、ニューズウィークの記事も見つけました。
    医療関係での注目度も大きいようです。
    http://mui-therapy.org/newfinding/epigenetics.html

    いただいた有機農業の本の感想は、少しお時間をください。

    田原さま

     メールありがとうございました。
     資料、読みました。ニューズウィークらしく、何でもメチレーションで解決できるとばかりの、ややセンセーショナルな記事ですね。
     いずれにしても、獲得形質の遺伝のメカニズムの可能性の一つとして、エピジェネティックスの勉強をつづけていきましょう。いつも刺激を与えていただいて、感謝しています。
     僕は、あしたからは札幌の農学校の講義です。北海道は少しはすずしいかしら。
     また会いましょう。お元気で。
       明峯100826

    明峯さんのおかげで、学ぶ意欲に火がついた。

    13年ぶりに研究を再開しようと思い、近所の国立大学へ行き、研究生として大学の施設を使わせてもらうように頼みに行った。エピジェネティクスと獲得形質の遺伝を結びつけるメカニズムについての仮説を思い付き、それを検証してみたいと思ったのだ。
     
    しかし、そういったことすべてが、2011年3月11日の東日本大震災によって白紙になった。

     

    (4)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(2)

    農業生物学者から教わったこと(2)

    2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。

    明峯さんの本を読み返すと、いろんなことが思い出される。

    低投入・持続型農業

    第2章 低投入・持続型農業の作物栽培論 は、生物を学んだ人ならだれもが思う素朴な疑問に正面から取り組んでいる。

    明峯さんは、この章を次の言葉から始める。

    持続型農業の条件として、省資源と省エネルギーが挙げられます。農業は本来、資源やエネルギーはあまり使用・消費せず、むしろ資源やエネルギーを生み出す営みでした。太陽エネルギーのデンプンへの転換を中軸においた農業は、エネルギーを生み出す産業だったのに、近代農業においてはエネルギーをたくさん使うようになってしまっている。投入を減らすことができる農業への回帰こそが、長続きする農業、持続型の農業だと言えるでしょう。

    どの生物の教科書にも

    生産者:植物

    消費者:動物

    分解者:菌類・細菌類

    と書かれていて、すべてのエネルギーの素は、太陽エネルギーを植物が光合成するところから始まることが説明されている。

    しかし、近代農業では、明峯さんが指摘するように、ハーバー・ボッシュ法により空気中の窒素から窒素化合物を合成して作った化学肥料(硫安など)を土壌に投入して農作物を育てている。大量の窒素肥料を投入すれば、その結果として収穫が増えるという論理だ。窒素化合物の合成には、大量の石油エネルギーが使われているから、ちっとも「生産者」ではなく、農作物もエネルギーの消費者になっているのだ。

    いつかは必ず枯渇する石油に依存せずに、植物に、本来の姿である「生産者」としての役割をしてもらう持続型農業をやっていくべきだという明峯さんの主張は、正論中の正論だ。

    ちょっと考えれば、誰が考えてもおかしいようなことがまかり通っている。そして、それは農業だけじゃない。

    化学肥料と除草剤を使って農作物を周りの生態系から切り離して育てる近代農業は、周りの環境との相互作用を断絶させることによって「再現可能」な孤立系を作り出し、科学的な知を利用できる状況を作る。

    一方で、有機農業や自然農法は、農場を生態系の一部として捉え、周りの環境と切り離さず、むしろ積極的に繋げていくように見える。そこには、近代科学的な知ではなく、複雑系的なセンスが求められる。計算通りに農作物を管理するのではなく、そこで起こっていることを観察し、耳を傾け、必要に応じて介入していく。

    農作物だけのことを考えるのではなく、土壌生態系、森林生態系などが豊かに成長していけば、結果として農作物である植物もいっしょに成長していくのだと考える。

    閉じ込めて管理するのは支配者の思考。支配者は、管理する者の生命力を弱めて出ていけないようにする。

    農民を管理し、化学肥料や除草剤に依存する農業を指導することで農民の知恵は失われて力は弱まり、支配されやすくなっていく。

    そして、その農民が農作物を化学肥料と除草剤でじゃぶじゃぶにすることで、農作物の生命力は弱まっていく。

    明峯さんがやろうとしていたことは、この悪循環を断ち切って逆回ししていき、農作物と農民の生命力を取り戻していこうということだ。

    農民は、化学肥料や除草剤に依存する代わりに、植物について学び、植物の生命力を最大限に引き出す知恵を蓄積していく。植物は干渉の少ない環境で、本来の環境応答能力を取り戻し、周りの生態系と調和しながら育っていき、「生産者」としての役割を果たす。

    明峯さんが志した「農業生物学」は、そのような意識革命を促すようなものであったと思う。

    この構造は、20世紀型の教育にも当てはまる。学習指導要領や検定教科書を設定し、受験制度によって競争を煽ることで教師は教育システムから管理されていく。教育システムによる支配を内面化した教師は、教室で生徒の自由を奪い、一方的に知識をインストールしていく。その結果、生徒の生命力は弱まっていく。

    しかし、生徒は知識を流し込む器ではなく、自ら生命力を発揮して伸びていくことができる存在だ。その視点に立ち、教師が意識革命を起こして、生徒の生命力を高めるためにカウンセリングやコーチングを学んだり、生徒同士の生態系を豊かにしていくためにファシリテーションを学び、アクティブラーニングや反転授業などを導入していくと、生徒の生命力は高まり、上から下に降りてきた支配の矢印を下から上に逆転させていくことができる。

    20世紀型の思想は、分野を超えて浸透している。そして、それを超えていこうという動きは、分野を超えてシンクロしている。

    草も、森も、農作物も、子どもたちも、僕たちも、生命力を持った生命だ。

    どのようにすれば生命力を発揮できるのか、それを支援できるのか、その知恵を蓄積して広めていくことが力になる。

    鳥インフルエンザ事件

    2005年6月に茨城県水海道市内の養鶏場でH5N2亜型の鳥インフルエンザの発生が確認された。感染地域が茨城県と埼玉県の一部の養鶏場に拡大していることが確認され、約150万羽が主に焼却処分された。このとき、明峯さんは本当に怒っていた。そして、次の文章を書いた。

    鶏の大量処分を悲しむ …人と家畜との付き合い方の問い直しを
    通信888号記事

    明峯哲夫 : 元・自然養鶏家.

     茨城県の養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、昨年に続きまたもや何万羽という鶏が処分された。かつて養鶏に従事した経験のある私にとって、鶏の大量処分はやりきれない。

     私の携わった養鶏では、鶏を自然に近い状態で飼育する。広い土間にたっぷりと稲わらを切り込み、鶏たちに充分な運動と、自然の換気・採光を保障する。緑餌を充分に与える。群れには雄を配し、自然な生理を尊重する。糞は、播餌として与える穀物の粒を探す鶏の脚でよく攪拌され、わらや土と混じり合いやがてサラサラの堆肥となる。彼らは播餌と共に自らの排泄物を口にし、微生物の微弱な感染を受け、そこで得た免疫力で身を守る。

     私は今回の事件で最も危惧するのは、インフルエンザの原因ウイルスの抗体を持つ個体がいたという理由で、近隣の養鶏場の全群の鶏が処分された点である。抗体を持つことは免疫力で発症を抑えている状態、つまり鶏が健やかである証拠ではないのか。そのことに人は(この社会は)なぜ恐れるのだろう。私にはその恐怖は、現在の工業化した大規模養鶏を所与の条件と考えることから生まれていると思われる。

     密閉された空間に、身動きできない程大量の鶏を閉じ込める。これが現在の工業的な鶏飼育法である。しかし一瞬のスキに、その密室に病原体が紛れ込めばどうなるか。自然の状態から隔離され虚弱化している鶏の体に、病原体は瞬く間に侵入し、個体間で際限のない病原体のキャッチボールが始まる。こうして病原体は一気に濃縮される。幸い、今回のウイルスは弱毒型で、鶏の大量死は起きなかった。それでもそれに恐怖するのは、こうした密室内での感染の連鎖により突然変異の頻度が上昇し、強毒型(鶏たちを死に至らしめ、人にも強い感染力を持つ)の出現がありうると考えるからであろう。

     鶏を外界から完全に隔離することは技術的に困難だ。何よりもそうすることで鶏たちの生命力を奪う。むしろ病原体は常に身の回りにいると考え、それに耐えられる鶏の育て方を工夫すべきではないか。鶏の個体(群)を病原から切り離すことばかり考えるのではなく、それらと病原体との間に微妙な生理的・生態的平衡を維持する。そのような状態を演出することにこそ、人は知恵を巡らせるべきだろう。

     鳥インフルエンザが発生する度に、零細な農家養鶏が目の仇にされるのが私には辛い。これらの多くは衛生状態が悪く、ウイルスの発生源になるというのだ。けれども以上述べたように、鳥インフルエンザの大量発生は、養鶏業の大規模化にこそその根本要因がある。小規模な養鶏はむしろ被害者というべきではないのか。

