農業生物学者から教わったこと(5)

2104年9月に急逝した農業生物学者の明峯哲夫さんから教わったことを書き留めておきたいと思って連載している。これが最終回になります。

明峯さんが亡くなられた後、遺稿をまとめて出版された『有機農業・自然農法の技術』を読み、明峯さんがどんなことを考えていたのかを振り返ってみた。

融通無碍な生き方とは何か

明峯さんは、この本の中で何度も「植物は、融通無碍である」ということを書いている。

融通無碍(ゆうずうむげ)とは、考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること。

僕は、明峯さんが、自分の生き方を植物に重ねていたように思える。

生き物というのは、環境によってすべてコントロールできるものではない。

環境要因は無視できないがすべてではない。

環境要因では決まらない部分に、その生き物の「生命らしさ」がある。

考え方や行動は、本来自由なのだ。

その自由な「生命らしさ」が、多様性を生み出していく。

 

工業化された農業は、農作物の「生命らしさ」をゼロにし、環境要因だけですべてをコントロールしようとする。

農作物を、光と二酸化炭素と窒素化合物を与え、炭水化物とタンパク質を作らせる物質系として捉えて単純化する。

「生命らしさ」を奪われた農作物は、多様性を失い、均質化していく。

明峯さんは、農作物に植物としての生き物らしさを発揮させる道を模索する。農作物を自然から隔離せず、自然と一体となった生態系の一部として捉える。そして、それを育てて食べる自分も生態系の一部だと捉えていたと思う。

 

この考えは、工場モデルの学校にも適用されるのではないか。

同じ情報をインプットし、同じ情報をアウトプットするように訓練された結果、生徒の「生き物らしさ」が消え、多様性が失われていく。

そして、同じ状況になると同じ反応をする人々を生み出していく。

「反転授業の研究」でやっていることは、生徒が生き物らしさを発揮できるようになるための方法を模索すること。生き物らしさを発揮する自由な人たちは生態系のようなコミュニティを作る。自由な心を持った人たちが増えれば、多様な生き方が可能になる。

 

自分の人生を、すべて自分で決めることはできない。

生まれた場所も、親の経済状況も、性別も、自分で選択できるものではない。

でも、すべてが外部から決められるわけではない。

自分の価値観を自分で決め、それなりに限定された中ではあるけれど自分で選択したり、選択肢にはない行動を自分で創り出したりすることができる。

どのように生きて、どのように死ぬのかを自分で決められる。

均一化しようとする力に対して、そこから逃れていくことができる。

それが、融通無碍に生きるということなんじゃないだろうか。

 

東日本大震災が起こった後、農作物は「放射線量」という数値と結び付けられた。

僕自身も、それらの数値を気にしたし、経験したことのない状況に対して、とても不安になった。

池袋で明峯さんと会ったとき、明峯さんは、鬱のような症状が出て、ずっと眠れないと言っていた。

そのときは、よく分からなかったが、本を読んで、明峯さんの思想を辿ってきた今は、当時の明峯さんの気持ちが少し分かるような気がする。

放射線によって健康被害が出ることは自明だし、それを恐れるのは当たり前だけど、科学的数値というものに管理され、すべての人が同じように行動しなければならないというような状況が、明峯さんには我慢できなかったのではないか。

明峯さんは、その状況でも、融通無碍を貫きたかったのだろう。

京都大学の小出さんとの対談で、明峯さんが語った言葉に、それが表れている。

「人間は安全性だけで生きているわけではありません。場合によっては、危険であると分かっていても、それを覚悟して生きていく、それが人間です。むちゃくちゃ危険なことをして早死にしても、それがその人の人生だったということにもなるし、ただただ長生きするだけの人生を潔しとしないという考え方もあります。」

 

