20年前に粘菌と出会ってから、粘菌は、自然の摂理について考えるときのプロトタイプとして僕の頭の中にずっと存在し続けています。

粘菌にはたくさんの種類がありますが、単細胞アメーバが合体して移動体を形成する細胞性粘菌と、多核単細胞の巨大アメーバを形成する真正粘菌が有名です。

細胞性粘菌は、もともと生物の形態形成や分化比率制御のプロトタイプとして多くの研究者によって研究されてきた生き物ですが、粘菌の生態には、もっと広い意味での生きることの様々な側面が凝縮されていて、たくさんのことを教えてくれます。

真正粘菌は、ネットワークを形成し情報処理をしたり学習をしたりすることができ、思考の原形を見せてくれます。

生命論的パラダイムについて考えていく上で、粘菌というプロトタイプを頭に置きながら思考することは、たいへん有効なのではないかと思います。

場との相互作用で生まれる渦

大学院時代に僕が取り組んでいたのは、細胞性粘菌アメーバの集合のメカニズムでした。

細胞性粘菌アメーバは、バクテリアを食べ尽くすと飢餓状態に陥り、cAMPという情報伝達物質を分泌するようになります。このアメーバ細胞は、cAMPに対する受容体を持っていて、自分や他のアメーバが分泌するcAMPの量が一定の閾値を超えると発火して、cAMPをドバッと分泌する性質を持っています。

これは、ニューロン細胞とよく似た性質で、非線形振動子としてモデル化することができます。

非線形振動子は、パラメーターによって、外から刺激を与えたときに発火する興奮性を示す状態と、外から刺激を与えなくても自律振動する状態とを取ることができます。

僕が研究していた20年前は、ペースメーカーと呼ばれる自律振動するアメーバ細胞がいて、その周りに興奮性を示すアメーバ細胞がシグナルをリレーしながら集まってくるという説明がされていました。

僕は、どうしてもこの説明に納得がいきませんでした。

生物の発生の根本には、最初は同じ細胞であるにも関わらず、相互作用によって自発的に対称性が破れ、役割が分化していくという性質があると考えていたので、「じゃあ、ペースメーカーは、どうやって誕生したんだ?」と思ったのです。

それで、「すべての細胞が同じであるにもかかわらず、自律振動する細胞と、興奮性を示す細胞が現れるメカニズムとは何か」ということを考えました。

それで見つけたのが、興奮性を示す細胞の密度を大きくしていくと、あるところで、みんなで自律振動するようになるということでした。

タイミングがそろって、ドバッとcAMPを出すようになると、場に溢れだしたcAMPの瞬間的な量が大きくなり、閾値を超えてそこにいるアメーバ細胞が発火できるようになるのです。そして、再びcAMPをドバッと出す・・・というのが繰り返されていきます。

1つのアメーバ細胞では自律振動できなくても、周りにアメーバ細胞がいて、お互いに引き込みながら同時に振動しているからこそ、自律振動できるというメカニズム。

僕は、これこそが生き物の本質を表しているのではないかと思いました。

今年になってから、清水博さんの『<いのち>の自己組織』を読みました。

清水さんは、物質が示す対流のような自己組織と、<いのち>の自己組織とを区別して論じています。

清水さんが言う<いのち>の自己組織とは、個体が自分の<いのち>を場に投げ込んでいった結果、場に<いのち>のドラマが起こり、そのドラマから個体が「活き」を受け取っていくというもので、清水さんは、それを、与贈循環と呼んでいます。

与贈循環については、こちらをご覧ください。

この本を読んだときに、細胞性粘菌のcAMPの分泌によるパターン形成と集合のプロセスは、まさに、与贈循環を表しているものだと思いました。

細胞性粘菌の集合メカにズムを知っていたおかげで、与贈循環という概念を深く理解することができたのです。

粘菌アメーバが集まってくると、密度が高い領域が生まれ、そこから外側へ広がるcAMPの渦が生まれます。

粘菌アメーバは、コミュニケーションと移動を通してシグナルを増幅していき、渦を生み出し、渦の中心へと集まって合体するのです。

その壮大なドラマをこちらの動画で見ることができます。

胞子から発芽して、アメーバになり、集合して他細胞体である移動体になり、子実体を形成するまでの動画

集まっている様子を上から見た動画

集合期に発生するcAMPのらせん波の渦

細胞性粘菌からは、多くのことを学ぶことができます。

インターネットが発達し、オンラインでコミュニケーションを簡単に取れるようになったことで、人と人との間を情報が飛び交うようになってきました。

粘菌アメーバが、飢餓状態になることでスイッチが入るように、僕たちも東日本大震災の後の危機感によりスイッチが入り、想いがシンクロし始めているのではないかと思います。