     人への悪性のインフルエンザ発生を恐れるあまり、その発生源としてのニワトリ、アヒル、ブタなどの動物までも目の仇にすることがあってはならない。これらの家畜と人との間に共通のウイルスが存在することは、人間とこれらの動物とが歴史的に長い関わりをもってきたことの証拠でもある。自らの安寧を願うあまり、これらの動物を恐れ、敵視し、彼らの大量処分も辞さない現在の社会のあり方を悲しむのは、私だけではあるまい。人間と家畜たちとの付き合い方が、あらためて問われている。

    安全な食べ物ネットワークAlterさんのこちらの記事を許可をいただいて転載しました。

    明峯さんの考え方は一貫している。すべてを管理して支配しようとする心が、管理しきれない状況に対して恐怖を生み出すのだと。

    管理を手放して、相手を生命力のある存在だと認め、生命と生命としての関係性を結び、共生していくとき、恐怖は生まれない。

    恐怖は、自分が生み出している。

     

    (3)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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  • 農業生物学者から教わったこと(1)

    農業生物学者から教わったこと(1)

    2014年9月に亡くなった農業生物学者の明峯哲夫さんの本が届いた。

    実は、これまでに明峯さんが書いた原稿を、たくさん読んできた。同じ予備校で10年間、一緒に働いていて、講師室でプリントアウトした原稿を渡されて感想を求められることが多かったからだ。明峯さんの原稿を読んで、それをもとに話し合うのは、僕にとって楽しみなことだった。

    でも、今回、この本を読んで、断片的に聞いてきた明峯さんの考えの全体像が見えてきた。これまでに話してきたたくさんのことの背景が見えてきて、改めていろんな気づきがあった。それだけじゃなく、最後に話してから数年の間に、明峯さんの思考は進化し続けていた。たぶん最近考えたんだろうと思われることもたくさん書いていった。

    最初は、本のレビューを1つの記事で書こうと思ったが、本を読んだら、明峯さんとのいろんな思い出がよみがえってきてしまった。それは、僕にとって本当に大切な思い出なので、ここに書き綴っておきたい。

    話は、脈絡なくあちこちに飛ぶと思うが、ときどき、本の内容に戻ってこようと思う。ちょっと長くなりそうなので、記事のタイトルに番号をつけた。何回かの連載になると思う。

    植物が植物を育てる

    この本の第1章は、

    第1章 植物成長の原理 ― 植物が植物を育てる ―

    というタイトルである。これは、生命の自己触媒的なプロセスを原理に据えていることを意味している。

    大学院で複雑系や自己組織化現象を研究し、自己組織化の頂点として生物の自己組織化を研究テーマに選んだ僕にとっては、生物は自己触媒的なプロセスによって自己組織化する存在である。

    だから、明峯さんの本の最初の一文

    「農業は謎に満ちた営みです。生命の複雑系です。分からないことがたくさんあります。」

    という言葉には心の底からうなづける。

    この言葉は、機械論的世界観に基づいて推し進められた工場経営のような農業に対するアンチテーゼだ。植物を一定のインプットに対して一定のアウトプットを返してくる単純な機械のようなものだと見なし、周りと隔離した孤立系における実験結果を積み重ねて「理解した」と言い切る20世紀型の科学的アプローチに対して、そうじゃないと主張しているのだ。

    単純なインプットーアウトプット系として植物を捉える代わりに、明峯さんが原理に据えたのは、

    (1)植物は自然に育つ
    (2)植物を育てるのは植物だ
    (3)その秘密は土の中の有機炭素蓄積にある

    の3つ。

    最初の原理は、人間から農作物と名付けられている植物も生き物だという主張だ。進化の中で、人間の手を借りなくても生き物として育つことのできる力を持っているということに立ち返って、その力を引き出していこうということだ。

    次の原理は、植物は生態系ネットワークの中で共生的に生きているということだと思う。生態系ネットワークが豊かに育っていくことで、ネットワークに加わっているすべての生き物が栄えていくということなのではないだろうか。

    3つ目の原理は、栄養である窒素化合物と作物との2者の関係で捉えるのではなく、窒素と炭素循環系を含む土壌生態系をシステム思考的に考えたときに、明峯さんは、有機炭素がスターター、または、アクティベーターとして働き、土壌生態系のサイクルが回りだすということを主張する。これは、農業の教科書とは異なる見解なのだそうだ。

    複雑系を学んできた僕にとっては、このような考え方は、とてもなじみがあるものだ。

    自己組織化の原理は、非平衡開放系において正のフィードバック(自己触媒的なはたらき)が起こることだ。

    アクティベーターがわずかな揺らぎを増幅させて構造化していき、やがて、インヒビターがその動きを抑えて定常状態になり、次第にインヒビターの働きが強くなっていって減衰していくというサイクルが1回きりで終わる場合もあるし、振動的に反復するときもある。この系を含む、もう一階層上の上部システムが、より遅い周期でサイクルを回し、上部サイクルと下部サイクルとは相互に影響し合う・・・。これが、自己組織化的な世界観だ。