社会のヒエラルキーに従属するのではなく、生態系の一部としての確信を持って生きる

明峯さんは、「都市」と「故郷」とを対比させて語ることが多い。

「都市」は、産業革命以後、急激に発達した。都市は、化石燃料やウランから取り出したエネルギーによって維持されている。

明峯さんは、都市で生きる人の心の荒廃の原因が、生態系と切り離されていることだと考えていたのではないか。

生態系と切り離されて、自然の恵みを感じられなくなると、お金がなくては生きられない暮らしになり、お金に支配される。

所持金によって序列化された人工的なピラミッド構造という環境で生きているうちに、「生産」から切り離されて、ピラミッドへの従属によって得られるお金と、その消費によって生活が回るようになる。

 

一方で、種を撒けば、植物が育ち、土が育つ。

それらは、お互いになじみ合いながら、ゆっくりと循環系を作っていく。

環境の変化に対しても融通無碍な性質を発揮し、多様な生態系を創り出していく。

その中で生きることで、自分自身の「生命らしさ」に気づき、自分も生命としての確信を持つことができる。

環境によってすべてを決められるのではなく、自分で自分の生き方を決めていけるようになる。

明峯さんは、そんな風に考えていたんじゃないだろうか。

 

僕が引っ越しをするたびに、明峯さんは、

「新しい家には庭がありますか?」

と聞いてきた。そして、庭があれば、少しでもいいから種を撒いてみてくださいと言っていた。

種を撒くこと、植物の成長を見守ることは、自分自身も同じ生命であるということに気づくこと。

植物の融通無碍な生き方に触れ、自分も融通無碍な存在であることに気づくこと。

あのとき、そんなことを伝えたかったんじゃなかろうか。

 

21世紀の故郷

明峯さんの書いたものを辿っていくうちに、「21世紀の故郷」という言葉と出会った。

明峯哲夫&永田まさゆき「自給的くらしの意義~震災後の社会再構築に当たって」という記事から、明峯さんについての箇所を引用する。(引用元

明峯先生の講演タイトルは「天国はいらない、故郷を与えよ」、ロシアの農民詩人エセーニンの言葉です。近代化の過程で農村を追われ、仕事を都市に求めた人びとは土着性をなくし、地方は疲弊しました。人びとが「天国」と憧れた都市生活は、便利で快適で、賑わいに溢れていますが、自らが必要とする食糧を農村に依存し、大量生産、大量消費の仕組みと膨大なエネルギーに支えられてきました。原発のニーズもこの延長に生まれています。 このパラダイムは実に前世紀100年をかけて成り立っており、すでに維持不能な状態にありました。
「3・11」は、このシステムの現実的な終焉であり、「天国」を求め続けてきた時代の終わりだと明峯先生は語ります。これからの社会の再構築にはエネルギーの問題だけでなく、医療や福祉や教育や産業などさまざまな分野の知恵を統合し、小さな地域単位で自給、自立していく発想が必要だ。そして、天国を失った人びとの行先は故郷、すなわち自然と共生する自給的な暮らしに他ならないと。

先生がここで言われる21世紀の故郷は、伝統的な地縁社会のことではなく、個人が自由な意思で決定する新しいイメージでの「我が故郷」です。「一所懸命に生きる」場所が故郷になるという先生の言葉を聞いて、私はエコビレッジを思い浮かべました。故郷に生きる人びとにとって生きるとは、土地に依拠し自然の恵みを受けながら暮らすことです。だから農山漁村の人びとは土地に対する強烈な思いがあり、今回の震災の打撃は大きかったのです。それでもすべてを受け入れ、いつか復興させようと留まって農業を続ける人びとを先生は希望と呼んでいます。自然と共に生きる人びとは確信があるとも。溢れるほどの物質と情報に囲まれても、現代人が常に不安なのは、そういう確信がないからでしょう。

すべてを受け入れるという意味で、先生は、すでに大量の放射性物質が放出されてしまったこの期に及んで数値を前提にリスクゼロを追求するのは幻想で、放射能に汚染された自然とも共生していくリスクシェアの考え方が必要だと言われました。たとえば食べ物であれば、数値で示せる安全よりも、誰がどのように作ったかがわることで生まれる安心のほうが重要だと強調されています。