ただし、僕たちは、粘菌アメーバの1つのような視点で社会を捉えており、自分たちを取り巻く状況を俯瞰することはできません。

時代の変革期の中で、局所的で限定された情報しかない中で渦を起こしたり、渦に巻き込まれたりするような存在なのです。

その位置から感じ取れる限られた情報の中で、重要な意味を持つのが、シンクロが起こる頻度です。

頻繁にシンクロが起こる方向へ進むことで、より大きな渦を起こしたり、巻き込まれたりしていきます。

シンクロを頼りに、右往左往しながら、徐々に形成される渦によって生まれる動きは、プロパガンダによって外部から誘導される動きとは全く異なるもので、自然の摂理に基づいた<いのち>の自己組織化現象です。

私たちの身体も自然の摂理に従っており、それを発動させることで、大きな渦が起こっていくのではないでしょうか。

粘菌アメーバが合体し、多細胞体を形成して長距離を移動していく様子は、まさにパラダイムシフトをイメージ化したものではないかと思います。パラダイムシフトを目指す僕の活動は、細胞性粘菌に導かれるように進んでいるような気がします。

外発的動機付けによる線型化のプロセス

真正粘菌は、多核単細胞でありながら、脳と似た構造を持ち、学習や記憶などの知的能力を示すことができます。

自然に近い状態では、真正粘菌はフラクタル的な複雑な形態をしており、探索行動と選択のバランスを取っています。

各部分は、非線形振動子と見なせる構造を持ち脈動し、脈動に応じて細胞質流動が起こります。そのメカニズムが統合されることで、複雑な情報処理と変形や移動、学習を可能としているのです。

その仕組みは、おおざっぱに言うと、次の通りです。

真正粘菌の一部に餌を接触させると、その部分の非線形振動の振動数が大きくなり、その部分から他の部分へ波が伝わっていき、その波動のパターンが細胞質流動を生み出し、餌を取り囲むように全体が移動してきます。

一方、青い光などを一部に当てると、その部分の非線形振動の振動数が小さくなるため、波は、光を当てた側と遠い側から伝わるようになり、青い光から逃げるように移動し始めます。

このように細胞に与えられた外部刺激を非線形振動のネットワークがパターンとして統合し、そこから変形や移動を起こして、意味のある行動を、その時々で創りだしていくのです。

これを社会のメタファーと捉えると、各個人が学習回路を正しく作動させ、それらが有機的に繋がることで、社会全体として複雑な情報処理をすることができ、自然と調和状態に到達するというように考えることができます。

これは、論語の「学習に基づいた社会秩序」の考えと非常に近いイメージだと思います。

粘菌の知的能力を実験するために、しばしば粘菌に迷路を解かせる実験というものを行います。

迷路の2カ所に餌を置くと、その2カ所を結ぶ最短距離に粘菌は線上に分布するようになります。

この迷路実験は、見方を変えると、複雑で豊かな活動をしている生命に対して、強烈な外発的動機付けを施し線形化していくプロセスを表していると捉えることができます。

文字通り「線形化」されてしまった粘菌は、自由度を減らし、刺激に対して決まった応答を返してくる理解可能な単純な系へと縮約されてしまいます。

これは、外発的動機付けによって生命を制御可能なものにしようとしてきた工業主義的農業や畜産業を思い起こさせるものです。

学力テストを用いたアメとムチによる条件付けにより、子どもを線形化していく教育とも通じるものです。

真正粘菌もまた、様々な示唆を与えてくれる存在です。

(追記)

2016年に実施した「生きるための物理~真性粘菌に学ぶ生命論的パラダイム」の後、手続き的計算と創発的計算について考えていたところ、ソフトウェア工学の専門家である山崎進さんが、次のような問題提起をしてくれました。

記述や計算の限界を考える上で興味深い問題提起なので、これについて、引き続き考えていきたいと思います。

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