    このような観点から植物の世界を見ると、1年草が短いサイクルを繰り返す一方で、森林系などの上部システムがゆっくりとしたサイクルで動いているように見える。

    すべては相互に密接に関連していて、複雑にネットワーク化している。その中の2つを取り出して2者の関係として論じることに意味がない。

    複雑に張り巡らされたネットワークの一部を変化させたときに、ネットワーク全体がどのような影響を受けるということを予想することはほぼ不可能なのだ。

    20世紀型の科学的な知は、理想的な環境を周りから隔離することによって得られるものだ。しかし、隔離した外側にも自然があり、隔離するという行為によってネットワークは影響を受ける。それを無視することによって20世紀型の科学的な知は成り立っている。

    そのようなあり方に対するアンチテーゼを掲げて、明峯さんは、新しい農業のあり方を第一原理から再構築しようとしている。

    第一章の一行目から、明峯さんの想いが溢れている。

    在野の研究者としての生き方

    大学院の博士課程を中退して予備校講師になったころ、僕は、何を目指して生きていけばよいのかが分からなかった。

    物理学の世界で研究者になるというのは、子どものころからの夢だったし、それが叶う寸前まで来ていた。

    でも、同時に、科学が持つ傲慢さや、社会に存在するヒエラルキーに気づくようになり、子どものころのような無邪気な気持ちで物理学の研究者を目指すことも出来なくなっていた。

    僕が予備校の講師室で明峯さんと出会ったのは、そんな迷いに迷っていた時代だった。

    僕から見た明峯さんは、いつも凛としていた。

    いつも農業や生命についての本質的な問題について考えていて、一歩一歩前へ進んでいた。その姿に、どれだけ勇気づけられたか知らない。

    環境が変わったからと言って、考えるのをやめずに、自分にとって本質的な問題を考え続けようと思えたのは、明峯さんの影響が大きかったと思う。

    アカデミックな世界で上を目指していくのではなく、自分独自の道を切り開いていこうと覚悟を決めることができた。

     

    僕が、研究の場を離れても、ずっと興味を持ち続けているのは「生命らしさとは何か」というテーマだ。

    テントウムシを指に這わせると、上向きに向かって歩く。

    指の向きを変えると、テントウムシも歩く向きを変え、常に上向きに向かって歩く。

    この部分を切り取ると、「上向きに向かって歩くというルールに従っている機械」のように見える。

    しかし、指先まで到達したテントウムシは、それ以上、指を上ることが出来なくなり、前足をパタパタさせて困った状況に陥る。ルールが適用できなくなったからだ。

    テントウムシが単なる機械ならこれで終わり。でも、テントウムシは生き物だ。ここで、それまで従っていたルールから抜け出し、飛び立つのだ。

    僕は、ここに生き物らしさを見る。

     

    生き物は、環境の袋小路に陥ると、生きるためにありとあらゆる可能性を試してもがく。そして、飛躍する。

    それは、edge of chaosのイメージと重なり、僕をずっと引きつけている。

    そして、そのイメージは、環境の袋小路に陥った自分自身を支えてくれ、そこから抜け出して新しい芽を出していくことができた。

    これは、全くの想像だけど、明峯さんは、全共闘に加わって、大学院を中退してアカデミックな場から去ったときに人生の袋小路に入ったのだと思う。そして、そこから、農業生物学者という独自の生き方を見つけ、独自の道を切り開いていったときに、自分自身の「生命らしさ」を感じたんじゃないかなと思う。

    明峯さんも、僕と同じ「生命らしさ」に僕以上にこだわり続けていて、植物が、農作物として受動的で無力な存在だと見なされることを徹底的に拒否してきたし、自分自身を外から定義されるのを拒んで自分の人生を生きることにこだわってきたから、きっとそうなんじゃないかなと思う。

     

    生命を語るときに、袋小路に陥ってもあきらめずに、そこから芽を出して、飛躍していくという側面を抜かすことはできない。

    それこそが、機械と生命とを隔てるもので、機械と自分自身とを隔てるものだからだ。

    人間は社会や学校から様々な情報をインストールされて作られる。でも、そこから抜け出して、情報をインストールした側の意図を超えて、様々な芽を出し、花を咲かせることができる。

    明峯さんが植物に投げかける目はとても優しい。そして、それは、予備校の生徒に投げかける目と全く同じだ。

    生命は、常に暴走し、逸脱する可能性を内に秘めている。

    いざとなったらやれる存在。

    機械とは違う。

     

    (2)へ続く

    ※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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