 都市に象徴される20世紀型の大量生産、大量消費システムに取り込まれて生きているうちに、個人は生産と切り離されて弱くなり、システムへの依存性を高めていく。

でも、システム自体が限界が来ている今、明峯さんは、都市と対比して「故郷」という言葉を使っている。

その故郷とは、伝統的な地縁社会ではなく、人々が自然との共生を感じられて、生産の喜びを味わうことができ、自分自身の融通無碍な性質を思い出し、自分の意志で周りと生態系のように繋がり、一生懸命生きていく場所ということだろう。

 

未来を創るために種を撒く

僕の住んでいるマンションには庭がない。

だから、コンポストを買ってきて、そこに空き地から引っこ抜いてきたオジギソウを植えた。

強引に植え替えられたオジギソウは、葉をすべて落として瀕死の状況になった。

しかし、ほとんど枯れそうになったそのとき、小さな芽を出して、小さな葉を作った。

そのとき、「こいつは、新しい環境になじむために、一度、葉をすべて落としたんだな」と気づいた。

そして、そこから、葉を次々に茂らせていった。

 

植物を見ていると、毎日、次々と姿を変えていく。

僕たちも、実は、毎日、次々と姿を変えている。

やらねばならないと思っていることのほとんどは、やらなくてもよいこと。

限界のほとんどは、思考が決めている。

僕たちの思考は自由だし、行動も自由だ。

 

この世にまかれた種から発芽したという点では、オジギソウも僕も同じだ。

従属と消費に絡めとられるのを拒否し、生き物として、自分で種を撒いていくことができる。

不安を埋めるためにシステムに保証を求めない。

ひたすらに種を撒く。

多様性と自由こそが、一番の保証だということを知っているから。

 

明峯さんが撒いたたくさんの種の中の1つは、僕の中で発芽し、この文章を書いている。

僕が撒いているたくさんの種も、あちこちで発芽して育っている。

その確信があるから、僕は、さらにたくさんの種を撒く。

自由に生きる人たちの「生態系」は広がり、自分たちがそれを創っているという確信が、僕たちに自信を取り戻させる。

僕は、自由に生きる人たちの「生態系」を豊かにしていくことに力を尽くす。

この「生態系」も、なじみ合いながら、信頼のネットワークがどんどん強くなり、どんどん豊かになっていく。

誰もが自分で種を撒き、常に未来に対する新しい可能性を探っている。

みんなでたくさんの種を撒けば、その中の種のどれかが現状を突き破る。

それを撒いたのが自分じゃなくてもいい。

誰がまいた種でもいい。

自分を手放して、「種がたくさん撒かれる状況=マインドセット」を創り出すことに力を注ぐ。

誰かが現状を突き破れば、それを手掛かりに未来を創っていく。

「生態系」が豊かになれば、みんながそこで生きていけるようになる。

そういう生き方が、生き物としての生き方だ。

自分たちも「生き物」だということを思い出すだけで、それを実現できるだろう。

 

自分の「生」に意味を持たせるためにはどうしたらよいだろうか。

大量生産された商品を購入しても、それは、「自分」というかけがえのない個を意味づけてくれない。

自分が何かを産み出し、その影響が、世代を超えて受け継がれていくという確信こそが、自分の「生」に意味を持たせるのではないだろうか。

明峯さんは、たくさんの種を撒いた。

土の中にも、心の中にも。

それらは、確かに発芽し、なじみ合いをしながら、根や葉を茂らせている。

明峯さんは、きっと、そのことに確信を抱いて永眠されたはずだ。

 

僕は、主に、教育というフィールドで心の中に種を撒き続ける。

当たり前のことだが、僕にも死ぬときが来る。

たくさんの種を撒き、「生態系」を育んでいき、自分が、その一部として、そこに貢献できたという確信があれば、自分は安らかに生き物としての「生」を終えられる気がする。

自由な人たちの命は、繋がっていく。

明峯さん、心より、ご冥福をお祈りします。

 

※タイトルの絵は、明峯さんのスケッチ。こちらからお借りしました。

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