善悪の評価を超えた野原で回る共存在サイクル

311の後、世界の舞台裏が急に目の前に現れたように感じ、もとの世界には戻れなくなってしまった。

同じものを見たはずの人たちが、もとの世界で生活を続けているのを見て、孤独感を感じた。

それまで生きてきた40年間の人生の舞台裏でも、同じようなことが起こっていたのだと思い、自分の人生の意味が変わってしまうような気がした。

それからの自分は、ずっと怒り続けていた。

社会システムに対して

教育システムに対して

そのなかで生きてきた自分に対して

311以前の世界を生きている人たちに対して

怒りのエネルギーを燃料として、問題を掘り下げていくエンジンが回り始めた。

どうしてこんなことになってしまったのかを突き止めたい。

自分に対しても、周りに対しても批判の目を向けながら、リミッターを外して、がむしゃらに進んでいった。

人間を工業製品のように生産する教育システムが、人間の心をどのようにして不自由にしていったのか?

自分の心には、その影響が、どのように残っているのか?

人間の心を自由にしていくためには、どのような方法があるのか?

進めば進むほど、世界の見え方が変わり、それに伴い、自分も変容していった。

そして、その速度は、どんどん加速していった。

人間を機械化するプロセスを否定し、ひたすら実験を繰り返しながら生命的に生きるということをやり続けた結果、ついに、そのスピードに身体がついて行けなくなってきた。

血圧が180を超え、心臓に問題が生じ、首と肩に激しい痛みが出て、身動きが取れなくなった。背中にカッピングをしたら、背中全体がどす黒い紫色に染まっていた。

仕事を効率化したり、作業を他人に代行してもらったりせざるを得なくなった。

試行錯誤を通してプロトタイプを創る工房パラダイムを肯定し、大量生産をする工場パラダイムを否定してきた自分が、この両者を統合する必要が出てきた。

そんなとき、『かかわり方の学び方』という本を読んだ。

そこで、工房パラダイムから、工場パラダイムへと連続的に繋がるグラフと出会った。

そのグラフを見ながら、工場パラダイムが極まったら、成功体験を手放してパラダイムシフトを起こして、工房パラダイムを最初から始めるはずだと思った。そして、ペンを取り出して曲線を引いてループを作り、Uプロセスと書き込んだ。

それを見ているうちに、工房、工場、変容は、どれも、生きていくために必要な要素なのだということが、じわーっと認識されてきた。

共存在サイクル

どれかが善で、どれかが悪なのではなく、それぞれが違う評価軸を持っているから、多様な人たちが生きていけるのだと思った。

共存在サイクル表2

311の後、ずっと自分の中にあった怒りの奥にあったものが何だったのかが見えてきた。

怒りの奥にあったのは、人間が人間らしく生きるということを大切にしたいという気持ち。

それを実現するための手がかりを掴めたことで、自分がやってきたことに意味があると感じることができた。

ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーは言う。

「間違った行ないと正しい行ないを超えたところに野原が広がっています。そこで逢いましょう」

ルーミーは、この野原へ到達するために、どれだけの痛みを乗り越えたのだろうか?

大きく左右にぶれるからこそ、バランスが取れる中心を見いだすことができるのだと思う。

共存在サイクルは、誰も否定せず、優劣を作らず、水平に回る。

これは、ルーミーが待っている野原で回るサイクルだと思う。

 

 

 

 

facebooktwittergoogle_plusby feather
No Comments.

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *